天災起こる | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 鹿児島県・口永良部島は、屋久島のそばにある島ですが、噴火しました。自然現象が起きてもおどろくことはないのです。自然現象は人間が止めることはできません。地震を止めることはできません。火山の噴火を止めることもできません。大雨を止めることもできません。日照りを止めることもできません。

 自然現象は人間が止めることはできないのです。「なぜ、このようなものが続くのか」と言っても、そのような中に人間が生きているのです。逆なのです。自然には嵐もあれば、台風、津波、竜巻、地震、火山の爆発もあります。これが自然というものです。その中に人間は生を得て、生きさせてもらっていると考えなければいけません。人間の力で自然をねじふせるということはできないのです。

飛行機に乗れば飛行機事故があります。船に乗れば沈没する事故があります。これは、人災です。飛行機など乗らなければいいのです。船も乗らなければ災難に遭うことはありません。

だけど自然現象だけは仕方ありません。だから考え方として波乗りのようなものです。大きな波がきます。「どのようにこの波と向き合ったらよいのか?」と考えなければダメなのです。「自然現象に逆らわないように生きる」ということは、どのようなことでしょう。

それは津波がこないところに住めばよいのです。すると津波はきません。それから、「猛烈な暑さを防ぎたい」と思ったら、日照りが強烈なところ以外に住めばよいのです。大雪があって大きな被害がでるならば、雪の被害のないところへ住めばよいのです。

そのように考えていくのです。山崩れのこないところに住めばよいのです。海の畔に住んでいて津波にさらわれるならば、それは覚悟していなければいけないことです。海の畔には津波がくるのです。

「津波が来たらどこに逃げるのか?」ということをいつも計算しておかないとやられてしまいます。3.11の大地震のときは、30メートルの津波がきたのです。10メートルの高台に上っても逃れられるとは限りません。やはり50~100メートルまで登らないと逃げられません。山のそばに住んでいれば津波がきてもすぐに登れます。

自然現象を避けることはできないのです。人間が避けるのです。自分が住むべき場所は、海の畔でもない、川の畔でもない、山のそばでもない、雪国でもない、沖縄のような暑い土地でもない、これが人間が住んでよいところです。

お米がとれなくても、他の作物が取れるところもあります。地震が比較的にないところであったとしても、逃げられるところに人間が住まなければいけません。

ところが人間がどんどん増えてしまうとそうも言っていられません。人口が増えると危険なところにも住むようになってしまうのです。人口が増えたところに災害がくるならば、その人間たちは滅ぼされてしまうのです。ということは、もともと余分な人口だったということです。

自然と人間は一体です。川のほとりに住んでいる人間を自然界が「邪魔だよ」と思うと洪水がきます。すると人間が死んでしまいます。死んでしまうということは、自然界から見たら余分だったということです。

人間が住むところは、津波がこない、山崩れもない、地震もこない、火山の近くでもない、そのようなところに住んでいる人間だけが生存していける権利があるのです。危険なところに住んでいる人間が死んでも仕方ないのです。自然界から見れば、余分な人間なのです。

このような考え方が大事です。人間は自然災害を逃れることはできません。恐れて敬っても災害はくるのです。自然の流れがあって人間は生きているのです。その流れにはずれれば、人間はいつでも事故に遭うのです。それを逃れることなどできないのです。

これが一つの見方です。もう一つの見方があります。「飛行機はなぜ落ちるのでしょうか?」と、戸田先生に質問した人がります。「飛行機事故で落ちて死ぬという宿命をもった人間が集まった飛行機が落ちるのです」。全員が飛行機事故で「死ぬ」という前世の因縁で、そのような人間が集まってしまったのです。そのような人間が集まると全員死んでしまうのです。

或は地震でぺっちゃんこになるという宿命をもった人間が集まってしまったから地震がきてぺっちゃんこになったのです。そのように逆の見方もあるのです。災難に遭わない法が唯一あるとしたら、それは自分の宿命転換です。災難で死ぬような狂った運命をもっているならば、それを浄化して「どうかそのような目に遭わないように」と思うことが大事です。

仏法を信じない国家は総罰として国全体が騒乱に巻き込まれてしまうのです。太平洋戦争の空襲で死んだ人たちは非常に気の毒ではありますが、そのように地獄へ行くという宿命をもった人間が集まっていたのです。だから焼き殺されたり、原子爆弾で死んでしまったのです。

自然は厳しいものです。あまいものではありません。あまいものではないと理解して「自然に生かされているのだ」ということをいつも感謝して神の怒りにふれないように生きていくことが大事です。「神の怒りにふれないように」ということは、「自然の怒りにふれないように」ということです。それを注意して生活をしていくという謙虚な心が大事だと思います。



 

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