15歳ドローン少年(ノエル)、これ面白いね! | 中杉 弘の徒然日記

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15歳ドローン少年、この子のビデオを見ていると本当に面白いことがわかってきます。最初に思い浮かんだのは、池袋の「ヤクザ少年」です。池袋でヤクザに喧嘩を売るのです。「すいません、ヤクザさんですか?」と、何回もしつこいことを言うと「うるさいな、このガキ!」と言われてひっぱたかれて、それでもしつこく「ヤクザなんかこわくないよ!」と強がるのです。

 「うるせえんだよ!」と、ボコボコにやられても、「ヤクザさんですか、かっこいいですね」というのです。ちょうど、不軽菩薩の修行のようです。不軽菩薩は「うるさい!」と言われても逃げて遠くで頭を下げたのです。そのような感じです。

お母さんが「いい加減にしなさい!」と怒って言うのですが、「じゃあ、やめるよ」と言ってやめたのですが、この少年のことを思い出させます。これも見ていて涙が出てくる話で、この子は「自分が弱い」ということを知っているのです。人生はいろいろな怖い人間と会わなければなりません。そのようなことを予感するのです。そのためには、度胸をつけなければいけないと思い、一番怖い者を探すのです。

一番怖い者はヤクザです。「怖くないぞ!」と自分に言い聞かせるのです。向こうは本物のヤクザだから「うるせえ、このガキ!」と殴られても、それでもしつこく向かっていくのです。「ああ、今1万円の服が破れちゃった」といいながら、向かっていくのです。この子を見ていると涙がでてきます。やられてもめげない、やられても、やられても向かっていくのです。まあ、いつまでもやってはいないでしょうが。

それと同じものをこの少年に対して感じました。このドローン少年が言っていることは、筋道が通っているのです。少年「公園でドローンを飛ばしていけないのですか?」警察「いけなんだよ」少年「どこに書いてあるのですか?」警察「書いてなくてもいけないのだよ」おまわりさんはそう言うのです。

警察「とにかく千代田区は全部ドローンが禁止になっている」というと、少年「どこに書いてあるのですか?」と聞くと警察「書いていないけど、いけないのだよ」そのような論調です。

すると少年「僕は悪いことはしていませんよ」警察「長野県でドローンを落としたんだろう」というと少年「あれは僕が置いたのです。落としたのではない。行列のそばにドローンを置いたら落としたといわれたけれども落としてなんかいません」というのです。

警察「浅草の三社祭でドローンを飛ばすのか?」と聞くと、少年「皆が喜ぶからやっているんです」このドローン少年は理屈も通っているし、捕まえにきた警察官に「警察手帳をもっていますか?」と聞くのです。「民事ですか」「刑事ですか」「任意ですか」「任意出頭ですか、では行かなくていいのですね」という受け答えをして何を言っても負けないのです。

「こんなガキはぶん殴って治せばいいのだ」とネットでは言っていますが、それは違います。この子は非常に頭がよいのです。物事を論理的に考えるのです。「世の中は法律で動いているのでしょう。法律にのっていることはやっていけないでしょう。法律にのっていなければやってもいいでしょう」これも論理です。

警察「公園で飛ばしていけない」というので、少年「どこの公園で飛ばしていけないのですか?」と聞くと警察「全部だよ」というのです。少年「それはおかしいではないですか」警察「ドロ-ンは危険なんだよ」少年「ドローンが何かやりましか。全然事故が起きていないではないですか。だからいいではないですか」というのです。

この子は、川崎の少年が殺されたときにジャーナリストを取材しているのです。「もっと取材しないのですか? 渦中の人に取材すればいいではないですか」と質問されてマスコミの方が壁壁して「うるさんだよ、お前あっちへ行けよ」というくらいしつこく取材しているのです。僕は「面白い子だな」と思っていました。

このような子は論理でくるのです。大人の方は論理性がないので答えられないのです。「なぜ公園で飛ばしていけないのですか?」という質問に対して大人は答えられないのです。そこで、感情で「いけないというからいけないのだよ!」となってしまうと、「それは答えになっていませんね」と言われてしまうのです。

このような論理的な少年には、世の中が論理非論理で動いているということがわからないのです。ドローン少年は「論理だけで世の中はうまくいく」と考えているのです。このような子に対しては、「そうだね。お前の言っていることは正しいよ。お前は筋道を立てるな。本当にお前の言っていることは正しいよ」と、大人の方が認めていかなければいけません。

しかし、「ドローンでけがをしてはいけないから、警察というものがあって、すべて規制するのです。もし、君が主張するように全員がドローンを飛ばせば、そこら中にドロ-ンが飛んで危なくて歩けないだろう。規制するのもわかるよね」と言えばそれはわかるのです。

この子にとってドローンは面白くて仕方ないのです。空中から撮影できるのですから、長野の善光寺も京都も、空中から撮影できるのです。こんな面白いおもちゃはないのです。

このドローン少年はドローンで撮影して、画像を公開してお金を取っていたのです。今の世の中は面白いですね。パソコン一台あれば、全国に発信ができるのです。しかも、200円か300円の金をとっていたのです。

お金を払うとその画像が見れるのです。すると、ますますみなが喜ぶのです。15歳の少年がパソコン1台で全国に発信できるというのは、言ってみると放送局をもったようなものです。それは面白いのです。金を払ってみなが喜んでくれるのです。「もっと面白いことをやろう」と考えていくのです。それをよって、たかって警察も親もドローンを取り上げようとして、必死でドローンにしがみついて「ドローンを返してくれ!」とわめく姿がまたかわいいのです。

このような少年は1歩道を間違えるとダメになるけれども、ちゃんと善導すればまともになります。多分、この親に論理性がないのです。子供に論理性があるということが見抜けないのです。論理性をもった子供には論理で説得すればいいのです。

万が一論理で説得できなくても、この世の中は論理だけで動いているのではありません。皆さんもよく考えてごらんなさい。この世の中は法律だけで動いているのではありません。法律にのっていなければなんでもやっていいということではないのです。

法律では「人殺しをしてはいけない」と書いていないのです。「人殺しをした者は、懲役何年」という書き方をしてあるのです。「ドロボウ・窃盗をした者は懲役何年」と書いてあり、「人殺しをしてはいけない」、「ドロボウをしてはいけない」とは書いてありません。「スリ万引きはいけないことです」とは、書いてないのです。

そのように考えると、書いていないことはなんでもやってよいことではないのです。「人殺しをしてはいけない」のは、法律の問題ではないのです。そのように話しかけていくと、このような子は立派になっていくのです。

まず、「自分が認められた」と思うのです。「そう、お前は非常に論理に優れている。すごい子だな。着眼点もある」このようにまず相手を認めるのです。それからどの方向へ誘導していくのか、世の中は論理と非論理で動いているのです。この非論理の部分を勉強するためには、ある程度年齢をかさねなければいけないのです。

そのような教え方をしていくと、この子は立派になっていくと思います。



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