三島由紀夫と陽明学 ⑨ | 中杉 弘の徒然日記

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 儒教の中にも陽明学朱子学があります。この中で徳川幕府がとったものは朱子学です。なぜかというと朱子学とは大義名分を研究した学問です。そして、大塩平八郎がとった学問は陽明学です。

 戦争にしても王様になるにしても、「どのような大義名分があるのか?」ということを研究していくのが朱子学です。大義名分学です。大義名分ですから朝から晩まで「これが正しい」、「あれが正しい」と口から泡をとばして議論ばかりしているのです。

 朝鮮で流行った学問は朱子学です。両班(ヤンパン)は口から泡を飛ばして「国防とは、こうだ!」と、朝から晩まで議論しているのです。「何が正しいのか」ということが議論になってしまうのです。大義名分を明らかにしていくということです。

 反対に陽明学とは、即ち行動の学です。陽明学は「知行合一」と言います。「知ったことは行わなければならない」という考え方です。知ったことが行われないならば、大義名分の学(朱子学)です。

 このようなことを知った侍は怖い存在です。知ったことは実行しなければならないのです。「今、政府が悪い。おかしなことをやっている」と知った人は、政府を倒さなければいけません。ただちに政府を倒す行動に出るのです。

 幕末の志士は、外交官官邸の焼き討ち、生麦事件で島津の殿様の前を通ったイギリス人の首をはねたり、即行動するのです。桜田門で井伊直弼が斬られたのも、「井伊が悪い」と武士たちが即行動したのです。

 薩摩の西郷隆盛も多分に陽明学です。知ったことは行わなければならないのです。行わないならば、それは知ったことにならないのです。「親孝行をしなければならない」と知ったならば親孝行をするのです。口から泡を飛ばして「親孝行をしなければならない」と言って、親を大事にしないならば朱子学の人間です。

 陽明学は、『革命の学』ともいえます。陽明学を学んだ人間は、革命を実際に起こすのです。だから徳川幕府は、陽明学に力を入れなかったのです。陽明学など武士に学ばせたら、せっかくつくった幕府のあちこちで反乱が起きてしまいます。

 だから、反乱を起こさせないために朱子学を勉強させたのです。国学は朱子学です。陽明学にはあまり力を入れなかったのです。革命を起こす側は陽明学の理論で革命を起こすのです。

 幕末の志士達は、みな陽明学です。三島由紀夫も完全に陽明学的な行動をしたのです。「憲法が狂っている。この憲法を治さなければいけない。だから、自分と一緒に戦って死のう。この間違った憲法に体をぶつけて死ぬ人間はいないのか! この憲法は自衛隊の諸君を殺しているようなものなのだ。自分を殺す憲法を自衛隊員は命を賭けて守るのか?」と三島由紀夫は言ったのです。全く自衛隊には矛盾があるのです。

 今と違い自衛隊は認められていないのです。「その憲法を守るのは自衛隊だ!」ということは、本来ならあり得ないのです。「それがわかったのだから、私は行動する。諸君も一緒に行動しようではないか!」と三島由紀夫が言うと、自衛隊員は誰もが白けて「馬鹿、文士、ひっこめ、この野郎!」とヤジを飛ばして、誰も三島由紀夫の真意がわからなかったのです。

 三島由紀夫の行動は、すべからく陽明学であります。陽明学の「知行合一」は怖い思想です。大塩平八郎も「自分は幕府の役人であるけれども、百姓や庶民は食べる米がありません。大商人や官僚は米を隠してお金をため込んでいるのです。これは命を捨てて立たなければならない」と立つのです。

 西郷隆盛もそうです。西郷は西南戦争に巻き込まれたのです。西郷隆盛は反対だったのですが、兵学校生徒が武器庫から大砲をかっぱらい事件になってくるのです。「武器庫に火をつけてかっぱらった」と聞いて、西郷は腹がきまったのです。「しまった。でもやった以上は、おいどんの命をあげもうそう。」もう死ぬことを知っていたのです。

 1万5千人くらい集まっても、近代的軍隊には勝てません。西郷は軍人です。みな知っているのです。そこで一切の指揮はとりません。陸軍少将・桐野利秋が指揮をとるのです。西郷さんは何を言っても「よし、それでいけ!」だけで、何も言わないのです。これも陽明学です。

 陽明学は行動の学、革命の学、三島由紀夫先生は陽明学であったのです。



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