神と悪魔 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

ギリシャ時代のお母さんは「この子供はだんだん大きくなった頭蓋骨を鉈(なた)で砕かれるのです」と言う話があるのです。

 一生懸命子供を育てるのは何のためなのでしょう。この子供が成長するということは、頭蓋骨が滅茶苦茶に砕かれることを意味するのです。ここに人間の悪魔と神の両方の属性を見ることができます。

 「早く成長してもらいたい」と思って親は子供を育てます。ところが、その先には鉈(なた)で頭蓋骨がかち割られて死ぬのです。何のために育てたのでしょう。鉈(なた)で頭をかち割るというのが悪魔です。人生は不思議なことに悪魔と神が一対になっているのです。

今日の朝のNHKのニュースで戦艦大和の生き残りの人の話を放送していましたが、悲惨な話です。生き残った人は89歳です。米軍機が350機で大和に向かってきます。すると爆弾を落としていきます。その後を見ると足が吹っ飛び、手がもげて、頭が吹っ飛んだ死体がバラバラと転がっているのです。もう地獄です。その死体を海に捨てるのです。

それで生き残った人間は、海に飛び込んで泳いでいます。すると、米軍の爆撃を受けて大和が真っ二つに割れて鉄が溶けて、それが雨のように泳いでいる人間を直撃するのです。頭にあった人間は頭が二つに割れてしまい、悲惨などというものではありません。地獄絵図です。

そのような残酷な行為を行っておきならが、「エボラ出血熱だ」というと、今度は「助けなければ」と思うのです。ISISの攻撃でイラクやシリアから難民が逃れてくると「キャンプをつくって助けなければ」と言うのです。山で遭難したら、自分の命も顧みずヘリコプターで救出に向かいます。これは、神の領域であり、仏の領域です。

ところが同じ人間が戦争を起こして、相手の人間の頭をかち割ったり、人間を撃ち殺すのです。ということは、人間の中に二面性があり、悪魔と神、この両方の属性をもっているものが人間だと分かります。

僕も前から言っていますが、子供の時は喧嘩をしても人殺しをしないのです。だんだん成長して12~13歳くらいまでは人殺しはしません。15~16歳になると人殺しをする年齢になってくるのです。

大人になればなるほど、刀・銃をつかって、或いは飛行機を使って、大砲を使って、戦車を使って、人間をバラバラにするまで人殺しをやるのです。これが人間性だということをよく分かっていかなければいけません。

獣(じゅう)の属性をもった人間から、神の属性をもった人間へと変換していかなければいけないのです。

運命的に言うと戦争で死んだ人間は、また戦乱の中に生まれてくるのです。生まれるたびに神風特攻隊です。これでは、たまりません。生まれてきて15~16歳で特攻隊で死ぬと、またどこかで生まれてくるのです。その時はまた戦争の世に生まれてくるのです。また神風特攻隊のようなもので死ぬということになるのです。

生まれてすぐ地獄の戦火に遭い、死んでまた生まれて地獄を体験するのです。これを無間地獄というのです。「国のために死んだ」という話は、また違う話です。それは一面ですが、ある反面から言うと生まれてくるたびに特攻機で突っ込んでバラバラになって、これを無限に繰り返すのです。これが仏法で言うところの無間地獄です。

個人レベルで言うと我々は戦争のある所へ生まれたくはありません。和泉さんという憲兵・軍曹の話を知っていますが、この人は戦争に行ったのですが、一度も戦争に遭わなかったのです。憲兵で行って、人が死ぬところを見たことがないのです。そのような幸せな人もいるのです。戦争に引っ張られていくのでそれは仕方ありませんが、その中で残虐な場面は一度も見ていないのです。そのような人もいます。

戦艦大和の生き残りの人も自分は助かったのです。強運なしっかりした人でした。でも、火の海の中に入って仲間の死を見ていたらその体験は消えませんが、その中で助かったとううことは運の強さを表しています。

「そのような戦乱は嫌だ!」と、絶対に腹にすえなければいけません。そんなことがよく思えたり、賛美したりしていると、獣(じゅう)の属性が出てしまい、そのような道に入ってしまいます。

なんであろうと、「私はそんな目に遭いたくない!」としっかりと決めるのです。「絶対に戦争はいかない。戦争は嫌だ!」「どんな戦争も獣(じゅう)の属性に属するから嫌だ!」と強く決意するのです。

人間は神であるふるまいと、仏になろうとすることによって、そのような馬鹿馬鹿しい世界から逃れていくことができるのです。悪魔も微笑んで貴方を呼んでいます。それと同時に仏様・神様も微笑んで貴方をお迎えしているのです。貴方が神の道を進むか、悪魔の道を進むかということは、貴方の一念心にかかっています。

天台大師は「火途(かず)の道に入るのはこのような訳だ」と言われています。そのようなことをやっていると、必ず火途の道=闘争の道に入ってしまうのです。このことをよく覚えておきなさい。



天台大師の摩訶止観の中より(第三菩達心、第二項 邪な心一、十種の濁心)



もし、その心に、念々に、貪瞋痴(むさぼり・怒り・愚か)を専らこれを摂すれども還らず、これを抜けども出です、日に増し月に甚だしくして、上品の十悪を起こすこと、五扇提羅(もっとも賤しい者)は、これ地獄の心を発して、火途(地獄)の道を行ずるなり。

もしその心に、念々に眷属多からんことを欲し、海が流れを呑むごとく、火に薪を焚くがごとくにして、中品の十悪を起こすこと調達(お釈迦様に敵対したダイバダッタ)の衆を誘うがごときものは、これ畜生の心を発して、血途(畜生界)の道を行ずるなり。



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【NET TV ニュース.報道】

朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


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