日本は世界最新鋭の国 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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※中杉 弘著『日本人の使命』



僕が25年前に出した本があります。それが『日本人の使命』という本です。表紙を見れば分かる通り、地球の中心に立っているのが天皇陛下です。僕は、25年前にこのような本を書いたのです。


 そして、20年前に平和神軍という運動を初めて、3千名くらいまでこの運動は増えたのですが、左翼の連中からは「時代錯誤、キチガイ、バカ!」と言われて、散々な攻撃を受けたのです。

 しかし、去年の暮などの対談を見ると、ほとんどの識者が僕の意見に近づいてきているということがわかります。それはそうです。今右翼のようなことを言っている西部 邁は、元左翼です。東大全共闘の委員長をやっていた男です。今では左翼が右翼になっているのです。ですから本当の意味での右翼なるものは意味がわからないのです。

 僕は「宗教」という次元から考えていたので最初から分かっていたのです。世の中の問題は政治問題のように見えるけれども、究極は宗教論争なのです。今のISISの問題も、つきつめて言えば宗教の問題であって、キリスト教世界の事を彼等は「十字軍」と言っています。「十字軍」というものも、宗教の話であり、宗教問題が根本にあるのです。人間は宗教ぬきでは考えられません。

このことを700年前に指摘されたのが、日蓮大聖人様であり、世の中は全て宗教問題です。「宗教が一番大事だ」ということを言われたのです。

 そして、「この国にどのような宗教を建てたらよいのか?」ということが、日蓮大聖人様の根本の考え方なのです。念仏・真言・禅宗・律宗もダメです。これらを破折されて「念仏は無間地獄へ行きます。真言は亡国の教えです。禅宗は天魔の業です。律宗は国賊です」と言われたのです。これを順序立てて正しくして、南無妙法蓮華経という法を建立されたのです。

 日蓮大聖人様が言われたのは、仏教の範囲内のことです。日蓮大聖人様が立てた教判の一つは、五重相対(ごじゅうのそうたい)といい、物事を相対して考えていく場合に、五つあります。最初に内外相対を打ち立てています。「内外とは何ですか?」というと、「内道と外道を相対しなさい」ということです。内道とは仏教のことです。何故なら、仏教は自分の内を見るからです。外道は自分の外を見て、神様から考えるのです。神様が外なるものです。だから外道というのです。

 「内を見る宗教と、神から考える宗教はどちらが正しいのだろうか?」ということを明らかにされたのが内外相対です。日蓮大聖人様は凄いのです。外道より内道の方が優れているのです。

次に仏教には、小乗教と大乗経があります。タイやインドネシア、スリランカなど東南アジアなどにある仏教はみな小乗教です。小乗教とは、特殊な人々のための教えであり、社会生活をしている人に「洞窟で修行してください」などと言われても洞窟に入れません。「断食しなさい」と言われても断食したら仕事はできません。普通の人はできませんが、僧侶のような特殊な立場の人は小乗教の修行ができるのです。ですから、「少しの人間しか救えません」というのが小乗教の教えです。

国あり、王様もいて、商人もいて、奴隷もいて、人々を広く救っていける法が大乗仏教です。小乗仏教と大乗仏教を比べたら大乗仏教の方がよいのです。

 そのように五重の相対とは、二つのものを比べていくのですが、その手法に習い、外道を最も明らかにしようとしたのが、石田次男先生です。僕は弟子になって学んだから分かったのですが、日蓮大聖人様がやられなかった「外道の破折」をきちっとやらなければいけないと思っています。僕はそこから考えていったのです。

 外道は神をたたえるのです。そこで、「日本の神道は外道なのか?」というと、これは少し違うのです。前回も述べましたが、日本の神道は国の成り立ちを表したものなのです。「我が国は、このようにしてつくられた」というのが神道です。

 神道には何の教えもありません。教えなどないのです。「この国はこのようにしてつくられた」という教えです。この国は誰が造ったのかというと、神武天皇が造られたのです。神倭伊波礼琵古命(カムヤマトイワレヒコノミコト)という、後に神武天皇と言われる人が2800年前にこの国を造ったのです。

 「神武天皇とは何ですか?」というと、それは天照大神の子孫です。天照大神は、神武天皇より古い神様です。伊勢神宮は、一番根本の天照大神をお祀りしています。伊勢神宮へ行って「何かお願いしてきましょう」とか、「お金が儲かりますように」など、そんな事をいくらお願いしてもダメなのです。そんな事を説いているのではないのですから、そのような気持ちで伊勢神宮へ行っても何の御利益もありません。

 では何故行くのでしょう。我が国は、天照大神がいらして、そこから神武天皇が生まれて、代々天皇がいて2800年間の歴史を守ってきたのです。その原点に帰るのです。

 伊勢神宮へ行くということは、「魂の故郷へ帰る」という人もいますが、とんでもありません。伊勢神宮へ行くということは、国の原点へ帰るのです。国の故郷が伊勢神宮です。

何故、国が大事なのでしょう。国がなければISISになってしまいます。国がなければ韓国になってしまいます。韓国など国ではありません。中国のようにバラバラになってしまいます。もうじき中国など分解します。北朝鮮もそうです。あれが国家と言えるでしょうか。

国のおかげで我々は幸せな生活をしているのです。水も飲めれば、電気もつく、暖かい家にいて、ご飯も食べられます。これは、国があってのことなのです。

 国がなければ、ISISになってしまいます。シリアから脱出した難民は、110万人いると言われています。この110万人は、家もなく、毛布も無く、食べるものもなくて、砂漠の真ん中でウロウロしているのです。これが国が無い姿なのです。

 我々は「国」をしっかりと護持しているから、日本国があるのです。「如何に国というものが尊いのか」ということがよく分かります。国が無ければ、アフリカの土人です。ひどいものです。アフリカでは「手をちょん切ってやる。どちらの手がいいのだ?」と言われて手を切ってしまうのです。何故、そんなことをやるのかというと、選挙にいかせないためなのです。選挙に行って字をかかせないために手を鉈(なた)で切ってしまうのです。野蛮国・無智悪国というのは、そんなことになってしまうのです。日本人はそれを忘れてしまっているのですが、忘れてはいけないのです。

 伊勢神宮へ行くということは、お参りにいくのではなく御礼に行くのです。神様がいらして、この国を造り、2800年間維持しているのです。「おかげさまで元気で幸せです。神様のおかげです」と伊勢神宮へ報告に行くのです。だから、伊勢神宮へ行くことを「おかげ参り」と言うのです。「有難うございます」と、御礼にいくのです。その精神がない奴は、はっきり言って人間ではありません。御礼に行くのです。昔は何日も何日も歩いて、1ヶ月くらいかけて伊勢神宮へお参りに行っていたのです。お参りをして、感謝して帰ってくるのです。それを「おかげ参り」というのです。

 日本は帰れる所があるのです。国の成り立ちの帰るところが伊勢神宮です。仏教は国ではないのです。仏教は国など説いていません。人間個人として見ているのです。「人間個人が生まれて、個人の人間にどのように光を当てればよいのか」ということを考えたのが仏教です。

 人間は個人であるという面と同時に、国家の一員という面もあります。仏教の教えというものと、国家の教えというものが、両方あってよいのです。「どのような人格にしていきなさい」など、伊勢神宮は教えてくれるわけがないのです。国家の成り立ちを教えているのです。神道とは、そのようなものなのです。

 仏教とは、人間に光を当てて「個人・個人の人間がどのように光って、どのようにしたら一番幸せか?」という事を説いているのです。これに気が付いて、僕はこの本を書いたのです。世界はやがて天皇を中心にまとまっていく以外ないのです。何故ならば、国の中心点はもうできないのです。

 韓国がもがいても、もう中心点が無いのですから国の中心点などできないのです。中国も中心点はないのです。次の王朝が前の王朝を滅ぼして殺して成り代わってきた歴史なので、中心点などないのです。

 アメリカなど最初から中心点はないのです。だから合理性、デモクラシー、憲法をつくって人為的に国家を造ったのです。大統領などは、デモクラシー(民主政治)の中から生まれてきた制度ですから、中心点などどこにもないのです。だから良くもなれば、悪くもなるのです。

 今のアメリカは悪い国、ちょっと前までは良い国だった時もあるのです。どちらにでも行ってしまうのです。良い国、悪い国、悪魔の国、戦争の国にもなってしまうのです。民主主義は、中心点がないのでどこにでも行ってしまうのです。

 世界には中心点がないのです。中心点があるのは、日本だけなのです。そう言うと「日本の戦前は絶対主義で民主主義はなかった」という人もいますが、とんでもないことです。日本は、2800年前から民主主義なのです。ただし、天皇制民主主義なのです。天皇は動きません。民衆が選挙で選ぶものではないのです。民衆が選挙で選んだのならば、民主主義ですが、日本は天皇がいる民主主義です。これは、ゆるぎない事実です。

 今の世の中は社会主義もあれば、民主主義もあり、色々な流儀がありますが、それでも絶対にできないものが天皇制です。だから、天皇制がない国は、日本を壊そうとするのです。「日本は憎い国だ。ぐやじい! なんとか天皇を無くしてやろう」と、色々な陰謀をひっかけてきます。「天皇」と聞くだけで韓国人は気が狂ってしまいます。自分達はどんなに努力しても絶対に持てないのです。天皇はつくれるものではないのです。日本を「亡き者しよう」「日本を普通の国にしよう」ということは、日本を引きずり降ろすということです。

 「普通の国に引き上げる」のではありません。「普通の国に引きずりおろす」ということです。いずれの試みも全て失敗するのです。もうすでにそうなっています。

 天皇を中心にした日本が、一番進んだ政治形態・民主主義なのだと分かります。二大政党などは、民主主義が産んだものであり、どこへ行くか分からないのです。天皇がいればどこにも行きません。天皇は変わらないのです。下がどんなに変わろうが、天皇はずっと変わらないのです。天皇とは物凄い発明であり、世界は真似ができないことなのです。これは、最も尊いことなのです。

 我々は、このことをしっかりと自覚していかなければいけません。『日本人の使命』にこのことは書いてあるのですが、今やまさに多くの評論家が僕と同じような意見を言っています。西部 邁も僕と同じような意見を言いだしています。



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【NET TV ニュース.報道】

朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


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