朴 槿惠に教える日本と韓国の真実の歴史 8  | 中杉 弘の徒然日記

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韓国という国は、調べれば調べるほどボロが出る国なのです。まず、高句麗(紀元前37年―668年)という国がありました。約705年続いた国です。高句麗を建国したのは、朱蒙(チュモン)と言います。これが、韓流ドラマでもてはやされている主人公です。

 ところが、歴史学者が調べると朱蒙は朝鮮人ではなく、扶余族と言われています。そこからして、朝鮮人が造った国ではないのですから、朝鮮史ではないのです。

 高句麗について、シナでは「あれは中国の歴史だ」と言っているのです。中国の一部で高句麗という国ができたのであり、朝鮮などどこにもないのです。高句麗の歴史なのです。

 ところが、だんだん時代が経つと三国時代に入ってきます。三国時代とは、高句麗と新羅と百済です。この三国が争っていたのですが、朝鮮半島を統一するのは、高句麗ではなくて、新羅が統一してしまうのです。新羅が百済も滅ぼしてしまうのです。

 ところが、新羅(紀元前356年―935年)を造ったのは、倭人だったのです。『三国史記』新羅本紀によれば、朴氏・昔氏・金氏の3姓の王系があり、そしてそれぞれに始祖説話を持っています。新羅はこの3王統により何度か王朝交代が起きており、それぞれの王統が王位を主にしめていた時代を朴氏新羅・昔氏新羅・金氏新羅と呼びます。

 朴氏の始祖説話では、林で馬の嘶くのが聞こえたので近寄ったところ、馬が消えて大きな卵がありました。卵を割ると中から幼児が出てきて育て上げたが、10歳を越える頃には人となりが優れていたことから六村の人たちは彼を王位につけたのです。卵が瓢箪(ひょうたん)ほどの大きさであったため、辰韓の語で瓠を表す「朴」を姓として名乗ったといいます。建国時に腰に瓢箪(ひょうたん)をぶら下げて日本から海を渡って来たことから瓢公(ここう)と称されるようになった倭人が、大輔という役職名の重臣になりました。また、瓠公(ここう)が、瓢箪(ひょうたん)を腰にぶら下げて海を渡ってきたことから瓠公(ここう)と朴赫居世を同定する、またはその同族とする説があります。

 昔氏の始祖説話では、倭国東北一千里のところにある多婆那国(現在の兵庫北部等の本州日本海側と比定される)の王妃が妊娠ののち7年たって大きな卵を生み、不吉であるとして箱に入れて海に流しました。やがて辰韓に流れ着き老婆の手で箱が開けられ、中から一人の男の子が出てきました。箱が流れ着いたときに鵲(カササギ)がそばにいたので、鵲の字を略して「昔」を姓とし、箱を開いて生まれ出てきたことから「脱解(だっかい)」を名としました。

 金氏の始祖説話では、昔氏の脱解尼師今(だっかいにしきん)の治世時に、首都金城の西方の始林の地で鶏の鳴き声を聞き、夜明けになって瓢公(ここう)に調べさせたところ、金色の小箱が木の枝に引っかかっていました。その木の下で白い鶏が鳴いていました。小箱を持ち帰って開くと中から小さな男の子が現れ、容姿が優れていたので脱解尼師今(だっかいにしきん)は喜んで男の子を育てました。聡明であったので「閼智」(知恵者の意味)と名づけられ、金の小箱に入っていたので「金」を姓としました。

百済を造ったのも倭人です。百済(346年?-660年)は、通説では『三国志』に見える馬韓諸国のなかの伯済国が前身だと考えられていますが詳細は不明です。

百済の始祖仇台説では、『後漢書』『周書』『魏書』『隋書』によると「仇台」という者が、かつての帯方だった地に百済を建国した。それで百済には仇台を祀る廟がある」と書かれています。

 百済は、扶余族中心の国でしたが、高句麗と対立していたため、倭国が強力に支援し始めてから、倭人中心の国となり、王家も倭系になったと見なしています。百済の王を代表する武寧王(ぶねいおう)も倭国の生まれであり、倭人の国だったのです。

 そして、新羅が強くなり、唐と連合して高句麗を倒したのです。すると、高句麗から大量に移民が押し寄せて来たのです。これが、埼玉県日高市にある「高麗寂光(こまじゃっこう)」で、1800人来たと言われています。1800人と言えば、一つの国家の幹部が全員来たようなものです。

 そして、高句麗の歴史はそれで終わるのです。新羅と唐の連合軍が高句麗を倒した時に、大勢の蛮族が新羅に押し寄せてきたのです。その中にエベンキ人がいたのです。世界最悪の蛮族です。

 その連中が高句麗に残った男・女を殺して成り代わったのです。“背乗り(せのり)”というのです。今の朝鮮人がお得いの“背乗り”です。その土地の民族を殺して成り代わってしまうのです。成り代わって国家を造るのです。その国家を造ったのが、高麗(こま)というのです。「我々は高句麗の子孫だ」と言うけれども、実はエベンキ人の子孫だったのです。

 エベンキ人が、どんどん朝鮮半島に侵入してきて、高麗人に成り代わり、百済人に成り代わり、新羅人にも成り変わったのです。そして、高麗が最後に統一するのです。

 獰猛な民族が、朝鮮半島に入ってきて混血をしたのです。朝鮮半島の歴史とは、倭人が造った国家、扶余族が造った国家であり、朝鮮人などという民族は存在しないのです。そこで残った民族に、エベンキ人、満州人、韃靼人(だったんじん)、濊人(わいじん)、女真族(じょしんぞく)、漢人、蒙古人も入ってきて、男を皆殺しにして女を犯して子供ができて、なんとなく変な民族ができてきたのです。

 倭人と高句麗の末裔を滅ぼして、様々な蛮族が入ってきて、それが“朝鮮人”の始めだったのです。昔から“朝鮮人”がいて、高句麗を造り、百済を造り、新羅を造ったわけではないのです。そのように我々は考えていますが、全くのウソなのです。これを知らなければいけません。

 朝鮮半島には何も無かったのです。そこに入り込んだエベンキ人の文化がトーテムポールです。トーテムポールなど、アメリカのインディアンの文化であり、アメリカのインディアンもエベンキ人と似ているのです。

 「天下大将軍、地下女将軍」というトーテムポールを建てて、木で鳥のトーテムポールを造るのです。これがエベンキの文化です。「アリラン」という歌もエベンキの言語です。言語も調べてみると、百済の言語と、新羅の言語と、高句麗の言語は違うのです。今の朝鮮語は、エベンキ語なのです。

 だから、「韓国人はエベンキ人なのか?」と、そこから言っているのです。何の文化もないのです。エベンキ人はトナカイに乗っていた連中です。馬ではなく、トナカイに乗って、狩猟に出かけて、トナカイを殺して、内臓を食って、皮を剥いで、インディアンと同じようにテントを造り、皮をテントではり、寝泊りをするのです。

 エベンキ人は、ウンコ大好き人間なのです。ウンコという観念がないのです。「ウンコは汚いものだ」と日本人は思いますが、エベンキ人は汚いと思わないのです。「ウンコはよいもの、美味しいもの、食べる物」と思っているのです。この感覚の伝統を引いているので、韓国人は「トンスル(糞酒)」を飲むのです。トンスルとは、人糞酒(じんぷんしゅ)です。今でも朝鮮人はトンスルを愛飲しています。恐ろしい民族です。

 「日本が朝鮮の文化を学んだ」などは、全くのウソです。この事をハッキリさせておかなければいけません。文化・文明は、日本から朝鮮半島に教えたのです。米も日本から持っていったもので、韓国から日本に来たものではないのです。

 李氏朝鮮時代には、お茶もない、色もない、下水道・上水道もない、車もないのです。何故、車がないのかというと、李氏朝鮮時代に車を造る技術を忘れてしまったのです。針もないのです。あんな精密なものはできないので、シナから針は買っていたのです。朝鮮には何もないのです。これが朝鮮人の本当の歴史です。



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朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


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