これは戦争である。ただし、思想戦という特殊な戦闘である | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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※李氏朝鮮時代の韓国(奪う物は何もありませんね)
かつて、ロシアには情報将校がいて、アメリカにもいるのだと思います。ソ連の場合は、思想将校がいます。中共にもいると思います。共産主義というものを繰り返し・繰り返し叩き込んでいくので、武器はもたないのだけれども将校なのです。

 情報将校は、実際の武器は手に取りませんが、相手のコンピュターを壊したり、情報をとったりします。今後はこのような戦が大事だと言われています。爆弾を落としたりする戦争ではなく、情報が大事です。

 根本は、「思想戦である」ということです。日本は、思想戦に取り囲まれています。それで、馬鹿になってしまっているのです。「日本人がダメで、第二次世界大戦の戦争の責任は日本にあるのだ。日本が諸悪の根源である。従って日本を叩き潰した連合国(GHQ)は、正義の味方なのだ」と言っています。これも思想戦です。

 そのように一つの国をがんじがらめにして「申し訳なかった」「我々が悪かった」と言ってしまったらおしまいなのです。戦争をする必要がないのです。相手を謝らせてしまえば、戦争をしないで勝ってしまうのです。

 孫子の兵法にいわく「第一番の敵に戦わずして勝つ」このようなことなのです。豊臣秀吉は、このような戦法をよく用いたのです。お城を囲んで湖をつくってしまうのです。毛利家の城が湖の中に孤立してしまい、兵糧がなくなってくるのです。

 秀吉は、ずっと見ているのです。城の中では食べ物がなくなってしまい、最終的には人肉食いが始まってしまうのです。お互いに死人を喰らいあうのです。そこで秀吉は「主が一人切腹すれば、城兵の命は助ける」というのです。実際の戦争はしないので、パッと片付いてしまうのです。秀吉は名人です。

 小田原城の一夜城の時もそうです。小田原城から見える位置に城をどんどん築いていき、一夜にしてできたように見せかけたのです。昨日まで城がなかったのに、天守閣まであったと言われているのです。北条氏も、びっくり仰天です。これで、終わりです。

 黒田官兵衛が小田原城に出かけて行って説得したのです。「太閤殿下は領土を安置して全員助ける」と言ったのです。それに北条氏は、乗っかってしまうのです。それを秀吉は許さないので「北条を殺せ!」と、ひどいことをやるのです。

 この争いは、アテルイと坂上田村麻呂も同じです。アテルイが立派な戦いをするので、「命を助けると朝廷は言っているから、帰服しろ」と坂上田村麻呂は言うのです。アテルイは、簡単に信じて京都に連れていかれて部下もろとも殺されてしまうのです。坂上田村麻呂は怒るのですが、朝廷のやることは、そのようなことです。これも、思想戦と言えば、思想戦です。実際は相手に与えないのに「許してやる」と言うのです。

一番悪いのは、「日本民族をダメな民族だ」と思わせることです。「悪い民族だ」と思い、日本人は委縮してしまうのです。

例えば朝鮮人が「日本人は朝鮮を植民地統治をした」と言うのは、完全な思想戦です。「韓国を植民地にした」「軍刀で脅かして銃剣をつきつけて植民地にした」と言いますが、全てウソです。

情報戦の入り口は、「日本が韓国を植民地にした」というところから問題にしなければいけません。いつ植民地にしたのでしょう。事実は違うのです。「どうか韓国も日本の仲間に入れてください」と、韓国が議会で議決をして、帝国議会に持ってきたのです。

帝国議会は「こんなオンボロ国家を大日本帝国にするなど、とんでもない!」と思ったのです。伊藤博文は大反対だったのです。しかし、押し切られて朝鮮と日本を合弁したのです。

朝鮮人に銃剣をつきつけて「お前ら合弁しろ!」などと言ったことはないのです。ウソなのです。「植民地」と言った瞬間に、我々は叩かなければいけません。「いつ、植民地にしたのか?」「植民地とは、どのような事なのか?」

植民地とは、軍隊で入ってきて、作物や物をかっぱらっていくことを植民地というのです。イギリスがインドに300年間やったようにインドの物は全て持っていってしまうのです。それを植民地というのです。

日本と韓国の場合は、植民地ではないのです。韓国は大日本帝国になったのです。朝鮮人は民度が劣っているので、教育しなければならなかったのです。学校を1万校つくり、京城帝国大学を造り、専門学校を造り、道路を造り、鉄道を造り、師範学校を造ってきたのは、大日本帝国です。そのおかげで、朝鮮人は字が読めるようになったのです。

これが、事実です。どこが植民地支配なのでしょう。それが証拠に大日本帝国陸軍には、多くの朝鮮人が採用されました。朴槿惠のお父さんは、大日本帝国・陸軍中尉です。帝国の陸軍中尉です。植民地の人間が将校に成れるのでしょうか? インド人が将校になれたのでしょうか? インド人は、一人たりとも将校にはなれません。

日本には、朝鮮人の将校が千人くらいいたのです。しかも、李 垠銀殿下は、皇族になったのです。植民地の人間なら、皇族にする必要はありません。奴隷のようにコキ使えばよいのです。李垠銀殿下は皇族になり、天皇陛下の妹の梨の元宮方子様を奥さんにしたのです。何が植民地なのでしょうか?

このようなことが、思想戦で一番大事な事です。これを素通りさせては、絶対にいけないのです。これが、思想戦です。ここが鍵です。ここを素通りさせてしまうと、「従軍慰安婦」や「強制連行」や「我々の物を奪っただろう!」と言ってくるのです。

何を奪ったというのでしょうか? 日韓併合前の李氏朝鮮時代は、米などできなかったのです。産業は何もありません。車もないのです。車を造る技術がなくなってしまったのです。従って重たい土甕(つちがめ)に水を入れてかついで運んだのです。そんなことを350年もずっとやってきたのです。

産業は何も無かったのです。着物の色をつけることもできなかったのです。お茶も無かったのです。韓国では今もお茶を飲みません。その辺りに咲いている野草を摘んでお茶にしているのです。貨幣も無かったのです。何も無い国から、何を奪ったのでしょう。

韓国にあるのは、日本から与えられた物だけです。大日本帝国の国家予算を割いて、毎年朝鮮の経営に使って、立派な朝鮮人にしょうよう頑張ってきたのです。しかし、ダメだったのです。朝鮮人は、日本人を裏切ったのです。当時の日本人は「朝鮮人がどのような人間か?」ということが見抜けないで日韓併合で深入りをしてしまったのです。今のように情報が発達していなかったので、「朝鮮人がどのような民族か?」ということは、分からなかったのです。

日本人は「日本人と同じだ」と思い、「このようにしてあげれば、朝鮮人も立派になって日本人と同化するだろう」と思ったのです。ところが朝鮮人は、とんでもない連中だったのです。

全ての思想戦に勝つことが大事です。朝鮮との問題は、「植民地ではない!」ここから行きましょう。




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朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


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