正理会は松下村塾みたいですネ | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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 正理会は、一番大きな教育現場は、ご飯を食べることだと思っています。もっと正確にいうと、ご飯を作ってみなで同じものを食べるのです。これが教育の一番の根本にある問題です。ダメになった子は、ご飯もつくれません。ご飯をつくる間に「どうしたらおいしくつくれるのか?」という気持ちも働くのです。

 「あいつはこれが嫌いだな」「あの子は、これは好きだな」ということを計算してつくっているのです。「美味しいものを食べさせてあげたい」という心は、非常に大事な心です。これが修行の第一番です。

 立派な主婦は、お父さんに美味しいものを食べさせてあげて、「今疲れているのかな?」「今日は何を出したらよいのかな?」ということを考えながら、料理をする主婦は立派な主婦で人相もよく、本当にいい感じになってくるのです。

 ところが、「何を食べようが、あんたの勝手よ! コンビニで買って食べたら?」などと言っている主婦は、顔がどす黒くなって、いやらしい顔になってくるのです。だんだんケダモノのような顔になってくるのです。本当は、一緒に働いて、野菜もつくって、ご飯を一緒につくって食べることが大事です。これは、立派な教育なのです。

 先生が教壇に立って授業するだけが、教育ではありません。日常の中に教育はあるのです。それが長州の松下村塾です。松下村塾は2年くらいですが、その中から久坂玄瑞高杉晋作、伊藤博文、有名な連中がどんどん出ました。塾と言ってもわずか、六畳と四畳半しかないのです。そこで皆が寝たり、食べたり、勉強したり、全て同じところで行ったのです。

 教科書はないのです。何故、教科書はないのかというと、年齢もバラバラです。15歳の人間もいれば、20歳の人間もいます。全体的に、吉田松陰が教壇に立って教えたということはないのです。人に合せて自分で勉強させたのです。それを先生が見て指導するだけでまとめた講義などはないのです。

 その中で伊藤博文が言われたのは、「周旋の才がある」と言われたのです。周旋(しゅうせん)とは、営業のことです。そして、朴訥な人間性がよいと評価されて「予は君をすこぶる愛する」と吉田松陰が言ったのです。

 色々な人間が集まって今かけている人間性の教育を行ったのです。正理会はそのことをよく知っています。できるだけご飯をだして、一緒に食べて、合間の中で教育をしていくのです。

 「塩加減はそれでいいのか?」これも教育です。「そんなまずいもの食えるか!」これも教育なのです。「お前、人の気持ちを考えていないな」と言われて、ハッと気が付くのです。これも教育なのです。そのように教育していくことを口伝と言ったのです。

 昔の教育は道場に住み込んだのです。勝海舟も住み込んで、ご飯を一緒に食べて、稽古して、色々な事を教わりながら成長していったのです。

 近藤勇の試衛館という道場もそうです。食い詰め者が5~6人集まってくるのです。米がなくなると「米を借りてこいよ」と言うと、一人が米櫃をもって米を借りてくるのです。そんな生活です。小遣いなどないのです。そのような中で議論したり、勉強したりしていくのです。それが新選組という、やがて大きな力を持つものになっていったのです。

 旧制の高等学校でも食べるものを非常に大事にしたのです。不思議なことにヤクザの組事務所に行くと必ずご飯があるのです。組員がろくでもない奴で、仕事もないのです。お金がなくてピーピーしているのです。親分のところに行けば食えると思っているのです。そのような連中が来てゴロゴロしているのです。それを親分は知っているからいつだれがきてもご飯だけはたっぷり食べられるように置いてあるのです。食事は非常に大事です。

 松下村塾は、人材を評価したのです。雑巾がけまで吉田松陰は一緒にやったのです。そのように切磋琢磨して教育を行ったのです。

 仏法は口伝です。身体を通して、人格を通して教えていくものであり、「本に書いてあるだろう」などというものではないのです。身体を通して師弟の誓いがあり、だんだんと人格が磨かれていくということが教育の基本です。

 「もっと頭で色々なことを教わりたい」などはダメなのです。頭ではないのです。人格対人格の打ち合いの中から様々なものが生まれていくということが大事なのです。正理会はそのような会なので、あらゆるものを大事にしています。「来る者はこばまず、去る者は追わず」です。あまり許しすぎて、初期の頃は、ホモ・オカマ・キチガイ・女装趣味などがきました。

 初期の頃は住み込みをさせていたので、そんな人間ばかり来ました。Wという人間は「悪の四十八手」という本を熱心に見ていました。それは、オカマの四十八手だったのです。少年院出身で、自衛隊にも入隊していました。夜になると、「お前ら、ボクシングを教えてやるよ」と言って、道場性を殴っていたのです。

 翌朝、道場に行くと道場性がみな顔に怪我をしているのです。「どうしたんだ?」と聞くと「転びました」と言うのですが、みな顔にあざがあるのです。Wは本当に悪でオカマを掘って二人で手に手をとって道場を出てツカサのウィークリーマンションに出て行ったのです。

 初期の頃は「くる者はこばまず」だったのです。「アバババババ・・・・」と言っている北川君という子もいました。「君は何になりたいんだね」と聞くと、「僕は小学校5年生になりたいんだ」と20歳の青年が言うのです。「アバババババ・・・・」しか言わないのです。

 S君と一緒にお経を唱えたのですが、「アバババババ・・・・」しか言わないのです

S君が「うるさい!」と言って、鉢で北川君の頭をボコボコに殴ったので、キリスト教会に逃げこんだのです。「来る者はこばまず、去る者は追わず」だったので、そのような連中がいたのです。今はそんな人間はいません。そういうことなのです。

 正理会も今は立派な会になってきましたが、吉田松陰の松下村塾を真似しているわけではないのですが、自然にそのような雰囲気がでてきたのです。





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朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


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