覚え書き『童話的私生活』【序】〜そして世界は女の子たちとともに回っていく〜
『童話的私生活』を起稿したのは2010年9月29日。
詳しい記録を取っていないのでなんとも言えないのですが、その後、約2週間をかけて【序】と、それに続く【中央図書館A】の冒頭部を書いています。
ところが『童話的私生活』はそこで中断。
そのまま作品は半年間放置されることになります。
中断の直接的な要因は、【中央図書館A】の冒頭部の後に挿入する予定だった短編小説『深海の鼓動』の改訂作業に入っていったから。
でもそれは、きっかけにすぎませんでした。
『深海の鼓動』の改訂作業を終えた後、戻るはずだった『童話的私生活』にぼくは戻ることはなく、そのまま一連の新作童話の制作に入っていったのです。
とはいえ、ぼくにとっての過去5年余りの生活が、かけがえのない童話的私生活であったということに対する疑いは、いまだ微塵もなく、相変わらず愛しいものであることに変わりはありません。
そのとき起こった環境の変化が単にぼくの目を過去から未来へ向けさせただけのことです。
そう、環境の変化。
そのひとつは内面的なもので、
それまでかたくなに守られてきたものを、ぼくはようやく破壊することができたようなのです。
それはぼくの世界の縁に存在する壁のようなもの。
ぼくという形を保つために必要な殻のようなものであって、
ぼくを定義するために欠かせないもの。
でもそれを破壊するということは、童話的、あるいは詩的な生活にとって、避けては通れない道だったようです。
世界を覆う壁が無くなれば、あらゆるものの流入を防ぐことができなくなります。
見たくないものを見たとしても、そこから目をそらすことはできず、
投げかけられた言葉は、ダイレクトに胸に突き刺さります。
それは非常にセンシティブな状態であって、
剥き出しの傷口を風にさらすようなものであるはずです。
そうした状態を自ら自覚し、
そうした状態を常に保ち、
たとえ傷ついたとしても構うことなくそのまま歩み続ける。
そうした決断を、ぼくはしたということです。
ただ実際には意識していなかっただけで、見渡せば、ぼくは既にそういった状態のまま断片的にではあっても、過去、歩み続けていた時期があったようです。
そしてそれこそが、ぼくのかつての生活が童話的であったと言える、最大の基盤となっているのでしょう。
今ではそれが分かります。
童話的な生活に欠かせないこと、
それは、心を開いたまま生活することです。
環境の変化。もうひとつは外的なものになります。
それまでのぼくの生活は、ぼく個人としてはそういう自覚はなかったものの、現象として表れている状態は、まさに引きこもりそのものだったはずです。
2008年から2009年にかけては特にひどく、
ぼくには17のときから20年以上付き合っている持病があるのですが、
その持病によってもたられる肉体的苦痛によって外出することもままならない状態が長く続いていました。
今も昔も人に対する接し方に根本的な違いがあるとは思っていませんが、
そうした状況ではすべてが受け身になり、守勢を張るのがせいぜいのところ。
その姿勢が守りなのか、それとも攻めなのか、
かつてと今とで何が違うのかといえば、おそらくそれだけなはずです。
今は攻勢一辺倒。
では、なぜその姿勢を守りから攻めに変えたのかといえば、
それはやはり、ぼくに残された時間を、ぼくは自覚しているから、ということになります。
今は体調も良く、20代前半の数年間と同じ状態が保たれています。
でもその状態は、やがては崩壊していく砂の城のようなものであるはずです。
かつてがそうであったように、
今度もまた、もって5年ではないかと思っています。
それはこの持病を抱えた以上、つきまとう宿命のようなものです。
そしてぼくはその先をイメージすることができません。
こうした状況では守ることに何の意味もないのは明らかです。
ケチらない。出し惜しみしない。すべてを手の内でまかなおうとしない。
つねに一期一会であり、その時あるすべてをそこに賭ける。
攻勢の先にあったものは、
出会いです。
今のぼくの生活は秋葉原を中心に回っています。
そこで出会った今もまだぼくのまわりにいる女の子たちとの出会いと、
この『童話的私生活』の起稿が、
明らかにその後のぼくのライフスタイルそのものを変えてしまったのです。
今のぼくの生活。
それは、かつての童話的私生活を完全に超越した童話的私生活であって、
ぼくは、ぼくの物語の中を自ら主人公となってリアルタイムに生き抜いている。
イメージとしては、そういったところでしょうか。
そこに現実感(リアリティー)はありません。
かつての生活が、清水の中で岩に張り付くカゲロウの幼虫のような生活だったとするなら、今の生活はまさしく羽化して空を飛び交うカゲロウそのもの。
一旦破壊された日常は再構成され、まったく新しいシーズン、新しいステージにチェンジしていったのです。
そのため、過去を振り返って昔話しを書くということに対する優先順位が一気に下げられ、そこに割く時間的な余裕がまるでなくなってしまったのです。
それが、『童話的私生活』を中断したまま再開できなかった最大の理由です。
ぼくはだいたい2005年の夏頃から小説を書き始めています。
そのとき何を思って書き始めたのか、さらにそのとき何を書いていたのかは、この物語を書き続けていれば追い追い明らかになっていくことだと思いますので、ここでは触れません。
ただ、過去5年の間に何度も執筆を試みては挫折と中断を繰り返し、満足のいくクオリティーのものをまったく残せていなかったと思っています。
書いても書ききれず、
何度も、何度も、何度も、何度も、挫折感とともに刻み込まれる肉体的、精神的なダメージ。
書けば必ず体調を崩し、書くことが結局は肉体的な痛みにダイレクトにつながってしまうという脳内の神経回路網に焼きついた経験を断ち切るのは、そうたやすいことではありません。
さらには自分の技量に見合わない作品を手掛けてしまい、生み出された作品の世界を台無しにしてしまったという罪悪感もあります。
この『童話的私生活』を、たとえその一部でも書き始められたということは、
そうした壁も打破できたということなのでしょう。
目の前に立ちはだかる壁を自覚している状態。
それが絶望です。
ただ絶望は、破壊すれば希望に転化する性質のものであることを忘れてはいけません。
逆に言えば、希望は、絶望なくしては存在しえないということでもあります。
最後にこの【序】について。
そもそも『童話的私生活』の【序】は捨てるつもりで書いています。
言ってみればそれは、宇宙に向かって飛び立つロケットの第一弾目のようなもので、
安定して飛べるようになる空の高みにまでぼくを引き上げてくれれば、それでいいわけです。
人の目に触れさせる必要もないものだとぼくは思っています。
ただそれでもこうして【序】を公開しているのは、
ひとつは、すでにこれを見てしまっている子がいるため。
そしてもうひとつは、ぼくにブログを書くよう勧めてくれた子への感謝の意を込めて。
彼女の口添えがなければ、ぼくがブログを書こうという気になったかどうかは、はなはだ疑問です。
【序】の中にも書いていますが、今のぼくは誰かのため以外の目的で物語を書くことはできません。
モチベーションも、インスピレーションも、さっぱりなのです。
ですからぼくが書くとすれば、
それは、
間違いなく、
ぼく以外の誰かのためであって、
しかもその誰かは、
ぼくの目の前にいて、
その子のためなら書いてもいいと思える子でなければ、だめだということなのです。
半年前、この『童話的私生活』を書き始められたのも、ある子の助言があったおかげです。
そしてこの半年の間に書いた童話はすべて、女の子たちの誕生日プレゼントとして書かれたものばかりです。
もちろん、それは、ひとりではありません。
ぼくの童話的な私生活は、たくさんの女の子たちによって支えられているのです。
そうした子たちに書いてと頼まれたとして、
ぼくに断れるはずがないでしょう?
詳しい記録を取っていないのでなんとも言えないのですが、その後、約2週間をかけて【序】と、それに続く【中央図書館A】の冒頭部を書いています。
ところが『童話的私生活』はそこで中断。
そのまま作品は半年間放置されることになります。
中断の直接的な要因は、【中央図書館A】の冒頭部の後に挿入する予定だった短編小説『深海の鼓動』の改訂作業に入っていったから。
でもそれは、きっかけにすぎませんでした。
『深海の鼓動』の改訂作業を終えた後、戻るはずだった『童話的私生活』にぼくは戻ることはなく、そのまま一連の新作童話の制作に入っていったのです。
とはいえ、ぼくにとっての過去5年余りの生活が、かけがえのない童話的私生活であったということに対する疑いは、いまだ微塵もなく、相変わらず愛しいものであることに変わりはありません。
そのとき起こった環境の変化が単にぼくの目を過去から未来へ向けさせただけのことです。
そう、環境の変化。
そのひとつは内面的なもので、
それまでかたくなに守られてきたものを、ぼくはようやく破壊することができたようなのです。
それはぼくの世界の縁に存在する壁のようなもの。
ぼくという形を保つために必要な殻のようなものであって、
ぼくを定義するために欠かせないもの。
でもそれを破壊するということは、童話的、あるいは詩的な生活にとって、避けては通れない道だったようです。
世界を覆う壁が無くなれば、あらゆるものの流入を防ぐことができなくなります。
見たくないものを見たとしても、そこから目をそらすことはできず、
投げかけられた言葉は、ダイレクトに胸に突き刺さります。
それは非常にセンシティブな状態であって、
剥き出しの傷口を風にさらすようなものであるはずです。
そうした状態を自ら自覚し、
そうした状態を常に保ち、
たとえ傷ついたとしても構うことなくそのまま歩み続ける。
そうした決断を、ぼくはしたということです。
ただ実際には意識していなかっただけで、見渡せば、ぼくは既にそういった状態のまま断片的にではあっても、過去、歩み続けていた時期があったようです。
そしてそれこそが、ぼくのかつての生活が童話的であったと言える、最大の基盤となっているのでしょう。
今ではそれが分かります。
童話的な生活に欠かせないこと、
それは、心を開いたまま生活することです。
環境の変化。もうひとつは外的なものになります。
それまでのぼくの生活は、ぼく個人としてはそういう自覚はなかったものの、現象として表れている状態は、まさに引きこもりそのものだったはずです。
2008年から2009年にかけては特にひどく、
ぼくには17のときから20年以上付き合っている持病があるのですが、
その持病によってもたられる肉体的苦痛によって外出することもままならない状態が長く続いていました。
今も昔も人に対する接し方に根本的な違いがあるとは思っていませんが、
そうした状況ではすべてが受け身になり、守勢を張るのがせいぜいのところ。
その姿勢が守りなのか、それとも攻めなのか、
かつてと今とで何が違うのかといえば、おそらくそれだけなはずです。
今は攻勢一辺倒。
では、なぜその姿勢を守りから攻めに変えたのかといえば、
それはやはり、ぼくに残された時間を、ぼくは自覚しているから、ということになります。
今は体調も良く、20代前半の数年間と同じ状態が保たれています。
でもその状態は、やがては崩壊していく砂の城のようなものであるはずです。
かつてがそうであったように、
今度もまた、もって5年ではないかと思っています。
それはこの持病を抱えた以上、つきまとう宿命のようなものです。
そしてぼくはその先をイメージすることができません。
こうした状況では守ることに何の意味もないのは明らかです。
ケチらない。出し惜しみしない。すべてを手の内でまかなおうとしない。
つねに一期一会であり、その時あるすべてをそこに賭ける。
攻勢の先にあったものは、
出会いです。
今のぼくの生活は秋葉原を中心に回っています。
そこで出会った今もまだぼくのまわりにいる女の子たちとの出会いと、
この『童話的私生活』の起稿が、
明らかにその後のぼくのライフスタイルそのものを変えてしまったのです。
今のぼくの生活。
それは、かつての童話的私生活を完全に超越した童話的私生活であって、
ぼくは、ぼくの物語の中を自ら主人公となってリアルタイムに生き抜いている。
イメージとしては、そういったところでしょうか。
そこに現実感(リアリティー)はありません。
かつての生活が、清水の中で岩に張り付くカゲロウの幼虫のような生活だったとするなら、今の生活はまさしく羽化して空を飛び交うカゲロウそのもの。
一旦破壊された日常は再構成され、まったく新しいシーズン、新しいステージにチェンジしていったのです。
そのため、過去を振り返って昔話しを書くということに対する優先順位が一気に下げられ、そこに割く時間的な余裕がまるでなくなってしまったのです。
それが、『童話的私生活』を中断したまま再開できなかった最大の理由です。
ぼくはだいたい2005年の夏頃から小説を書き始めています。
そのとき何を思って書き始めたのか、さらにそのとき何を書いていたのかは、この物語を書き続けていれば追い追い明らかになっていくことだと思いますので、ここでは触れません。
ただ、過去5年の間に何度も執筆を試みては挫折と中断を繰り返し、満足のいくクオリティーのものをまったく残せていなかったと思っています。
書いても書ききれず、
何度も、何度も、何度も、何度も、挫折感とともに刻み込まれる肉体的、精神的なダメージ。
書けば必ず体調を崩し、書くことが結局は肉体的な痛みにダイレクトにつながってしまうという脳内の神経回路網に焼きついた経験を断ち切るのは、そうたやすいことではありません。
さらには自分の技量に見合わない作品を手掛けてしまい、生み出された作品の世界を台無しにしてしまったという罪悪感もあります。
この『童話的私生活』を、たとえその一部でも書き始められたということは、
そうした壁も打破できたということなのでしょう。
目の前に立ちはだかる壁を自覚している状態。
それが絶望です。
ただ絶望は、破壊すれば希望に転化する性質のものであることを忘れてはいけません。
逆に言えば、希望は、絶望なくしては存在しえないということでもあります。
最後にこの【序】について。
そもそも『童話的私生活』の【序】は捨てるつもりで書いています。
言ってみればそれは、宇宙に向かって飛び立つロケットの第一弾目のようなもので、
安定して飛べるようになる空の高みにまでぼくを引き上げてくれれば、それでいいわけです。
人の目に触れさせる必要もないものだとぼくは思っています。
ただそれでもこうして【序】を公開しているのは、
ひとつは、すでにこれを見てしまっている子がいるため。
そしてもうひとつは、ぼくにブログを書くよう勧めてくれた子への感謝の意を込めて。
彼女の口添えがなければ、ぼくがブログを書こうという気になったかどうかは、はなはだ疑問です。
【序】の中にも書いていますが、今のぼくは誰かのため以外の目的で物語を書くことはできません。
モチベーションも、インスピレーションも、さっぱりなのです。
ですからぼくが書くとすれば、
それは、
間違いなく、
ぼく以外の誰かのためであって、
しかもその誰かは、
ぼくの目の前にいて、
その子のためなら書いてもいいと思える子でなければ、だめだということなのです。
半年前、この『童話的私生活』を書き始められたのも、ある子の助言があったおかげです。
そしてこの半年の間に書いた童話はすべて、女の子たちの誕生日プレゼントとして書かれたものばかりです。
もちろん、それは、ひとりではありません。
ぼくの童話的な私生活は、たくさんの女の子たちによって支えられているのです。
そうした子たちに書いてと頼まれたとして、
ぼくに断れるはずがないでしょう?
☆☆☆*:.。.ほかにもお話しはたくさんあります.。.:*☆☆☆