※ 本日の記事は、前回の記事の続きですので、

まだ読まれていない方は、

ぜひ先に、2-65(←リンク) をご覧ください。

 

 

 

息子と家族を守るためには どうするべきか。

僕たち夫婦は 真剣に話し合いました。

 

 

この時 僕が感じたのは、

 

 

 

妻は 

義父母(妻の両親)に対して

とても恐怖している

 

 

 

ということでした。

 

 

中埜家では 

一子相伝(いっしそうでん)による

封建的・家父長的な考えが支配していた為、

 

 

このように育てられてきたのだと思います。

 

 

これを裏付ける

端的な例があります。

 

 

息子の生後4日目に(息子を養子に差し出させる目的の)養子縁組書類にサインをするよう強要された直後に、

 

 

義母が、

妻(そして僕)に対して、

 

 

 

(命令に従わなければ)

離婚が絶対条件

 

 

殴られるくらいじゃ済まされない

 

 

敷居をまたがせない

 

 

 

と脅したことでした。

 

※ 詳しくは2-39(←リンク)を御覧ください。

 

 

初出産を終えたばかりの実の娘” 

に対する発言だとは信じられず

僕は心底驚きました。

 

 

 

殴られる位じゃ済まされない

 

 

 

との表現は

“虐待” を容易に連想させます。

 

 

そして今回、

義父母から僕への要求は

更にエスカレートしており、

 

 

 

ロンドンの家にお前はいるということは

絶対もうこれからは許さない!

 

 

お前は(家から)出てけ!

 

 

 

との命令でした。

 

※ 詳しくは2-63(←リンク)を御覧ください。

 

 

この時、

息子はまだ 生後4ヶ月 ほどでしたが 僕に大変懐いており、僕が日本に一時帰国していた際には、息子がちっとも笑顔になってくれないので早く帰ってきてほしいと、妻が僕に嘆いてくれた程でした。

 

 

そして妻は、

家族は3人であり1人でも欠けると寂しい

と、僕の帰りを待ってくれていました。

 

 

ですので、

 

 

義父母による家族引離しの命令に

妻が恐怖したことは

想像に難くありませんでした。

 

 

 

このような状況の中…

 

 

 

僕たち夫婦は、

息子と家族を守らなければならない

との目標は一致していましたが、

 

 

アプローチの方法について、

意見が分かれました。

 

 

妻は次のように

僕に提案しました。

 

 

 

両親の命令には逆らえないので、

服従したように見せかける必要がある。

 

 

義父母に隠れて、

夫婦(息子と僕の家族3人)の交流を続けていくしかない。

 

 

 

つまり、

 

 

 

「離婚が絶対条件」との脅しに

従ったように見せる必要があるので、

偽装別居(さらに踏み込んで偽装離婚)をするしかない。

 

 

 

という趣旨でした。

 

 

義父母には絶対服従で逆らえない

という前提に立てば、

確かにこのような発想になるかもしれません。

 

 

しかし、

 

 

これに対する僕の考えは、

 

 

 

あまりにもリスクが大きすぎる

 

 

家族なのに、

なぜ隠れて会わなければならないのか?

 

 

 

でした。

 

 

妻が必死に

息子と家族を守りたい

と考えてくれたのは間違いありません。

 

 

それでも、

僕の目には ”問題の先送り” にしか見えず、

賛成できませんでした。

 

 

 

他方で、

 

 

これに合わせて、

 

 

妻は、

夫婦だけがアクセスできるブログを作る

という提案をしてくれました。

 

 

その目的は、

 

 

■ 家族がいつ引き離されてしまっても連絡を取り合えるようにするため

 

 

■ 将来の息子に、両親から愛されて育ったという事実を残してあげるために、”子育て日記” のように記録を残す

 

 

というもので、

これには僕も賛成でした。

 

 

ブログのタイトルは、

妻のアイディアで、

【Secret family】に決まりました。

 

 

【Secret family】とは、文字通り ”秘密の家族” との意味ですが、「何があっても息子と家族は守る」という強い思いを夫婦で込めたのです。

 

 

それまでも、同様のものは残して来ましたが、

目的を明確にしたうえで記録を開始したのは、この時からでした。

 

※ 【Secret family】の交流は、ミツカンが僕を国外(英国から日本)に飛ばして、仮処分裁判で敗訴した後も、義父母に隠れて続けました。

 

 

 

さて…

 

 

 

そうこうしている間に、

義父母がロンドンに来る日がやってきました。

 

 

 

私は(英国であなたに)

会う気なんかないよ、全く

 

※ 詳しくは、2-64(←リンク)を御覧ください

 

 

義父がこのように僕に発言したとおり、

僕と義父母は、この訪問時に会う予定はなかったものの、

義父母は僕たちの自宅に来る予定になっていました

 

 

僕に対して、妻子を置いて家と会社を出ていくよう要求しておきながら、義父母は わざわざロンドンの僕たちの自宅に来て、僕に息子の子守をさせている間に、妻と打ち合わせをするというのです。

 

 

 

何も自宅にまで押しかけて来なくても…

 

 

 

僕はこのように思いましたが、今思えば、

(実質的に) 孫の親権を手に入れていつでも追い出せるようになった娘婿(僕)を、義父母は相当に軽んじていたのでしょう。