※ 本日の記事は、前回の記事の続きですので、
まだ読まれていない方は、
ぜひ先に、2-57(←リンク) をご覧ください。
僕の決断について、
少しご説明致します。
一番悩んだのは、やはり、
養子縁組 ”不受理届”を
日本大使館に提出するかどうかでした。
※不受理届について、詳しくは2-45(←リンク)を御覧ください。
これは、
父親としての正当な権利である一方で、
義父母に対する敵対・反旗を意味していました。
僕自身には敵対の意思はありませんでしたが、
中埜家では、
”僕の考え” や ”正しさ” などは考慮されず、
ご当主である義父母がどう解釈するか
が絶対的基準でした。
僕は、重要な判断をどうするべきか、
古典や偉人伝を読みながら、
悩みに悩みました。
驚くことに、
歴史を振り返れば、
似たようなケースは沢山ありました。
一番感銘を受けたエピソードは、
江戸300年の時代の礎を築いた
徳川家康でした。
”忍耐” の人物と評価されることの多い 家康 は、当時従属していた織田信長に命じられ、苦渋の選択の末に自慢の息子(信康)を切腹させています。
詳しい背景は長くなるので割愛しますが、信長の娘と結婚した信康(家康の息子)が夫婦関係をこじらせ、これに信長が激怒し、家康に対して息子(信康)を切腹させるよう命じたのです。
家康にとって、この決断は断腸の思いであり、その後何度も「もし信康が生きていたら…。」と嘆いたそうです。
歴史には諸説あり、僕の理解と実際は異なるかも知れませんが、この説における家康の ”忍耐” に、僕は感銘を受けたのでした。
愛しい息子が元気でいてくれるだけ、
僕は恵まれているじゃないか。
ミツカンを辞めることなど、
大した問題ではない。
また仕事を
ゼロから始めればいい。
このように考えるに至り、
僕が出した答えは、
■ 勝てない戦いは避けるべき
※不受理届を提出することで、義父母が敵対(戦い)だと判断するという意味です。僕自らが戦いを望んだわけではありません。
■ 忍耐
※ 幼い頃から人質生活が長く、苦労を強いられて育った徳川家康は、”忍耐” に関する深みのある多くの言葉を残しています。
でした。
それともう一つ、
”至誠天に通ず”
(しせいてんにつうず)
という言葉がありますが、
※ 至誠とは、純粋な真心のことで、誠の心を尽くして行動すればいつかは必ず天に通じ認められるという意味です。
誠意を持って僕から頭を下げたうえで、
全面降伏をして、退職等の要求 をすべて飲むのであれば、
「父親や夫として家族を守りたい」という
僕の希望を受け入れて下さるはずだと考えました。
こうして…
”不受理届” を提出するタイミングは
何度もあったものの、
僕はこれを断念して、
書類を再度机の引き出しにしまったのでした。
※以前に不受理届の提出を断念したシーンについて、詳しくは2-45(←リンク)を御覧ください。
<徳川家康>