シェアハウスの廃業は、役所で手続きをしてあっという間に終わった。
廃業するって決めたかずがお母さんに連絡すると「あっそう。勝手にすれば」って、スピーカーになってるかずの手の中のスマホの向こうに、どうしようもなくイラついたのは俺だった。
元気?と、かずの様子を聞く言葉も無いまま切れた電話に、かずの親はもう居ないもんだと思った方が良いのかもしれないと思う。
かずはその電話をした日の夜、久しぶりにクッションをズタズタに切り裂いた。壁に頭をぶつけたりするることはなく、ただクッションをザクザクと切り裂いていた。
止めようとする俺から逃れるようにズタズタになったクッションを振り回すけど、それが俺に当たることはなく、ただ床や壁に向かっていた。
ハサミは床に置かれたままでそれを振り上げることも無かった。
ひとしきり振り回すと、パタリとクッションを床に落としたかず。
くしゃりと顔を歪めてポロポロと泣きだすのを見て、俺は改めてかずを守るんだって思った。
相葉さんの全部を受け止めて抱きしめていた櫻井さんを思い出す。
俺もあんな風にかずを守っていきたいから、どんな時だって寄り添って行く。
あの二人を見て感じたことを思い出す。
興奮してなかなか眠れない様子のかずに睡眠薬を飲ませて、髪を撫でながら眠るのを見ていた。
看板を外して、家の中も少しずつ変えていった。
潤と相葉さんの部屋は、それぞれが泊まりに来た時のために、そのままで置いておくことにして、櫻井さんの部屋を俺のアトリエにして。
とは言っても、普段はリビングで描いてる方が多いし、出来た作品を置いたり油絵を描く時以外はほとんど使ってない。
俺は一人で籠って絵を描きたいタイプだったはずなのに、かずの隣は特別だった。
かずがそこに居るだけで、イメージが無限に湧いてくる。
寂しい顔も、哀しい顔も、柔らかく笑う顔も、泣いて怒る顔も、全部が俺の感情を沸き立たせる。
その姿を残しておきたくて、どんな景色にもかずが居るように見えてしまう。
かずは時々、丸っきり俺を無視したり、ついてまわったり、イライラしていたり、泣いたりする日もあったけど、俺はそんな時もいつもそばにいた。
かずの中できっと色んな感情が渦巻いてるんだろう。
俺が絵を描くのに集中し過ぎて、誰か来たのに気づかなくて、かずに教えられることや、知らない間に洗濯が終わってたりすることもあったりしたけど、二人だけの生活はそうやって過ぎていった。
「かずー、行くぞ」
「ん」
定期検診の日、本屋さんに行きたいってかずが言うから少し早めに家を出た。
クリニックのある少し大きな駅に隣接するショッピングモールの中の大きな本屋に行く途中、かずの足がピタリと止まった。
そこはそこそこ大きなペットショップで、かずが立ち止まったその前には金茶色の毛がフワフワの小さなハムスター。
透明のケースの中でオガクズみたいなフワフワの木のクズに埋もれて丸くなって眠ってた。
ジーッと見つめるかずの目はキラキラしてて「可愛いな」って言ったら「うん」って小さく返事をした。
「かず、ハムスター飼いたいの?」
そう聞いた俺の方をパッと見て、それからまた金茶色のハムスターをジッと見つめる。
「飼ってもいいか、先生に聞いてみるか」
呟いた俺の声が聞こえたみたいで、「またね」ってハムスターに言って、やっとそこを離れた。
その後本屋さんへ行ってからも、見たいと言ってた本のことは忘れたように、ペット本のコーナーで熱心にハムスターの飼い方って本を見比べてた。
時間になっていつものクリニックへ行くと、すぐにかずが呼ばれて、俺もカウンセラーの先生に呼ばれた。
お母さんと少しだけ話をして、その日の夜にクッションを切り裂いた話をすると、先生からは色々と質問があって、思い出せる限りを出来るだけ細かく話した。
先生は、かずが他人を傷つけようとするのを避けようとしている傾向が見られるから、回復してきていますねと言って、このまま薬の量は変えずに行きましょうってことになった。
まだ不安定な部分も多いので、とても興奮した日は睡眠薬を飲んで眠らせてあげることも大事ですからと、改めて言われる。
ただし、翌日起きられないようなら飲ませすぎなので、量には注意してくださいってことも。
それからハムスターの話をすると、良いですねって言ってくれた。
待合室に戻るともうかずはソファーに座ってボーッと壁を見つめてたけど、ハムスターを飼ってもいいって許可が出たことを話すと笑った。
すぐに消えてしまった笑顔を頭のフィルムに焼きつけた。
受付のお姉さんから薬を受け取ると、無表情で「ハムスター」って呟くかずと手をつないで、あのペットショップへと早足で歩いた。