あの時あなたが手を引いてくれたから
その手が暖かかったから
僕は泣かなかったんだよ。
だけど離れていった手が寒くて
そばに居ないことが淋しくて
何度も何度も思い出して泣いた。
あれから何年も過ぎて、もらった連絡先に自分でかけられるようになった頃には、あなたが僕を覚えてるなんて思えなくなってて、結局一度も鳴らすことの出来なかった電話番号は、握りしめたせいでぐしゃぐしゃのまま机の中にしまってある。
あの日
ほんの数時間の思い出が
今も僕の中で輝いてる。
智、僕のことあなたは覚えてますか?
あれは、僕が小2の頃。
普段は忙しくてなかなか家にいないお父さんが、久しぶりに休みがまとまって取れたって言って、初めて夏休みに家族旅行に行った時のこと。
「海水浴行ってみるか?」
なんて、お父さんの一言でお母さん、姉ちゃん、僕それから言い出しっぺのお父さんの4人で隣の県の海水浴場へと出かけることになった。
せっかく行くんだから泊まりで行こうと言うお母さんが、早速ホテルを調べて電話をかけ始める。
あっという間にホテルの手配を済ませ、翌日朝から車にぎゅうぎゅうに荷物を積むと、お父さんの運転で海へと出発した。
俺はプールでは泳げるけど、海に行くのは初めてで、楽しみなような怖いような複雑な気持ちだったけど、姉ちゃんはなんか楽しそうに「和、貝殻あつめよー」なんて言ってる。
2つ年上の姉ちゃんはすごく元気で、当時からマイペースな人だった。
2人で話してるうちに眠くなって、高速に乗った頃にはもう眠っていたらしい。
ほら着いたぞって起こされた時には、もうホテルの駐車場だった。
まだ昼前だったから、ホテルのクロークに荷物を預けて水着やなんかを持って早速ホテルから見えてる海へと4人で歩いて行く。
初めての海はしょっぱくて、浮き輪に捕まってゆらゆら揺れる波に揺られて、ぷかぷか姉ちゃんと浮かんで遊んだ。
波打ち際に立っていると、波が寄せるたびに足が少しずつ埋まっていくようで面白くて。
海の中はちょっと怖かったけど、それでも楽しい旅行に僕もワクワクしてる。
ホテルに戻ってチェックインを済ませてお風呂に入る。
ホテル自慢の大浴場でお湯に浸かろうとしたら、日焼けした肩が痛くて飛び上がって。
あははって笑ったお父さんも「痛ってー」って
小さな声で言ったから、僕も面白くなって笑った。
お風呂の後、お部屋でお刺身や天ぷらの夕食を食べるともう眠くてしかたなくて、もう敷かれていた布団に転がった。
目をつむると、海でゆらゆら揺れてた時みたいに布団が揺れてる気がする。
僕は少し気持ち悪かったけど、眠い方が勝ってすぐに眠ってしまった。
智に初めて会ったのは、その翌日のことだった。