退役 | 【Real.アジング~真実へ~】第5章

【Real.アジング~真実へ~】第5章

令和4年1月、50歳で陸上自衛隊を依願退職。釣りメーカー【MIZAR】を立ち上げ奮闘中!アジングの楽しさを伝えたい。ただ、意味のない過大表現や偽りでアングラーを煽って製品販売する気はない。真実を伝え、それでもなお楽しいのが本物の釣りの楽しさである。

2022年 寅
 
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします!
そして1年振り?くらいのブログの更新。
 
本日は新年のご挨拶と共に【退役】のご報告になります。
 
【退役】とは・・・
退役(たいえき)とは、役務から退くこと。主として軍人が軍務から完全に退くことを指す。また艦船や航空機などが運用を終える場合にも使われる。(Wikipedia)
 
ということで私、中村剛士は令和4年1月1日付をもちまして約30年勤めた陸上自衛隊を退職しました。
 
さて、これまでの私の自衛官人生を振り返ってみる。
 
平成元年3月、高校を卒業しマツダの関連会社に野球をやる為に入社。(軟式野球1部リーグで結構強かった企業)
同年夏?だったかな?某大会で最優秀投手賞を頂くも仕事自体に何のやりがいも感じることが出来ずに1年もせず退職。
約半年は遊び呆けていたのだが、『このままでは俺の人生はクソ人生になってしまう』と翌年平成2年3月に自衛隊の門を叩くことになる。
 
何故?自衛隊に入隊しようと思ったのか???(笑)
当時、特にやりたいことも無かったのだが、自分の父親(以下オヤジ)が元自衛官であり、しかも世界的にも精鋭部隊である千葉県習志野市にある第1空挺団に所属していた。
小さい頃からオヤジには自衛隊での厳しい話を色々と聞いていたし、その世界で自分自身を鍛えなおそう!(笑)と考えて入隊。
 
平成2年3月末、当時はまだ存在していた第112教育大隊第318共通教育中隊(山口市)で前期教育を受けることになった。
『自衛隊って、みんな筋肉モリモリでガタイの良い奴ばっかりで、俺はついていけるのか??』
高校を卒業して就職はしたものの、半年は遊び呆けていた私はそんな思いであった。
 
が、しかし!!!
 
自分が思っていた自衛官像とはかけ離れた現実を垣間見ることになる。(笑)
 
入隊同期は60名くらい。自衛隊には【体力検定】なるものがある。
当時の種目は、1500M走・100M走・懸垂・幅跳び・50Kgの土嚢担いで50M走・ソフトボール投げの6種目であり、その体力検定で私は60人中の1番(自慢)。
 
『おいおい!オヤジ!聞いてたのとは全然違うじゃね~か!!』
『俺、簡単にエリートになれるじゃん!!』
 
ぶっちゃけそんな思いであった。
 
そして教育終盤、精鋭部隊である第1空挺団任地(職種)を決める
 
唯一のエリート空挺部隊

陸上自衛隊には「精鋭」と呼ばれる部隊がいくつか存在しますが、その中の筆頭候補が「第1空挺団」です。読んで字の如く、この部隊は輸送機からのパラシュート降下を行う空挺部隊であり、その隊員は全国津々浦々から集められたエリートが揃っていることで有名です。ただし、パラシュート降下のみを実施するわけではなく、作戦によってヘリを活用したヘリボーン作戦を展開することがあります。(海洋国防記からの引用)

 

この空挺団に入隊するには通常の一般部隊の入隊には無い試験(体力系)がある。

60名中この試験を受け、合格したのは3名。

当然、私も合格したのだが・・・・・

 

当時は(今もかも?(笑))入隊時には丸坊主(3mm以下)みたいな掟がありけり・・・・(泣)

 

高校野球で3年間ずっと坊主頭だった私・・・・・

 

19歳でまた丸坊主かい!!

 

で、簡単に己の信念を曲げ、第1空挺団の入隊を辞退することに。

 

そして選んだ職種が【輸送科】という読んで字のごとく車両等で色んなものを輸送する後方支援部隊である。

任地は東京都練馬区と埼玉県3市にまたがる朝霞駐屯地。

ここで大型免許を取得させて頂き、2年間(1任期)勤務して退職。

 

退職の理由は・・・・・

『やってもやらなくても給料変わらんし・・・』

 

そんな理由であった。

まあ、公務員自衛隊であるから当たり前なんだけど・・・

 

いろんな結果を出していても同期と給料変わらない、頑張っても頑張らなくても給料同じ。

当時はそれが嫌だった。

 

そして広島に戻り、【造園業】の会社に入社。

社長と合わず(私がガキだった)半年でプー太郎兼、パチンカス生活。

 

この時、21歳。

2度目の悟りを感じることになった。

毎日、毎日、好きな事をしている生活を半年も続けると人間は悟るね・・・・

 

『人間は働かないと日々が楽しくない』と。

 

そして平成5年1月、再び自衛隊員となる。(笑)

 

あれから28年間色んな事があった

 

平成7年 阪神淡路大震災への派遣から始り中越地震・東日本大震災・熊本地震など地震に対する派遣の他、近年では各水害に対する派遣、豪雪のための派遣、去年は三原の鳥インフルエンザの殺処分にも・・・・・

 

等々、日本全国の災害等に行くことで色々感じるものはあったね。

でもやっぱり1番衝撃を受けたのは、平成17年にイラク復興支援群としてイラク(サマワ)での経験かな。

 

こんな事を書くと『日本の為にお疲れさまです!』とか『ありがとうございます』とか民間の方は思うだろうけど、私からすれば

【当たり前】の事。

 

だって、給料(国民の税金)を頂いているわけですから。

無給料で奉仕してるのであれば尊いのかもしれないが、感謝されることは素直に嬉しいのだけれども、給料を頂いている以上当然の事を仕事としてやってきただけですね。

 

とはいえ、愛国心は持っているので何かあれば特攻でもなんでも行ってやろうと思ってましたが(笑)

 

ということで・・・・

 

 

 

 
制服を脱ぐ
 
 
最終出勤の除隊式では20代~30代で乗っていた戦車を運ぶセミトレーラーの模型を頂いた(泣)
 

 
全幅3,29M 最大積載量40t
 
そして妻との慰労会ではまさかのサプライズプレゼントを頂いた
 
(ミリルメンバーさんより)
さらに【ひろし工房】から。
 
有り難いし、私の自衛隊勤務に一片の悔いなしな訳で・・・
失敗や反省する事は多々有るけど悔いは無いね。
 
 
こんな私の性格だから敵も沢山作ってきたし、全て撃破してきた(笑)
 
今、考えると撃破した方々に申し訳ない気持ち・・・。
 
けど、その時はそうする事しか出来なかったし、反省はしているが後悔は一切していないのが本音かな。
 
結局、最後まで自分の我を全面に出して勤務した。
 
それは良かったのか?悪かったのか?
 
人それぞれの考え方、価値観があるわけで良きことか悪しきことかを一括りにすることは出来ないだろう。
 
最後に・・・・
 
 
トータル30年間、色んな事は有ったけれど、楽しく勤務することが出来た。
 
自衛隊在籍間、関わってくれた方々に一言
 
ありがとうございました。
 
そしていよいよ!
 
釣り業界に殴りこみ!(笑)
 
今後はこのブログで色々発信していきますので更新をお楽しみに!
 
 
ごきげんよう!