誰かがデカいの釣ったとか、沢山釣ったとか…
誰かが有名アングラーと一緒に釣りしたとか…
誰かがちょっと有名になってチヤホヤされてるとか…
ブログに一杯コメントがついてるとか・・・
そんな事に対して嫉妬する人間
あ~だこ~だと陰で囀る嫉妬人間
めんどくさいよね
趣味の釣り
純粋に釣りを楽しめないのかな?
さておき
俺が真実を書けば勘違いする理解力の無い頭の悪い人間もいるけど…
ただの【真実】なんだよね~
『アソコのアジは簡単に釣れます』
『俺は簡単じゃ趣は感じない』
『あのロッドの性能は普通です』
『このラインは切れ易いよ』
『カラーなんざ関係ねぇよ』
はい。それは全て【真実】です。
気分は悪くなるかもしれないけど【真実】
キミの大好きなラーメン屋
しかし、そのラーメンのダシはどこにでもある【業務用鶏ガラスープ】
キミはその【真実】を知らない。
そして俺が真実を伝える…
『アソコのラーメン屋のは業務用スープだったよ、味は普通だな。』
『俺はウマいとは思わない』
と、言ったら
ムッとするキミ。
そんな感じ。
勘違いしないでほしいんだけど…
【業務用鶏ガラスープ】でも別に良いじゃん。
キミが好きならそれで良いんじゃね?
俺は【真実】を言ってるだけ。
【業務用鶏ガラスープ】だろうが【秘伝のスープ】だろうが…
俺にとってはどうでもいいし、キミが好きならそれで良い
ただ、誰かが【秘伝のスープ】だ!
って言ってた店のスープが実は…
【業務用鶏ガラスープ】だった真実を書いてるだけ。
まあとにかく
『好きにすれば良いじゃん。』
って話しだ。
以前、とある方に『海猿のブログはアンチテーゼ』な内容だと言われた事が有る。
アンチテーゼとは・・・
反定立(はんていりつ)【哲学 】:ヘーゲル の弁証法 で,出発点である定立が発展の過程で否定され,全く新しい段階として現れた状態。
また,定立の命題を否定する命題。反措定。反対命題。アンチテーゼ 。反立。
ある理論・主張を否定するために提出される反対の理論・主張。
もっと解り易く言うと・・・
「テーゼ」・・・肯定
「アンチテーゼ」・・・“肯定”を否定する為の肯定
漫画「美味しんぼ」で、『究極のメニュー』をテーゼとするなら、『至高のメニュー』がアンチテーゼです。
野球でいうと、『巨人ファン』をテーゼとするなら、『反巨人ファン』がアンチテーゼです。『反巨人ファン』のことを、“アンチ巨人”なんていう時もあります。
ベストアンサーより引用
まさに指摘を受けた通り、このブログ記事はアンチテーゼな内容が多い。
それは何故か?
いつも言っているが・・・
『胡散臭いのが大嫌い』
『真実でない事を利用して偉そうにしてるのが大嫌い』
『その偽真実にダマされたアングラーも多々見てきた』
だからである。
有名アングラーの発する理論や内容をブッタ斬る内容が多いのだが、
真実だと感じる部分は否定する事は無い。
前記事の様に【釣れた事実】に後付けした【胡散臭い似非理論】の記事
そんな風に書くことで・・・
◎素晴らしい!洞察力
◎凄い!技術
◎冷静な状況判断
◎スゴイ!対応力
海猿ってスゴイ!!!となるワケだ
そんな真実では無い胡散臭い似非理論を利用する野郎
さも、自分は凄い!ってアピールしたり商売道具にするバカ野郎。
それが大嫌いな訳、俺は。
さて
釣りって色んな楽しみ方がある
◎自然の中に居るだけで楽しい
◎ウキが沈む瞬間が堪らない
◎暴力的なファイトが痺れる
◎誰よりも沢山釣ってやろう
◎誰よりもデカいの釣ってやろう
◎俺の釣った魚を振る舞ってやろう
◎手元に来るバイトの瞬間が痺れる
◎デカいの釣って自慢しよう
◎沢山釣って自慢しよう
◎楽しい仲間との釣りが楽しい
◎高級タックルで優越感を感じたい
◎釣り場で蘊蓄かまして優越感
◎有名アングラーになってチヤホヤされたい
◎メーカーに携わりたい
◎開拓するのが楽しい
◎釣りチームを作り楽しみたい
◎自作仕掛けやタックルで釣る楽しみ
◎追求するのが楽しい
とまあ、ちょっと考えただけでも釣りの楽しみ方は山ほどある。
どれも【釣りの楽しみ方】であるのに間違いは無いし、どの楽しみ方が偉いとか素晴らしいとか問題ではない。
そして、その【釣りの楽しみ方】を大きく二分すると…
◎自分自身としての楽しみ方
◎他人の反応による楽しみ方
大きくはこの2つに分類される。
◎自然の中に居るだけで楽しい
◎ウキが沈む瞬間が堪らない
◎追求する楽しみ
等は、そこに他人の存在は全く関係ない。
これは、【対自分の楽しみ方】である。
一方、
◎誰よりも沢山釣って自慢
◎仲間と釣りするのが楽しい
◎高級タックルで優越感
等は【釣り】そのものではなく、
【他人を必要とする楽しみ方】
自分以外の誰かを必要とする楽しみ方である
当然、その双方の楽しみ方を融合して楽しむ方法があり、殆どのアングラーは両方で楽しんでいると思う。
俺もそうだし。
何が言いたいかって?
●対自分の釣りの楽しみ方
は純粋に【釣り】が楽しいワケだが…
●対他人の釣りの楽しみ方
は、これは主に他人の評価が関係している
って事だ。
本来【釣り】というものは、対自分の楽しみ方である。
しかし、人間は誰でも【他人の評価】は気になるものである。
【誰よりも沢山釣る】事を自慢する記事
自分もこうやってブログを書いている事自体が対他人の楽しみ方であるのは間違いない。
けどね~
俺にとってその【対他人の楽しみ方】比重は僅かなものであり、純粋に【釣りが好き】な訳、俺は。
楽しい仲間との釣りは尚楽しいけど・・・
世界に独りぼっちになってもアジングをやるよ俺は。
さて、【対他人の楽しみ】っていうのは
ファッション好き
お洒落好き
というのと同じだろう?
例えば、誰も居ない無人島に独りぼっちになり暮らすことになった時
お洒落好きな人間はファッションに拘るのか?
誰に会う事も無いのにお洒落するのか?
多分、NOだろう
ファッション好きの趣味は間違いなく
【対他人の趣味】
地球上に独りぼっちでもお洒落する人間は居ないハズだ。
同じ様に、独りぼっちになったらアジングはしないのが【対他人】に比重の大きなアジンガーである。
カラオケは??
基本、主に対他人の楽しみであり、独りでカラオケに行っても楽しくはないハズ
しかし、本当に【歌う】事が好きならば独りでカラオケに行っても楽しめるだろう。
趣味の【釣り】
◎自分自身としての楽しみ方
◎他人の反応による楽しみ方
そのどちらも否定する事は無い
ただし、ここで問題なのが…
対他人の楽しみ方に起因する問題の数々
そしてその【他人の評価】っていうモノが、嫉妬や妬み、嘘、偽り、疎外感、アホな競争心
これを生む。
それは、2つの楽しみ方のどちらに比重が大きいか?
これが大きく係ってくると感じる。
◎他人の反応による楽しみ方
この楽しみ方に比重が大きいアングラーほどめんどくさい事が多い。
勘違いしてほしくないところで・・・
◎他人の反応による楽しみ方
それは悪い事でも無い。
そればっかだとめんどくさいアングラーになり易いって事。
人間がデキているアングラーはそれでもめんどくさいアングラーにはならない。
という事で・・・・
趣味の釣り
◎自分自身としての楽しみ方
として
釣りそのものを楽しむ事に比重を置く事。
その方が楽しいよきっと。
ちなみにこの男は爆記事で鼻息が荒くなりすぎて血が・・・
間違いなくこの男は
純粋に【釣り】というものを楽しんでいるといえるだろう。
おしまい。
今日の【名言】
誰でも友人の悩みには共感を寄せることができる。
しかし友人の成功に共感を寄せるには
優れた資質が必要だ。
- オスカー・ワイルド -
(アイルランドの詩人、作家、劇作家 / 1854~1900)