東京オリ・パラのころ(18)―百々橋の礎石―。かつてこの地に流れていた小川(こがわ)。百々橋(どどばし)は、その小川にかかっていた橋でした。 小川は、昭和40年に埋め立てられ、石橋に変わった百々橋も解体。その後、地域の尽力により礎石が戻されたそうです。 百々橋から一条戻橋までの一帯が、応仁の乱では主戦場に。今回は、応仁の乱に対する関心から訪れてみました。 この日の昼は、京都発祥のラーメン店にて。いつものように「中華そば」の「こってり」をいただきました。