自己犠牲の精神を忘れた愚かな論調を疑う(2)
【小林よしのり氏の投稿より】
忘れてはならないのは、どちらかが降伏するまで破壊、殺人行為は互いに
繰り返すため無傷でいられる国民は互いに僅かであるということです。
どんなに偉そうなことを言っても、所詮、自分や自分の家族が理不尽に
死ぬとは想像もしていない。
漫画の主人公は戦争では死なないので、みんな自分が主人公として無意識に思っているだけです。
それか、権力者に同化させているだけです。戦死するとしても俺以外の人間だと。
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■一般国民、自衛隊員、政治家等すべて役割を無視して同義で語る典型的な情緒的理論展開です。
特に政治家に対しては、「権力者」という使い古された左翼的表現を使われていますね。
日本は民主国家であり、選挙によって選ばれる存在であることには論ぜられていません。
今回の安保法制の改正案は日本国の安全保障と国際平和への積極的協力のために行うものです。
自衛隊のみでこれらを実現できない以上、米国等と共同で「力による現状変更を許さない」姿勢を法的根拠とともに確立することは、
我が国のみならず、周辺国を含めた喫緊の課題であることはもはや周知の事実であります。
安保法制反対派の意見には、二通りあります。
ひとつは、情緒的反対論。
現状をまったく無視した「非武装安全論」や「外交ですべてまかなえる論」などがこれにあたります。
「公正と信義を信頼できる国家がすべてではない」現実が理解できない論調は出発点が違うので、普通に説明しても難しいでしょう。
またこうした論調を組織的に展開するものの中には、意図的に「日米の結束を望まない」外国勢力の工作活動も存在することも申し伝えておきます。
二つ目は、「自衛隊のみで国防が可能だ」という米国との連携に反対する意見です。
独立国としての将来的理想としては中丸も同意するものではありますが、現実的に自国の核武装は勿論、現在の憲法・安保法制だけでなく、
防衛予算や自衛隊の装備・訓練をとってみても、現在の能力では実行能力のある抑止力には残念ながら至っていない現実があります。
これは自国のみで判断するのではなく、周辺の動向(中国の軍拡、スプラトリー等)や領海・領空侵犯の頻度を鑑みれば明らかであります。
日米だけでなく、ASEAN諸国や他の信頼できる民主国家などとの連携なくして戦争を回避して平和を守り抜くことは出来ないことを申し伝えておきます。
日本人だけでなく、自己犠牲の精神は国際的に尊いものであり敬意を表されるべきものです。
この自己犠牲を尊ぶことが理解できない人とは、議論にすらならないのではないかと考えてしまいます。。。
戦後教育で「自己犠牲=悪」と刷り込まれた自虐史観とはこれからも論争が続くことでしょう。