五月晴れの空に、鯉のぼりが映える季節です。

五月五日は、子供の日。

子供たちが、力強く、健やかに育ってくれることを願う日でもあると思います。

 そして、次世代を担う子供たちが、夢と希望を描ける街に、地域に、国にしてバトンタッチしていくことが、大人達の務めではないだろうかと、子供の日に思います。

 

 さて、合氣道に力はいらない、米糠三合持つ力があればよい、と言われます。

また、稽古の中で、よく、力向けと言われます。

 中今塾は、今年20年を迎えますが、振り返ってみれば、これまで、「合氣道は強いだけではいけない」という考え方が、稽古の中心であったように思います。

 力に頼り、力任せに相手を投げつけるような稽古をするつもりはありませんが、この「合気道は強いだけではいけない」という言葉には、前半のフレーズがあり、「合氣道は強くなければいけない、されど、強いだけではいけない」というのが全文になります。

 これまでの稽古が、後半のフレーズの「強いだけではいけない」ということが強調されすぎて、合氣道の強さ、厳しさということが稽古の中で薄れていたかもしれないと思うことがあります。

 

 「合氣道は強くなければいけない」

強くなるとは、どういうことでしょうか。

ただ単に、腕っぷしを強くする、ということではないと思っています。

 しっかりとした中心を作る、揺るがない中心軸を作る、ということだと、今、私は思っています。

 植芝守央道主は、「合氣道は、呼吸力を使った入り身と入り身転換の術(法・道)」と仰います。

 この呼吸力をつけることが、強くなることだと、思っています。

 

 呼吸力とは、何なのか。

残念ながら、目に見えるものではないため表現するのが難しいのですが、私は、丹田から出る力、と今は、表現したいと思います。

呼吸力を養成することで、中心軸ができ、強い自分が、できてゆくと思っています。

 稽古の中で、呼吸法の稽古があります。呼吸法は、呼吸力養成法ともいわれ、呼吸力をつけるために稽古するものだと思っています。

 ところが、座技呼吸法では、よく座り相撲と言われるように、力任せに相手を倒そうとして力の頑張りあいになることがあります。

これでは、呼吸力養成法の稽古にならないと思います。

 取りは丹田からの力を出し、受けは丹田で相手の力を受ける。

これにより、取りも受けも呼吸力が養成できるのだと思います。

 

 呼吸法の稽古を大事にして、強くなることを意識して、稽古したいと思います。