霧の街、釧路の思い出は? | 飯寿し屋おやじの独り言

飯寿し屋おやじの独り言

飯寿しや魚醤などと言った、
北国の食文化を創造し生業としている弱小企業の経営者の独り言です。
当社の息吹が少しでもお伝え出来れば幸せです

今日は朝から快晴の素晴らしい天気になった、当社地元の北海道伊達市です。

気温も25℃を超え、早くも夏到来を思わせる暑さになったのですが、「まだ6月なのに」

と思ってしまいますが、これも地球温暖化の影響なのでしょうか?

 

さて、先日から新たなブログのテーマとして書き綴っておりますが、私、中井英策商店

代表の及川昌弘の生まれから始まる半生の物語ですが、今日は生まれた町、北海道東部

の港町、釧路市についての思い出を書き綴ってみたいと思います。

 

釧路市は、北海道東部の漁業の盛んな街として発展した歴史がありますが、その漁業も

200カイリ問題が起きてから、遠洋漁業の不振や石炭産業の衰退もあり、かつての賑わった勢いはすっかり無くなってしまいました。

 

この町で生まれた私は、前回まででお伝えしたように、幼い頃から自宅近くを走る鉄道の魅力にすっかり取りつかれ、毎日学校から帰ると、線路に遊びに行く毎日でした。

 

その釧路市ですが、夏でも暖房が離せないほど、寒い町でもあります。

同じ北海道でも、札幌は暑くてクーラーが・・・、と言っている時にでも、釧路ではストーブを炊いて・・・、などという日が珍しくないほど、寒い町の印象が残っています。

 

そして、もう一つの名物が「霧」です。

朝夕にひろがる、まるで「雲海」のような霧、濃霧はすっかり釧路の名物になっています。

 

この霧が、良いのか?良くないのか?は、見解の分かれるところだと思いますが、私はこれはこれで良かったのかな?と思います。

何故なら、今でも朝霧がこの伊達の街に立ち込めると、釧路のあの光景を思い出すからです。それぐらい、幼い私を強く印象付けたあの光景だったのでした。

 

そんな釧路ですが、大人になり社会人として出張で釧路を訪れた時、ビックリしたのが、幣舞橋を渡り、ロータリー交差点に繋がる駅前通りの沿線に、ナントサラ金の看板が多かったことか・・・!!これには少しびっくりしました。

そこで、ある地元の経済界の方に聞いてみると、「あれは印象悪いよね・・・、釧路は遠洋漁業の街でしょ?借金しても、遠洋漁業で儲けて、借金もその時返せば良い…みたいな風潮があって、気軽に借金してしまう土壌が根づいているんだよ」というお話を聞いたことがあります。

 

さすがに今ではそんなことは無いでしょうが、そんな釧路市の市民感情もあるのには驚いた事があったことを思い出しました。

 

 

そんな霧の街、釧路で生まれた私は、小学校1年の秋に、いよいよその釧路を離れ、大都会札幌に移り住むことになるのですが、そこからまた札幌市内を転々と移り住むことになるのですが、それはそれでとっても楽しかった印象があります。