鉄道マニアは幼少期から始まった | 飯寿し屋おやじの独り言

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飯寿しや魚醤などと言った、
北国の食文化を創造し生業としている弱小企業の経営者の独り言です。
当社の息吹が少しでもお伝え出来れば幸せです

さて、ふと考えてみると、このブログを書き始めてから一体何年が経ったのか?

と思うと、もう14年を超える年月が経っておりました。

相変わらずの無精者で、マメではない私が書くブログが一体いつまで続くのか?

と思ってしまいますが、まあ何とかひと月に数回でも、書き続ける努力を続けて

いますが、どうしても「間」が空いてしまいます。

 

そこで、ブログやSNSなどをマメに続けておられる仲間の経営者の方に先日、

「続けるコツ」をお聞きしたところ、「それはね・・・・」と前置きした後で、「何か、書かざるを得ないような状況、テーマに取り組むのも一つ方法。例えば今週は、このテーマ、来週はその続き、みたいな感じで・・・」などと言われました。

「そうしないと、ただ思いついたことを書き綴れ!!」と言っても、なかなか続かないとのことでした。

 

なるほど・・・、継続するための課題、テーマを作ろう!!と思い立ち、

今週は、私、及川昌弘の生い立ちから、小学校時代へ、そして次週は、中学校時代から高校、大学と、若かった、幼かったあの頃をテーマに書き綴ってみたいと思います。

 

宜しければ、お付き合い下さい。

 

私、キンキのいずしでお世話になっております、中井英策商店社長の及川昌弘ですが、1957年昭和32年12月23日、北海道釧路市の釧路市立病院で生まれたそうです。

 

父が、及川昌三郎、母が智恵子の長男として生まれたのです。

ちなみに父は、岩手県の太平洋岸、リアス式海岸で有名な三陸海岸に面した大船渡市越喜来出身、母親や山形県酒田市遊佐町の鳥海山の麓出身です。

そんな二人が、北海道の紋別市で出会い、釧路市に移り住んで結婚し、私が生まれたということになっています。

 

釧路市は、北海道東部の太平洋に面した町で、道東地域では最大の人口の街で、漁業や太平洋炭鉱、製紙業などの基幹産業で、永年北海道では4番目の人口の多い町でしたが、遠洋漁業や炭鉱の衰退もあり、現在は人口17万人の地方都市になっています。

 

この町で、生まれた私は、釧路市の新富士という地域で育ち、近くを通る鉄道が大好きで、毎日線路を走る貨物列車や太平洋炭鉱から積み出される炭鉱列車などを見に出かけていた幼い頃でした。

ある時、鉄道の線路の上で遊んでいて、鉄道の関係者の方に怒られ、何と自宅まで担いで来てもらったこともあるそうで、母親はその方からこっ酷く怒られたそうです。

 

それでも、母親には「また機関車見て来たの?」と言われ、「うん」と言って、ご飯を食べてはまたすぐに線路に行っていたそうです。そんなに大好きな鉄道ファンは、今でも続いていて、66歳になった今でも鉄道を見るとワクワクしてしまう自分がいるのです。

 

鉄道ファンの素養はこのころから始まっていたのでした・・・・。

 

(次回に続く)