ロンドンへの帰国便で最後に観た映画はピーター・ウィアー監督、アンドリュー・ニコル脚本原作 の『トゥルーマン・ショー』(1998)。映画の題名はずっと前から知っていたけれど、明るいアメリカ人の代表のようなジム・キャリーが苦手で今まで一度も観たことがなかった。まさかSFでビッグブラザー系の話だったとは完全に予想外。しかも、原作脚本が『ガタカ』『タイム』の監督であるアンドリュー・ニコルだったとは。彼の映画はコンセプトが強烈なので忘れられないものが多いけれど、『トゥルーマン・ショー』も例外ではない。この話は一体何を言いたいのか、CCTVなどの監視システムに取り込まれた生活を揶揄しているのか、生まれてからずっと秘密裡に役者たちに囲まれながら偽りの人生をTV放送されてきたトゥルーマンの人権侵害についてなのか、盗撮についての批判なのか、疑似世界であるドーム内の小さな世界に安住している人に対する皮肉なのか、と色々考えてしまう。あらすじは…

 全く知らないうちにリアリティ番組『トゥルーマン・ショー』の主役を演じていたトゥルーマン・バーバンク(ジム・キャリー)。このショーは、生まれた日からのトゥルーマンの行動をすべてノンストップで生中継していた。彼の周りにいる人々は役者でフェイクな存在。生まれてすぐから養子に出された彼をTV局がボタンカメラなど5千ものカメラを通じて盗撮し続ける。妻メリル(ローラ・リニー)が突然商品のコマーシャルを話し始めたりするので何かがオカシイとは感じつつ、父の水難死亡事故以来水が怖くて生まれ育った島から出られないトゥルーマンはどう現状を打破するのだろうか?

 

 何しろ設定が面白い。海に囲まれた米国の小さな島にトゥルーマンは住んでいるのだが、この島は米エンジニアのバックミンスター・フラーのジオデシック・ドームのような形をした金属製のドームに囲われている。このTV番組の企画をしたクリストフ(エド・ハリス)が天からの声をドーム内に響かせる神様のようなビッグ・ブラザー的存在。ただし、この神様はトゥルーマンが外の世界に出たがらないようにするため、番組内で父親を海で溺死させたりする(役者は生きている)ので、トゥルーマンが生きる世界はディストピアと呼んでいい。このような監視社会の原案はジョージ・オーウェルの小説『1984』がもとになって、応用したリアリティ番組は『ビッグ・ブラザー』、映画では登場人物が殺しあうデスゲームをリアリティ番組として放映する『ハンガーゲーム』シリーズなどこれまで数々の展開が見られる。同時に小さな世界から出られない設定は漫画とアニメにもなった『進撃の巨人』とも共通する。漫画家の諌山創のインタビューで閉塞感の強い狭い田舎町から出られない状況を漫画に反映させたとあったが、それは場所にかかわらず私の場合は最初に就職した企業内に感じた閉塞感だった。「この世界から一生逃げ出せないなんて」という絶望感に打ちひしがれ、退職してロンドンに来て全くのゼロから生活を立て直したものの、ここでも既に別の閉塞感が生じている。「結局外国に出ても人生のパイは一つ」との友人の言葉に納得して諦めているけれど。こうした背景があるから余計に影響されたのかもしれないが、この映画が示唆する問題点は哲学的で反芻して考え続けてしまう。

 

Netflixの日本語版予告編があまり良くないので英語版