アマヤドリ「人形の家」疾走版を見て
この一文を草するきっかけは、中日を過ぎたアマヤドリ「人形の家」疾走版の前説的なパートの演者が、版に対する意見として賛否両論あると言いつつも、否の意見をたいそう恐れているかのように感じられたことである。
否の意見が出てくるのは、この版が論争を呼ぶという点で十全に機能していることを示すものと思われる。すなわち否定的な見方が出てくること自体は本来は厭うべきことではないはずなのだが、観客から寄せられた否定的な意見は、演じる側にとり、恐れをなすほどの熱量を持っているのだろう。
この版で演じられているのは、イプセン「人形の家」を受容する過程で試みられた演出たちから抽象された芝居であろう。抽象であって試みそのものでないのは、観客の受け止めやすい形にしたが故と理解する。見られることのない芝居は、芝居では無いからだ(いささか余談めくが、この葛藤が、開幕すぐの、初日に於いてはタイトル由来のモチーフを演じていたと思しきパートの芝居の変容に関わっていると筆者は考える)。
否定的な意見は、観客たちにとって、試みの過程を見せられることがすなわち自らの無様さを見せつけられるものと受け止めることから生じるのだろう、無様さを見せつけられている、まったくその通りなのだけれども。
正解に至るには誤りを認めなければならない、いかに無様であれ、無様は無様なままに、受け入れなければならない、生き様とかなんとか武張っている場合じゃないのだ。
否定的な意見を抱くことは鑑賞者の自由である。それは当然だ。けれども、その意見をそのまま吐くことが、若い人たちを潰す簡単なお仕事になってはいないか、省みてはいただけないだろうか。ようやく再活動を始めたように見える演劇シーンの芽を摘んでしまったなら、芝居は二度と息を吹き返さないかもしれないのだ。
なお筆者はただの素人であり、演劇界に於いてはまったく無名の存在、要は観客その一に過ぎない。無名ゆえのエクスキューズを求めているのではない、無名の人間が否定的な意見を述べることがあるとするなら、瀕死の芝居をなんとか復興させようと努力している若人たちを励まさんとして思うところを吐くこともある、そういうことだ。
この一文が余計なつぶやきであることを願いつつ、筆を擱くこととする。
ともかく、劇場に行こう、芝居を見よう、未来に於いても芝居を見続けたいのなら。
アマヤドリ「人形の家」激論版 2024.03.22(ソワレ)
中日を過ぎた今回の上演に至って、徳倉マドカさんは、ついにご自身の若さを操り得たように感じました。
ラスト前、家を出ていくためにコートを着るために舞台裏に引っ込む直前の狂乱振りが、徳倉さん自身の若さゆえの激情の発露ではなく、劇中のノーラがやはり劇中の人物である夫トルヴァルに向け、激情の発作を演じているのだと、はっきりわかりました。夫がノーラを理解しないことを確認するというのが、この劇中の演技の作用ですが、確認するのは観客であって、ノーラはすでに家を出ることを決めているのでしょう、激情を装ったのはただ、ノーラへの無理解を夫に確認させるため、要は夫に対するノーラの優しさからだったのでしょう。そして観客を前にしてこの部分が成立したのは、トルヴァルを演じた倉田大輔さんの抑制の利いた演技あってこそ、というのも、見ていてよくわかりました。
話をお芝居の最初に戻します。以下、実際の登場の順番とは多少の前後があるかもしれないことをお許しください。
開幕、マカロンを口に入れるノーラ、この演技は昨日から復活したらしきパートですが、徳倉さんはさらに楽しそうに演じておられました。
クリスティーネを演じる中村早香さんは、初登場間もなく、ノーラが下手前クリスティーネが上手奥にそれぞれ座して対話するシーンに於いて、ノーラのセリフに対するリアクションで自らを観客に明示しておられました。この場面での、クログスタの登場時の目を丸くするところに関してはすでに昨日のソワレのレポートに記しましたが、この、ノーラとの対話に於いても、セリフを唱えるノーラばかり見ている観客にもアピールするような形でのリアクションをされている姿に、さすがベテランと感じました。
ノーラに対しては摂ることを禁じられていたマカロン、ノーラからそのマカロンを口に入れられるところ、今日は「え?わたし共犯にされちゃうわけ?」といった様子の演技を追加していらっしゃいました。クリスティーネの前にノーラからマカロンを口に放り込まれるランク医師を演じる西本泰輔さんも、口三味線で盛り上げる所作を加えておられました。
西本さんといえば、ランクが死を予感する場面での、空間を見やる演技は素晴らしかったですね。仕事をねだるクリスティーネ、その件でやり取りをするノーラとトルヴァル、彼らの背後でそれぞれに対して違った態度を演じる箇所、トルヴァルに対するノーラの様子から自らの立ち位置を悟る箇所、いずれも見事なリアクションでした。
影の主役とも言えそうな大塚由祈子さん、乳母役のさいに一瞬の視線で伏線を貼るところ、今日も見事でした。この伏線は、ラストの子供に関するノーラとトルヴァルとのやり取りにおいて、回収されるのですけれども。
大塚さんと言えば、ノーラにクログスタの二回目の来訪を告げるシーン、女主人にとっての嫌な奴との面会の仲立ちをすることで、ノーラに対する日頃のうっぷんを密かに晴らそうとしているのかなと思える演技が鋭かったですね。
その嫌な奴、クログスタを演じる宮崎雄真さんは、単なる悪役あるいは俗物に堕することなく演じておられました。ノーラが家を出るラストを匂わせないよう演技してくださっていたわけです。
トルヴァルを演じる倉田大輔さんもちょっとした演技を増やしていたようです。クログスタからの手紙を開いて中身を出すところ、手の震えを明らかにしていましたし、開けた手紙の上下を直すのも今日からかな、そして、手紙を破るところも、長めになさっていたように感じました。
なおトルヴァルがクログスタへの対応として「罰」という言葉を発するところがあります、この言葉にノーラは大きな違和感を示し、この違和感はオーラスで「教育」そして「愛」という言葉に於いて再現されるのですが、この違和感も、徳倉マドカさんのみならず、倉田大輔さんの演技あってこそ観客に伝わるというものですね。
手紙と言えば、クログスタあての、解雇を知らせる手紙をトルヴァルから渡されるシーン、手紙を渡されたヘレーネ役の大塚由祈子さんは、住所の記載された面をトルヴァルがら示されるところで、住所を確認すべく裏返す所作を加えておられましたね。
手紙と言えばさらに、クログスタからの手紙をトルヴァルが郵便受けに取りに行くところ、倉田大輔さんが客席の方にポストがある設定で観客出入口から出入りするのも昨日からかな。このシーンでは、西本泰輔さん扮するランクが酔って出入りするところ、その前の倉田さんたちが出入りするところ、の三回が、観客出入口から出入りするように変更されていましたが、中日前に於いては出入りするのは舞台奥へだったはずです、思うに、時間の節約のために舞台奥への出入りとしていたところを元に戻したのでしょうね。その結果として、「仮装を脱ぐの」のセリフに続いてノーラが舞台奥に下がるところの印象が強まるわけだなと思いました。変更というか元に戻したのであろうために上演時間はかなり長くなりましたが、やれるだけやってしまおう、という、劇団側の心意気を感じました。
最初に記したオーラス前のノーラの様相は、昨日までのパフォーマンスでは、ノーラを演じる徳倉マドカさん自身の感情の発露と見えてしまったかもしれないところなのですが、今日の激論版では、トルヴァルを演じる倉田大輔さんの抑制の利いた演技のサポートあっての上なのは当然として、トルヴァルに対するノーラの最後のやさしさとしての激情の演技、すなわち、徳倉マドカさんによる劇中の演技であることが、明らかになったと感じました。
徳倉マドカさんは、自らを惑わしていたかもしれないご自身の若さを、ついに操り得たのだな、と思わされました。その徳倉さんに応えようとするがごとく演技の彩りを増してくださった、あるいはノーラ役をさらに際立たせるべく演技を進めてくださった助演の皆様の在り方がとても嬉しかった、今日のソワレでした。
アマヤドリ「人形の家」疾走版 2024.03.22(マチネ)
アマヤドリ「人形の家」、疾走版です。満員の客席を前に稲垣干城さんが前説的に語りますが、中日前とは内容を違えていました。この版への感想は賛否両論であると述べ、否定的な感想に備えたのであろうと感じさせる言葉を並べていらっしゃいましたが、そもそも本当に否定的なひとはなにも言ってこないでしょうから、この版は議論を起こすという点に於いて成功したということですね。
「疾走版」をご覧になった方はご存じと思いますが或る役柄を複数の人間が演じるという版なので、「何々役」というくくり方がほぼ、出来ません。従いまして以下はプログラムにお名前の上げられている順に、感想を述べていきます。
沼田星麻さんは、夢の中で唱えているかのようなトルヴァルのセリフで演技を始め、同じ雰囲気の中でのやはりトルヴァルのセリフで演技を終え、芝居そのものを閉めます。
最初に、トルヴァルとして、三人の女優さんの演じるノーラを次々に相手にしていきますが、いずれもとても見ごたえがありました。順番で言うと三番目になる冨永さくらさんとのアクロバティックな絡みは、日本に於ける小劇場の或るパターンを提示したものと思われました。二番目の、相場りこさんとの、大きな身振りを伴う、ときに幻想的なシーンも、やはり小劇場のひとつのパターンの提示ということになるのでしょうか。
沼田さん演じるトルヴァルとノーラとして最初に絡むのが一川幸恵さんで、数年前に同じ会場で見た周年公演のときよりはるかに上手い女優さんになられていました。女優としての経験年数的にはかなりキャリアのある方と思いますが、歩みを止めない姿は美しいですね。ダンスもとても良い、と思ったら、劇団の振り付け担当者であられました。
宮川飛鳥さん、風姿花伝で見た周年ではまだ新人さんという感じでしたが、上達著しい演技を見せてくれました。クログスタ役を演じた箇所での、老獪なる役柄と役者さん本人との若さの混交が楽しかったです。
堤和悠樹さん、池袋における三人芝居での好演が心に残る方です。激情に身を任せながらも観客を置いていかないトルヴァル役がとてもよかったです。
星野李奈さん、小劇場にありがちな斜に構えた演技でなく、まっすぐに演じておられる様子を大変に好ましく思いました。正面切って堂々とセリフを唱える箇所が素晴らしかったです。客演の結稀キナさんとの絡みもよかった。
稲垣干城さん、女性役を演じたこと、また、特徴を持たせたセリフ回しから、トリックスター的な印象を持ちましたが、それがとても良かったです。ノーラを演じての、堤さん、沼田さんとの絡みは、この版のハイライトのひとつでしたね。
先にお名前の出た相葉りこさんも女優としてかなりキャリアのある方と思いますが、この世とあの世の境に立つような独特の雰囲気をお持ちです。身体の動きも軽く、見ていて気持ちが良いですね。
ここからは客演のみなさんです。
冨永さくらさんは上に述べたごとく沼田さんとの絡みで見せたアクロバティックな動きもさることながら、ストレートな演技もたいへんに良かったです。一川さん、相葉さんとあえて風合いを違えてのノーラ、客演ながら、沼田さんとのなじみ具合もなかなかのものでした。
結稀キナさん、堂々とノーラを演じるかと思えば、ヘレーネもたくみに演じておられました。大人の女性と娘を演じ分けるのは相当に難しいはずですが。とてもうまい女優さんですね、であるからこそ客演に呼ばれたのかな。
村山恵美さん、この方が最初に沼田さんと絡むところ、いささか迷うところではあるのですが、やはりわたくしとしては、沼田さんのご助力を得て、タイトルのモチーフを提示していたのだと考えます。女優さんではこの方だけがノーラを演じていないのですが、村山さんがノーラをやると版の意味が変わってくるからなのじゃないかと考えました、それほど独特の透明感をお持ちの方です。
という訳で、以上、アマヤドリ「人形の家」疾走版、2024年3月22日マチネ、の感想でした。
なおこの版で劇中二回にわたって全員でのダンスの際に用いられる曲が選ばれた件、リフレインの歌詞がその理由を示していると考えますが、いかがでしょうか。