調布の板垣退助手植えの「自由の松」/自由民権運動と自民党の憲法改正草案 | なか2656のブログ

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仕事の関係で他の県に移ることもあったのですが、何だかんだで調布での生活が長い私です。しかし、調布市佐須町祇園寺に、明治時代の自由民権運動に活躍し、「板垣死すとも自由は死せず」の名文句で知られる板垣退助にゆかりのある松があるということを、実はつい最近、都立神代植物公園の、「名花・名木探訪」というリーフレットで知り、びっくりしました。


祇園寺本尊です。


本尊の右の奥に、大きな二本の板垣退助手植えの松があります。


松の根元には、木製の説明書が掲げられています。




これによると、
板垣退助手植えの松

明治41年9月、自由民権運動のため尽力した人々を弔う慰霊祭がここ祇園寺で行なわれた。
当時の自由党総裁・板垣退助ら一千名余が集まった。
板垣死すとも自由の松はすくすくと伸びている。

と記されていました。
神代植物公園のリーフレットでは、これにちなんで、現在ではこの二本の松は、通称「自由の松」と呼ばれているそうです。

板垣退助達が行なった明治時代の自由民権運動とは、1874年(明治7年)の民撰議院設立建白書の提出を契機に始まり、政治に対して、憲法の制定議会の開設地租の軽減言論の自由や集会の自由の保障などを掲げ、1890年(明治23年)の帝国議会開設頃まで続いたものとされています。

運動の始まりにおいては士族階級によるものであったものが、しだいに農民や都市の市民、貧困層なども参加する運動になったとされています。そしてその過程では、1880年(明治13年)から翌1881年(明治14年)にかけて、民間人による多くの私擬憲法(民間の憲法草案)が検討・作成されました。

そのひとつである、五日市憲法は、東京都西多摩郡五日市町(現あきる野市)で作成されたものであり、約200の条文のうち、150の条文が国民の基本的人権にあてられており、現在の日本国憲法に近い内容とされています。

この五日市憲法は、2013年10月20日に、79歳の誕生日に際し、皇后さまが宮内記者会の質問に回答された際に、この五日市憲法について、

地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、二百四条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも四十数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。(東京新聞より)

と言及されたのは、印象深いものがあります。

・東京新聞【皇后さま79歳 回答全文】

士族でありながら、市民派で、華族制度に消極的であった板垣は、晩年も華族の世襲禁止などの自由民権活動を行なったといわれます。

現在、自由と民主を政党名に掲げる自民党は、増税をしつつ社会保障を削減し、労働法を改正し、国民の働く権利をさらに弱体化させようとしています。また、安倍政権憲法改正に強い意欲を見せています。その自民党の憲法改正草案は、国民に対して国家のために奉仕することを義務づける、国家主義的なものであり、方向性として明治憲法(大日本帝国憲法)への反動復古を目指すものです。

現在の安倍政権を、もし板垣退助などの自由民権運動に参画した政治家達や、その運動に参加した当時の日本の多くの市民・民間人たちが見たら何と思うのでしょうか。

■参考
自民党憲法改正草案については、こちらをご参照ください。
・自民党憲法改正草案を読んでみた(憲法前文~憲法24条まで)
・自民党憲法改正草案を読んでみた(憲法25条~憲法102条まで)
・自民党憲法改正草案28条の公務員の労働基本権/堀越事件・猿払事件


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