大雄寺の魚籃観音 | 南三陸町と、『名前負け』するブロガーの日常

南三陸町と、『名前負け』するブロガーの日常

宮城県南三陸町。

大震災からの復旧・復興期を迎えている今、
町はかつての面影を失いつつあります。

そして人々の記憶も失われていくもの。

将来、思い出の補完の一助となれば…。

その願いをもって、私は町を訪れています。

( ;谷)。oO(הללויה)

舞台は再び志津川へ。

竹川原周辺では農地が回復しつつあると以前書きました

が、現在ビニールハウスが組み立てられています。


一度は失われた畑が再生されていきます。

何とも言えない、嬉しい光景です。


ワンちゃんの視線の先にも畑が広がります。

薄っすらと緑色なのは、植物が育っている証です。


畑のエリアを抜け、大雄寺の駐車場に到着しました。

梅雨時の為、町全体がしっとりと濡れています。

私はこの町に住んで以降、季節を心から楽しめるように

なりました。遠くの荒島があまりにも雄大です。


大雄寺に来たのには理由があります。

この魚籃観音(ぎょらんかんのん)を見に来たのです。


3年前にこの地に建てられた彼女の名は摩梨阿観音。

キリスト教のマリア(摩梨阿)と観音を融合させること

で、どの宗教を信じる方でも拝めるよう配慮がされてい

るとのこと。確かに彼女の首元には十字架が見えます。


魚籃とは魚籠(びく)のこと。

これを持つことで三十三観音の魚籃観音であることを

表しているそうです。




魚籃観音の隣に立つ、もう一人の観音さま。

優しい微笑みを湛えていました。




お地蔵さまは、変わりゆく町をどのような思いで見つめ

続けているのでしょうか。

雨に濡れた彼の背中越しに町を見た時、複雑な思いに

駆られたことを今でもよく記憶しています。