南三陸町 2016年6月下旬 町の現状(中山・名足) | 南三陸町と、『名前負け』するブロガーの日常

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宮城県南三陸町。

大震災からの復旧・復興期を迎えている今、
町はかつての面影を失いつつあります。

そして人々の記憶も失われていくもの。

将来、思い出の補完の一助となれば…。

その願いをもって、私は町を訪れています。

( ;谷)。oO(הללויה)

かなっぺに行った際、初めて中山地区を歩きました。

実はここ中山と馬場には強い思い入れがあります。

土地勘が無く馬場地区を写真におさめることは出来

ませんでしたが、中山と名足の一部を撮影。

選んだ一箇所目の高台は五十鈴神社です。

まずは中山漁港から。


中山共同作業場は骨組みだけが残っています。

岸壁には深い傷跡がありました。


続いてカメラは左方向へ。

中央のクリーム色の建物は名足小学校です。


この道を上ると、消防団の名足班屯所がありました。

五十鈴神社を離れた後、私はこちらの高台へ移動。


名足側から見た中山です。左手奥が馬場地区。

中央の赤い建物が先程までいた五十鈴神社です。


カメラは右手方向へ。

高台の建物は、ギリギリで波を逃れたように見えます。


石の階段を上った先には祠が…?


名足小学校を間近から。

海岸からは約200m離れていますが、震災当時

2階部分まで浸水したそうです。


手前が中山漁港、奥が馬場漁港です。


かなっぺを背後から。


ここで私は更に進み、名足へ移動。

中央の道路は県道泊崎半島線です。


名足漁港です。

赤い鳥居がありますが、神社ではなく石碑らしきものが

祀られているようです。


初めて、ついに自分の足で歩けた中山地区。

この地区を知ってから5年以上の月日を要しました。

馬場にも範囲を広げ、これから何度も足を運ぼうと

思っています。