私は色々思うところがあって、なるべく標準治療を避けようとしてきたけど、
標準治療を避け、自然療法や代替療法を探そうとすると、
ほぼ必ず出くわすのが
がん治療の巨大利権とか
がんビジネスの闇とか
陰謀論云々
という医療業界のウラ的な情報だ。
そういうのを読むと驚くし、怖くなるし、憤りもおぼえる。
え…、私はただ自分の病気を治したいだけなのに、こんな裏事情のことまで深掘りしなきゃいけないの…?
と、途方に暮れる。
なんとなく感覚的には、医療や病院経営もビジネスだし、多かれ少なかれあり得ることだろうなぁと思うけど、
でも、どこまでが事実なのかは、私には判断ができない。
そうだとすると、
やっぱり私が治療法を選ぶ基準は、
自分が納得できるかどうかであり、
その治療法を選んだ私は幸せか、
その治療法を受けている私は幸せか、
になる。
この【幸せ】はあくまで自分軸のものだから、
たとえ最新の高度医療を受けることになったとしても、
「こんな貴重な治療を受けられるのだから、断るなんて申し訳ない」
なんて他人軸で選んでいたら、幸せとは言えない。
あとは、たとえば
「がんビジネスの思惑になんか、絶対乗らないぞ!」
という動機で標準治療を選ばなかったとして、それは自分に誠実な判断だと言えるのだろうか。
怒りや恐怖が動機になっていると、幸せの選択からはブレる氣がする。
さて、私の選択といえば。
当初、自然療法のみで治すと息巻いていた私は、
標準治療のようなオオゴトが人生に起きるのが嫌で、ただひたすらなるべく生活を変えずに治したいと思っていたのが本音だったと思う。
生き方は変えるけど実質生活は変えないって、無茶を考えていたもんだ。
それから、腫瘍が花咲になるという恐怖に耐えられず、放射線治療を行った。
そして、転移。
標準治療も代替療法もやってみて、
私の場合は、自然療法と代替療法をやっている時が心も体も穏やかだなと感じるので、そっちで治すことにした。
たまに、衝動的に劇的な変化が欲しくなると標準治療のことを考えるけど、
そういう時の私は、だいたい焦ってるか落ち込んでるかで平静じゃない。
それも分かるようになってきた。
病気は、身体的・物理的な事象としてのみとらえがちになってしまうけど、
「治癒」を目的としたときに、
精神的・心理的なアプローチを無視しては到達できないよなぁと思っている。
その最たるものが
『自然治癒力』ではないかしら。
『自然治癒力』は体のもつ力だ。
でも心が『自然治癒力』を信じていなければ、『自然治癒力』を最大限発揮できる治療を選べない。
ハイレイキの教えや、とあるお医者さん から教わった、
精神をととのえること、
心を穏やかに保つことはとても大切で、
平穏な精神のもとに、体にも誠実に向き合うことができて、
最幸の選択ができるのかなと思う。
私の次の選択は、
今、色んなもの を飲み過ぎてわけ分かんなくなってきたので、
整理して減らすこと。
私自身が『自然治癒力』を、自分の体を信じ切れていないので、
体との対話をじっくり重ねていこうと思う。