「がん治しのスタートは、


がんをそうとしないこと







なんですと。









例のとある先生 のとこ、2週間でまた行ってきちゃった。




今回は診察室に入って、

「あれからどう?」ときかれて、


前来たときは楽になったけど、帰ってから痛みがぶり返していて、、、という話をしたら、




がん、怖い?」ときかれた。




私は、うーん…と言葉に詰まった。


で、怖くはないけど、嫌です、と答えたのだけど、

急に涙がポロポロこぼれてきたので、

もしかしたらずっと怖かったのかもしれない。




そしたら先生は、


「がん、がん、て言うけどね、がんも自分の細胞なのよ」


「自分の細胞だから、怖くないのよ」


「お医者さんががんは怖いっていうから怖い気がするんだけど、自分の細胞だからね、怖くないのよ」




そして、例の神様と繋がる器具を取り出して、やってる?ときかれ、

毎日やってるんですけど…と言うと、


「自分だとうまくいかない?」


「じゃあ、これで自分でもうまくできる方法、教えるからね」


と、また私にやってみせてくれた。





「あのね、『治そう』と思ってやらないの」


「ただ『天と繋がる』と思って当てるだけ」


「天と繋がってる『』だけを考えて」


「『今』を実況中継するの」



(先生の話に)頷いた、

(器具が)頭に当たってるな、

(涙で)目がシパシパしてる、


そういう『今』やってること、感じてることを一つ一つ自分で実況中継するの」



『今』を実況中継してると、不安がなくなるのよ


「がん治しのスタートは、がんを治そうとしないこと」


「治そうとしても、原因が分からなければまたできるんだから」


「『今』『今』『今』」


「『今』を感じて」


「『今』楽になることだけ考える」






『今』か。

言われてみれば、私はずっと『今』から意識を逸らして生きてきた。


過去を引きずり、未来を心配し、

『今』この一瞬一瞬に集中するって、どういうことかよく分からなかった。




『今』この一瞬一瞬に集中するためには、体の感覚に敏感にならなくてはいけない。


体に関心をもたずにはいられない。





不思議なのは、

体の感覚に関心をもつことと、

がんを治そうと意識を向けることは、違うということだ。




『今』この一瞬一瞬に、がんは無い。




無いなら、治す必要もない。


治そうと考えなくていいんだ。


ただひたすら『今』を感じる。


ただただ、『今』の連続を生きる。





何だ、この感覚。

何だこれ。



何か、掴めた?






そして先生は前回と同様の治療を施してくださった後、



「がんは治せないことがあるけど、

 『今』楽になろう」


とことん幸せになろう!



と言って診察室から送り出してくれた。





ああ、これ、この考え、

ハイレイキと同じだ…と感無量。




私は幸せになるためのツールもピースも、もう持ってるジャマイカ。




がんが何だ。


痛みが何だ。



『今』この一瞬には、

がんも無ければ、

べき・ねば も無いんだ。




幸せって、

私が『今』を生きるだけなのね。