治療方針と家族①姉に相談したとき 

 

 

2021年9月下旬

確定診断直後
 
 
には一日も早く話すように」とに促されて、
その日の午後に、にアポを取った。
 
大変な話をするからね、と前置きをして、乳がんのことを話した。
 
 
は意外にも冷静だった。
 
予想では、が取り乱し、が落ち着いているはずだったんだけど、逆でした。
私は家族のこともよく分かっていないのだろうか、、、
 
 
私はにも、手術や抗がん剤をするつもりはないと告げた。
そのことについても、はなるほど、特に反対はしなかった。
 
 
たぶんは、の最期のことを思い出していたのだと思う。
 
 
は私と反対で、がんと分かったら早々に抗がん剤治療を決めた。
 
民間療法は、サプリ系も治療機械系も、ほぼ嫌がった。
 

そして、希望のもてる治療法を試す前に、抗がん剤に体が耐えきれず亡くなった。

 

は、が亡くなる少し前に、担当医がぽそっと、

「ここに来る前に、出来たことが色々あったと思いますけどね」と呟いたのが忘れられないと言っていた。

 

聞いた当時は、今更そんなこと言う!?とは思ったそうだが、

たしかに、初めからは頑なに入院治療するといって聞かなかったのも事実だった。

 
 
 
そんな経緯があって、私が抗がん剤は絶対にしない、と言ったことについて、
は理解を示してくれた。
 
調べによると、高学歴で経済力のある乳がん患者の女性は、標準治療を避ける傾向があるそうだ(ほんと?)。
 
ただ、手術は本当にしなくていいのか、病状はどうなのかは、とても心配していた。

 

 

 

 

そこでもう一つ、私がに早く話をしたかったことを伝えた。

 

それは、実家にあるコウケントーの光線治療器を貸して欲しい、ということだった。

 

光線治療器は免疫力を高める効果のある機器で、

実家では私の祖母の代から愛用している。

 

何か不調があると「光線しときなー」と言われるくらい、実家では「万能」扱いだった。

 

私自身も、痔ができたときに効果をとっても実感してる。

痔には効くぞー

 

 

実際、もがんの術後に毎日毎日自宅で光線を当て続けていた。

術後の化学療法や放射線治療をすることもなく、

5年以上経った今も転移も再発もないのは光線のおかげだと、はことあるごとに言っていた。

 

 

だから、私も光線は毎日やりたいと思うのだけど、と申し出たら、

は、得たり!という様子で、

 

「うん、うん、ぜひそうして!」

「妙子が言い出さなかったら、お父さんから光線だけはやってと、お願いしようと思ってた」

「ああ、よかった、これで安心だ」

「光線さえしてくれれば、お父さん何も言わない」

 

と、まるでもう治ったかのような言いぶりで。

 

まあ、の、光線に対する信頼が絶大だということはよく分かりました。

 

 

ということで、との話はスムーズにできました。

光線さまのお陰と、あとの謎リサーチのおかげ。

身内から反対されるのって、辛いからね。私はラッキーだった。

 

 

 

あとは、最大の難関であると。

理性的なんだか感情的なんだかわからん突っ込みを入れてきたと。

 

 

いろいろ、ある。

 

治療方針と家族③姉との絶縁騒ぎ