本当のパートナーなら 一緒に落ちない方法を選ぶんじゃないかな | 西郷村に嫁いでみた!~ナホ吉の田舎嫁奮闘記

西郷村に嫁いでみた!~ナホ吉の田舎嫁奮闘記

関西生まれ関西育ちの外資系バリキャリ ナホ吉が、ひょんなことから福島県西郷村に嫁ぐことに・・・。ド田舎の長男の嫁としてやっていけるのか!?迫る来る親戚たちをかき分け 子供に誇れる村作りができるのか⁉️乞うご期待!

何の本だったか・・・

 

 

脇役の女性の

『私は一緒に落ちるオトコではなく

落ちた私を助けてくれるオトコと一緒になりたい』

というセリフがあって

 

あとがきか何かに

別の書き手さんが

『脇役の女性のセリフもわかるけど

それでも 一緒に落ちてもいいと思える人と出会えるのは幸せである』

と書いていた。

 

 

確かに そうだろう。

 

この人と一緒だったら落ちてもいい・・・

 

そんな恋愛が出来ればいいと思う。

 

でも 現実は そこでHAPPY ENDではない。

 

そこから続く 『生活』という名の現実が待っている。


それを考えたときに 一蓮托生 ってそれが本当に『愛』なのか、私は疑問に思う。



 

 

 

外資企業勤めが長かったせいか

それとも 元々の性格か

 

 

連帯責任って 正直言って 意味不明だと思っている。

 




上下関係ならわかる。

上司の監督不行き届きで 部下の責任を上司が一緒に取らされるのはわかる。

 

でも チームという立場で 連帯責任を持ち出し

あまりに美化するのは いかがか?と私は思っている。

 

 

同じ高校で サッカー部が不祥事を起こしたからと言って

どうして 野球部が甲子園を辞退するのか?

 

こういうのが 普通にまかり通ってしまう 

日本の全体責任論に私は疑問を持っています。

 

 

一緒に落ちてもいい と思えるパートナーや仲間と出会えるのは 幸せなことだと思う。

一蓮托生できるって スゴイと思う。

 

でも 本当のパートナーなら

本当の仲間なら

 

 

一緒に落ちない

一緒に落とさない

 

こういうことも 大事なのではないだろうか??と

某アイドルグループの会見を見て思う。