すっかり、話し方を忘れて『J リベラル』な口調が板についちまったな。まあ、いいけどな、マタドールが牛いなすようにあしらえばいいんだから。しかし赤い色が好きなやつさ、紋切り型に、ステレオタイプに、想定内に凡庸な出どころに忠実な思想、、、、。
次にはこう言うだろう、なんて、先回りして予感を与えないでくれ忠実な犬のリアクションじゃないんだから。
その共感しあうとかいうとも違う。最近はなんか君の作文を読み聞かせされているようだ。時々、滑舌悪く吃ったり滞ったりは君の君らしいエモさだから許すけど、論理の展開を予想させちまうのは単純すぎるというか頭が悪い証拠だぜ。
つまるところ、苦労だとか貧乏な実感が生活にしみついた。
幻想だとしても長すぎたのさ不遇時代がね。だからルーティンとしてエトス(習慣)として今の体制に不満を言うという擬態が生きるというというフィクションとしてのライフに一体化してしまった。君が敗北の構造に嵌って固定化されて久しい。今じゃ、ハナ肇さんのブロンズ像の風格すらある、決して褒めてるわけじゃないぜ、むしろ逆。
ダブルのスーツを着た銅像がJRの某駅前で女子高生に『誰なのあのジジィ』とか言われてそうな、、、
そんな分際に成り果てて今更、君にパパ活さえ無理だよ。
俺はまだ救いがある。呼ばれ方も『お兄様』だったり、『仲良しさん』だから、その分だけ報われている。君はさ、なんだよ!?、『いばらきのパパ』って?。
しかも、サブステチュート感ハンパないぜ。俺が見たところ茨城のパパBかナンバー2PAPA茨城っうポジションでよく満足できんな?、それじゃ一度も現実と闘っていないことになる。
生きていくには金がいると言ってアイツは作業服に着替えて機械操作に没頭する。
愛と欲望の資本主義の夢からすぐに覚めたまえ。さもないと老いぼれちまってから『たられば』を繰り返す事になる。