柿崎明二.2023.『「江戸の選挙」から民主主義を考える』.岩波書店 | 杏下庵

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日本でも江戸時代後半、最末端の「村」では、年貢の村請制に基づく高度な自治が行われ、その中には村役人を選挙で選ぶなど民主的傾向を持つ制度も生まれていた。その目的は年貢負担の軽減、平等化など、個別の現実問題を処理するために編み出した知恵だった。選挙権の拡大やオンブズマン的な村役人の誕生、文書主義の発達が見られた。それは民主主義そのものではないが、その傾向を帯びているという意味で「民主的傾向」と名付けてみる。 (22.8-23)江戸時代後期には多くの村が、村政運営を担う村役人(村方三役)を入札と呼ばれる選挙で選んでいた。現在の村長、助役、監杏委員にあたる名主(庄屋・肝煎)、組頭(年寄)、百姓代からなる村役人は、主に本百姓(石高持の戸主)から選ばれ、年貢負担の割当て、入会地の利用や農業用水などや周囲の山野の管理から道路整備、治安防災、紛争処理まで幅広い仕事を共同で担った。現在の行政機関でいえば、税務署、町村役場、警察署、地方裁判所の役割を果たしていた。 (25-26)世襲を脱し、安定的で村の総意を得られるような方法がさまざまに模索され、その中から入札が考案されたと考えられる。 (28-29)台帳には「宗太夫後家」など三人の女性が登録されており、女性も戸上であれば選挙権を与えられ、村政運営に関与できたことがわかっている。さらに、女性戸主の村政参加は「近世後期の信濃各地にみられた」という。 (30)絶えず領土と資源を求め内戦や対外戦争を繰り返し、多くの犠牲者を出しながら市民革命を経験して民主的傾向を手にした欧米。領土と資源を他国に求めず、二五〇年以上、平和を維持したものの市民革命を経なかった日本のどちらが進んでいるか、という議論は無意味だ。欧米との比較も必要だが、日本は自身の歴史に虚心に向き合い、その中で育んだ民主的傾向に日を向けてみる必要があるだろう。(51)民主主義は一つではないということだ。現状が正しいという先入観を捨てなければならない。