松村圭一郎.2023.『所有と分配の人類学』筑摩書房 | 杏下庵

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財産という観念自体が文明の開始を告げるものであり、その所有形態の段階が進化の指標とされた。なかでも「土地」の所有については、ひとつの図式がくり返し示されている。それは土地の「共同所有」から「私的所有」への漸進的進化という図式である(21-22)。このような西洋の所有概念をそのまま他の社会に適用することはできない。アフリカを調査する人類学者によって提示されたのは、ひとつの土地に対して同時に複数の「権利」が結びつけられている、独特な所有のあり方だった (25)。現在の狩猟採集民研究においては、西洋的な所有権のあり方とは異なるものの、権利としての所有にもとづいて平等社会が成立していることが論じられるようになった。これらの社会では、財産への権利を通して、そしてそうした権利とつながるイデオロギーを通して、平等性と不平等の構造がつくられ、維持されていると考えている。「所有権」が根本的な分析概念であることがはっきりと宣言されている。「土地」は、植民地支配や国家建設の基盤となるきわめて政治的な富であった。一方、狩猟採集民がバンド内で分配するような富は、国家など外部世界にとっては、とるに足らないものでしかない(33-34)。もともと社会のなかに複数の所有をめぐる行為の形式が矛盾なく並存していることを認めるならば、変化するのは、その行為の「ふさわしさ」を支える空間的・状況的な「配置」である。われわれは、日々の行為のなかで、この配置をずらしたり、逆に強化したりしている。実体主義的な経済人類学や古典的なモラル・エコノミーの議論は、未開社会や農村共同体において資本主義や市場経済とは相容れないある種の文化的特性や独特の経済様式が維持されてきたと論じている。それぞれのコンテクストに応じてどの行為の形式がふさわしいものとして参照されるのか、その結びつきが、いかに人びとの相互行為のなかで強化されたり、転換されたりしているのか、そのプロセスを描き出すことが、富の所有や分配のあり方を動態的に理解する重要な視点なのである(380-382)。土地という、生存に欠かせず固定されたものに様々な権利が輻輳している。一元的に所有という近代的視点からみてはいけないのであろう。たんなる物についても、製作者、販売者、使用者、支配者、受容者、廃棄者など多くの人の権利が発生する。著作権では、製作者の権利がずっとつきまとう。近代的な常識に捉われることの再検討が要請されているのであろう。