名古屋市北文化小劇場でのプロに学ぶ演劇講座の発表公演
~10日間だけ稽古してどんな劇が作れるのかやってみよう!~「贋作・セチュアンの善人」を観劇しました。
弊所の楠野弁護士、田村弁護士が演劇講座に参加したからです。
3人の神様が娼婦のシェン・テに善人であり続けるようにと告げ、お金を授ける、娼婦はそれをもとにタバコ屋をはじめたのですが、
善人であり続けることで周囲の人々に利用され破産の危機においやられます。
娼婦は、いとこのシュイ・タとして合理的な冷たい経営者になりかわります。
周囲の人々はそれを知らないのですが、善人のシェンテがいなくなり、シュイ・タに殺されたのではと騒ぎ始めます。
そして、シュイ・タは裁判にかけられます。
裁判官として3人の神様が再度登場します。
3人の神様は、娼婦シェン・テがいとこシュイ・タになりかわったことについて、責めないで、なりかわることについて「あまりちょくちょくはいかんよ」と言って去っていきます。
金銭がかかわる行為で善人であり続け、生きることは今の世の中では難しい、時に、冷酷な判断をし、自分がかわらなければ生きていけない。
お金に関することでなくても、人は場面によって、いろいろな側面を持って生きていかざるを得ないということでしょう。
私たちもシェン・テでありシュイ・タでないと、二つの人格を使い分けないと、社会のなかでは生きていくのが難しいかもしれません。
また、人はいろいろな側面をもっているとうことを常に心にとめておく必要があるのでしょう。
『セチュアンの善人』は、ドイツ人ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)の作品で、1938年デンマークで執筆、1940年スウェーデンで完成され、1943年初演の寓話劇です。
ブレヒトは1933年、オーストリア、スイスなどを経てデンマークに亡命。反ナチの活動をし、1941年にはアメリカに亡命。その後1947年アメリカから脱出して、東ドイツに渡りました。
「人は善意だけでは生きられない!」
という現実を教訓的にブレヒトは突きつけているのです。
新人弁護士には、とても教訓的な社会勉強でもあります。
ところで、弊所は新人弁護士研修の一環として、2013年から毎年、名古屋市文化事業団の「プロに学ぶ演劇講座」に新人弁護士の方々に参加してもらっています。
演劇講座の平塚直隆先生の作品は2013年からいつも興味深く拝見しているのですが、私にとって今回は初めての長編劇でした。
演者の方々すばらしく、とてもおもしろかったです。
そのなかで、楠野弁護士は8人家族のおじ、劇作家の2役で、田村弁護士は失業者の役ととして出演したのですが、
他の演者の方々の中で、そん色なく堂々と演じました。
長編劇ですので、セリフの入り方、表情等大変だったことと思います。
大きな声で、そして一つの長編劇の中の登場人物になって、演じている様子を見て、
弊所へ入所してからの1年間の2人の大きな成長を目の当たりにでき、とても嬉しく思いました。
『その役になりきり、演技する能力』は、自分の意思をよく理解してもらうための強さを伝える術の習得でもあります。
私は楠野弁護士、田村弁護士は弁護士としても人としても魅力ある人になっていくものと確信しました。