九州和の会では、午前中に吉田綾霊談集をテキストとして、勉強会を実施致しております。

 

今回は、吉田綾霊談集p84の「心の舵をとれ」というタイトルの文章を読んで出された意見を紹介させていただきます。

 

「この仕事は成功すると考えるといいとは思うが、中々できない。」

 

「日常生活では忘れてしまう。」

 

「何かもの(心を前向きに保つために役立つもの、それを見て心を調整するのに役立つもの、それに対して祈ったりする対象となるもの)を置いておくのもいいのではないか。」

 

自分の気持ちが前向きならいい結果が得られ、後ろ向きなら悪い結果が得られるものであると考えられるのではないかと思います。

 

例えば、仕事をする際に、「きっと成功する」という信念を持って仕事に臨めば、成功する方向に物事が向かっていき、「失敗したらどうしよう」などという不安が心にあれば、失敗する方向に進むのではないでしょうか。

 

部屋などの、常日頃、自分の目に入るところに信仰の対象となるものや、格言のようなものを置くなどということも、心を前向きに保つための良いアイデアだと思いました。

 

ここで、信念について考えてみたいと思います。

 

人は、強さなどに差はあるにせよ、それぞれ、「かくあるべきだ」、「これが正しいのだ」、「絶対にできる」といった信念を持たれているものだと思いますし、上記で紹介させていただいたように、信念を持つということは大切な事であると思われる方が多くいらっしゃるのではないかと思います。

 

しかし、「やればできる」と信じて、努力を続けてきたが、いつまでも達成できず、信念を打ち砕かれたりする経験などをされることもあるかと思います。

 

この時、そもそも自分の信じているもの自体に問題があるということも考えられるのではないかと思います。

 

例えば、極端な話ですが、定年退職し、一念発起してメジャーリーガーになると言う人がいたら、誰もが無理だと言うと思います。

 

つまり、自分の能力以上のことを望んでいる場合などは、信念を持つとしても難しいのではないでしょうか。

 

また、「年収数千万稼げるビジネスマンになる、絶対になれる」という信念を持った場合はどうでしょう。

 

もちろん、生きていくためにはお金は大切なものですが、これも程度問題で、「お金のためには手段を選ばない」などというように、度が過ぎると間違った方向に進んでしまう可能性もあります。

 

もし、このような信念を持ったとして、他人に迷惑をかけ、人間関係が悪化するなどして、自分自身が幸福になるどころか、不幸になったとしたら、そのうち、信念をなくし、いつまでも強化することができないということも起こりうるかもしれません。

 

そうであれば、逆に、「世の中(人)の役に立つことが大切であり、そうすることで、必ず幸せになれる(心が満たされる)」という信念を持った場合はどうでしょうか。

 

この場合は、他の例に比べると、人に迷惑を掛けたり、争いを生じたりすることから来る苦しみなどは避けられそうです。

 

このように、信念を持つためには、まず、信じようとするものが、信じるに値するものであるかを検討する必要があるのではないかと思います。

 

上記の例から判断すると、道徳的に正しいこと、良心の声が反発しないこと、といったことが必要になると思われます。

 

具体的には、金銭、地位、名誉などを求める利己的な動機に基づく信念であるか、他人の幸福を求める利他的な動機に基づく信念であるか、ということが一つの判断材料になると思われます。

 

しかし、もちろん、完璧な人間などいませんから、いくら利他的な動機に基づいて行動していたとしても、過ちを犯したりもするものですし、それによって信念が揺らぐこともあるものだと思います。

 

ですが、そこで、過ちを犯したときは、自分の心持ち、やり方を変えることで、成功を手にし、信念に修正を加えたり、さらに信念を強化することにもつながるかもしれません。

 

そのようなことを積み重ねていくうちに、ゆるぎない信念を作り上げていくことができるのではないかと思います。

 

このように、信念とは、知識や経験などと同様に段階のあるもので、人生経験を積むことで少しずつ修正したり、強化していけるものであると言えるのかもしれません。

 

仮に、「自分は完全な信念を持っている」と思われる方がいらっしゃったら、それは真の信念ではなく、妄信、過信、傲慢ということになるかもしれません。

 

ただ、信念は知識や経験のように、今、現時点で、急に増やすことはできないものとは違い、自分の気持ち一つで、すぐにでも強化できるものであると考えられると思います。

 

例えば、「自分は完璧な人間ではないから、完璧な結果を望むことはできない。しかし、自分には、今現時点で、精一杯、世のため人のためにできることをするしかない。そうすることが自分にとっては大切なことであり、そうすることで必ずよい方向へ導かれていく。」といった信念であれば、どのような人でも、すぐにでも信念を強化することができるのではないかと思います。

 

「他人と比べず、ただ目の前の自分のなすべきこと、できることに最善を尽くす」

 

どのように考えられるでしょうか。

 

 

この学習会を通して、出席者の方々が、現在抱えていらっしゃる問題を解決したり、人間的な成長をしていただくための気づきを得ていただけたらと思います。

 

また、そのような堅苦しいことではなく、単に、見えない世界のことに興味があり、学んでみたいなどということでも良いと思います。

 

午後には、精神統一会を実施致しておりますが、精神統一には、心を落ち着けたり、前向きにしたり、健康の増進に役立ったりといった様々な効果があるとされています。

 

また、その後、霊的能力者からアドバイスを頂ける霊査なども実施致しておりますので、関心をお持ちの方は、一度、和の会に足を運んでみられてはいかがでしょうか。

 

九州和の会では、午前中に吉田綾霊談集をテキストとして、勉強会を実施致しております。

 

吉田綾霊談集p83の「幸福への道」というタイトルの文章の中に、

 

「幸福を得られぬ人は、自分をこの現象界に招かれて来たお客様だと考えている人が多い様です。お客様だから、人からもっと待遇されてもよいはずだと思ったりするのでしょう。そこで予想された待遇が与えられない場合に不快になるのですね。本当に幸福になりたかったら、人から与えられたいばかりの生活は改めねばなりません。自分が先ず主人側の気持ちで、人に喜びを与える事です。」

 

というくだりがありました。

 

そして、この文章に関して、

 

「幸せの道は自分で切り開くしかない。お客様気分で与えられるのを待っていてはいけない。」、

 

「ある意味、公平と言えば公平と思う。自分が努力した分が自分に返ってくるから。」

 

といった意見が出されました。

 

ある程度人生経験を積んだ人なら、他人に迷惑を掛けるようなことをすれば、巡り巡って自分に返ってきて、自分が苦しい思いをすることになり、他人のためになるような行いをすれば、同様にして、巡り巡って、自分が幸福になるということを学ばれていらっしゃるのではないかと思います。

 

誰もが幸福を望んでいるものだと思いますが、自分が幸福になりたいと考えたときに、短絡的に考えれば、お金、地位、名誉、健康、容姿のよい恋人や気心の知れた仲間・・・などを手にすることが必要のように感じられるかもしれませんが、いずれの場合も、永続性がなく、いずれ失ってしまうもののように思えます。

 

また、あまりにも、それらを得ることに執着すれば、他人に迷惑を掛けることになり、それが巡り巡って、自分に返ってきて、自分が不幸になる。自分が不幸だから他人に迷惑を掛ける。このような負のサイクルが生まれてしまうことになります。

 

では、発想の転換をして、他人に与えること、他人のためになることをすると、反対に、正のサイクルが生まれ、自分が幸福になるのではないでしょうか。

 

一見すると、遠回りな道であるかのように思われるかもしれませんが、これが真の意味での幸福への王道と言えるのかもしれません。

 

特に人生経験の少ない若い頃は、上記のようなものを求めてしまうものかもしれませんが、もし、そのことによって、物事がうまく運ばなくなっている場合は、一度立ち止まって、このようなことに思いを巡らすこともよいかもしれません。

 

また、他人に与えるにしても、見返りを期待して、与えないようにすることも大切かもしれません。

 

それは、他人に与えているようで、実際は、他人から与えられることを望んでいる、つまり、自分が得ようとしているということになるのだろうと思います。

 

そして、見返りが得られなかった時、不満が生じ、様々な負の感情が起こってしまうものではないでしょうか。

 

見返りを求めず、ただ、与え、与えられる。そのようなサイクルに入りこめたとき、真の幸福の道をひた進む自分自身に気づくことができるものかもしれません。

 

この学習会を通して、出席者の方々が、現在抱えていらっしゃる問題を解決したり、人間的な成長をしていただくための気づきを得ていただけたらと思います。

 

また、そのような堅苦しいことではなく、単に、見えない世界のことに興味があり、学んでみたいなどということでも良いと思います。

 

午後には、精神統一会を実施致しておりますが、精神統一には、心を落ち着けたり、前向きにしたり、健康の増進に役立ったりといった様々な効果があるとされています。

 

また、その後、霊的能力者からアドバイスを頂ける霊査なども実施致しておりますので、関心をお持ちの方は、一度、和の会に足を運んでみられてはいかがでしょうか。

 

九州和の会では、午前中に吉田綾霊談集をテキストとして、勉強会を実施致しております。

 

吉田綾霊談集p78の「守護霊と直結すべし」というタイトルの文章の中に、

「今この人に怒って将来不利になると思う心があるかと思えば、否、ここで怒らなければ、虫がおさまらないとか、又いい加減この辺で止めておこうと思うなど、色々の心の面を持っています。つまり魂とは色々な心の集合体と言えましょう。」

というくだりがありました。

 

そして、この文章に関して、

「他人には気持ちを抑えられるが、身内にはできない。それができるようになればすごいと思う。」

「抑えられなくて、外(他人)に言う人もいる。それを自分で消化できればいい。」

「(嫌なことを自分で消化するには)無心になれるものを見つけるのが大切ではないか。園芸をしていたら、嫌なことを忘れて無心になれる人もいるし、自分で探すことが大切だと思う。」

「考え方をいい方向に持っていけることが一番大事と思う。」

といった意見が出されました。

 

人それぞれ、生きていく過程で様々な体験を積み、自分なりの人生哲学を学ばれていくのではないかと感じました。

 

人の心の中には、様々な感情、思念が渦巻いており、そこから、思考や言葉や行動を選び取っているものだと思います。

 

例えば、他人から批判をされ、それが当を得たものだったとします。

 

それに対して、「腹が立つ。」という「怒り」の感情や思念を起こした場合、自分にとってストレスとなりますし、もし、相手に対して、「怒り」の感情をぶつければ、相手もストレスとなりますし、そこから、争いに発展してしまう可能性もあります。

 

また、「なぜこんなことをしてしまったのだろう。」といった「後悔」の念、

「また同じような過ちを犯してしまったらどうしよう。」といった「心配」の念、

「自分は間違ってはいない、あいつが悪いんだ。」といった「おごり」の念

など、いずれの場合もあまりよい結果を生じることはないように思われます。

 

一方で、「自分の過ちに気づくことができた。ありがとう。」という「感謝」の感情、思念を起こした場合は、自分にとってもストレスとはなりませんし、それに対して、さらに、謙虚に受け入れることができたなら、「今度からは、同じ過ちを繰り返さないようにこうやってみよう。そうすればきっとうまくいくはずだ。」という、希望、信念、勇気などのポジティブな感情、思念へと転換でき、さらにそれが、問題の解決、本人の成長へと繋がるかもしれません。

 

自分の置かれた状況が困難であればあるほど難しいことかもしれませんが、このように、前向きな感情、思念を選択すること、そのように努力することで、他人や社会を恨み、他人や社会からも恨まれるなどといった、負のサイクルから抜け出し、他人や社会に尽くし、他人や社会からも尽くされるという正のサイクルへと進むことができるかもしれません。

 

このように、人は、心の集合体であるが故に、その心を制御することが重要であり、そのことが、直面している問題の解決、ひいては自分自身の人間性の向上、真に幸福な人生へと繋がるものなのではないかと思います。

 

そのためにはまず、では、何がポジティブ(肯定的)な感情、思念なのか、何がネガティブ(否定的)な感情、思念なのかを知ること、それから、自分自身はポジティブな思念を選択できているだろうか、といった内観、それに基づいて実際に行動をすることが必要になるのではないでしょうか。

 

この学習会を通して、出席者の方々が、現在抱えていらっしゃる問題を解決したり、人間的な成長をしていただくための気づきを得ていただけたらと思います。

 

また、そのような堅苦しいことではなく、単に、見えない世界のことに興味があり、学んでみたいなどということでも良いと思います。

 

午後には、精神統一会を実施致しておりますが、精神統一には、心を落ち着けたり、前向きにしたり、健康の増進に役立ったりといった様々な効果があるとされています。

 

また、その後、霊的能力者からアドバイスを頂ける、霊査なども実施致しておりますので、関心をお持ちの方は、一度、和の会に足を運んでみられてはいかがでしょうか。

 

九州和の会では、午前中に吉田綾霊談集をテキストとして、勉強会を実施致しております。

吉田綾霊談集p74に、「人としての営みの中には、智を働かして筋を通さなければならない場合がありますが、その表現の仕方がまずいと、「彼の人は冷たく厳しい」と非難されます。
その反対に情に溺れて、無理に情を立てれば、自分自身がどうにもならぬ破目に陥ります。」とありました。

この文章を読んだ後、「情の方に重きを置くと、自分自身がきつくなる。」、「先生は昔は青竹を持って叩いていた。」、「怒りにくい時代になった。」、「モンスターペアレントなど、今の先生は、親からも言われて大変。」といった話が出されました。

生活していると、様々な問題が生じてきますから、それを解決し、改善していくためには、時には、周囲が気分を害することを実行しなければならないこともあります。

しかし、そこで、あまりにも人の感情を気にしすぎると、実行すべきことが実行できなかったり、自分が精神的に参ってしまうことなども起こりうるのではないでしょうか。

また、逆に、周囲の事を考えず、あまりにも独断的になりすぎると、周囲の協力が得られなかったりなどして、かえって問題をこじらせたり、解決を難しくしたりすることもあるのではないかと思います。

同じページに、「智・情・意のバランスがとれた人でなければ、円満な人格者とは申されません。」とあります。

智、情、意、のどれにも偏らず、智、しっかりとした判断力を持ちつつ、情、周囲の事にも配慮しつつ、意、かといって、周囲に振り回されずに、正しいことを実行できるようになる、そのように、成長していけたらと思います。

そのために、書籍を読んだり、様々な人の話に耳を傾けることも大切かもしれません。

そうすることで、様々な人の気持ちを理解し、寄り添うことができ、物事をいろいろな角度から見たり、達観したりすることができ、より良い行動をとることができるようになるのではないでしょうか。

この学習会を通して、出席者の方々が、現在抱えていらっしゃる問題を解決したり、人間的な成長をしていただくための気づきを得ていただけたらと思います。また、単に、見えない世界のことに興味があるなどということでも良いと思います。

午後には、精神統一会や霊的能力者からアドバイスを頂ける、霊査なども実施致しておりますので、関心をお持ちの方は、一度和の会に足を運んでみられてはいかがでしょうか。