今日もご訪問ありがとうございます。
ママの心を軽くする 心理カウンセラー毛利理恵です。
来月、名古屋で久しぶりにmama育を開講します。
mama育は、私がもっと早くに出逢いたかった内容の総まとめ。
共に幸せ育児を深めましょう。
さて、昨日は、私にとって節目の日となるNPOウーマンプロジェクト東海の総会でした。
今回の総会では、理事心理学ママさんに呼吸法の特別講座をしていただきました。
胸に染みるお話しで、心があたたかくなり、また、東田直樹さんのお話しでは私自身の幼少期、そして娘の幼少期を振り返る時間となりました。
多動児の私のこころ
今まで、このブログでも娘の多動のことは何度か書いてきたんですが、私自身も幼少期、落ち着きのなく、人の話を聞けない子でした。
なので、学校でも家でも怒られることが多かったです。
妹は当時を振り返り、お姉ちゃん見てると、そんなことしたら怒られるということを敢えてしている感じだったと言います。
だけどね、当時の私は、怒られるまで怒られることをしていることに気付かない。
怒られて初めて「これはいけないことだ」と気付くの。
いけないことだと意識にはあっても、あっと思ったらもう体が動いている。
そのときの思考はそこに夢中でいけないことだと気付けない。
また、私の場合、理解力に乏しく、何を言っているのか理解できないことが多々ありました。
母が言うには、私はいじめられていてもいじめられていることに気付かないような子だったからと言うんだけど、幼少期の私は充分傷ついてました。
理解できないからと言って、傷つかない訳ではなかったの。
分かってもらえない孤独感は辛かった。
愛の定義
そんな私が思春期に入り、「愛」の定義を考えるようになり、迷宮入りしていきます。
その答えを知るきっかけが多動児娘の子育てでした。
娘が6歳くらいになるまでは、娘の不適切行動が理解できず、イライラする毎日。
怖い顔して娘に怒りをぶつけ、そんな自分に自己嫌悪。
母親になったことを後悔する日々でした。
そんなある日、心理学と出逢い、学び、娘は私自身だということに気付きました。
私は幼少期、分かってもらえないと孤独感を感じていたけど、実は自分が自分のことを理解しようとしていなかった。
そればかりか、自分を否定し続けてきた。だから、娘のことも理解できなくて否定しせずにはいられなかった。
愛を感じることができなかった私は、愛を与えることができなかったの。
みつけた愛
学びを深める中で、私が理解されたかったのは「心」だということを思い出しました。
娘の心を理解しようとしなかった私でしたが、幼かった頃の自分と娘を重ね合わせ、娘が感じているだろう気持ちを感じた時、このままではいけない!と強く思い、そこから娘の心を理解することをスタートしました。
そしたらね、自分の心も徐々に見えてきた。
そして、娘の心が理解でき、自分の心も理解できるようになったとき、愛しさが生まれました。
可愛いとなかなか思えなかった娘が愛しくて可愛くて仕方がなくなったの。
よそのママがびっくりするような行動をしても、その行動が可愛いと思える。
私にとって「愛」とは、受け入れることでした。
自分の子がかわいいと思えないときもあるかもしれない。
自分自身が嫌で仕方がなくなるときもあるかもしれない。
その心を理解し受け止めたとき、自分の中に愛が生まれるように思います。
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