1192)わか・さざ50年史(25)1992年のNEX、あやめ、成田臨(YEAR-20) | 千葉の鉄道、そして Now & Then

千葉の鉄道、そして Now & Then

.                                                                                       

 1191)

 

 

の続きです。

 

 1992(平成4)年は、「わかしお」・「さざなみ」は変化なく推移しました。

 この年は「わか・さざ」はほとんど撮ってはいません。

 その代わりと言ってはナンですが、その前年1991年3月に登場した「成田エクスプレス」の253系やこの年の成田臨を今回掲載します。

 

 この1992年の主な改正をまとめると・・・、

1992.3.14改正:300系「のぞみ」が東京~新大阪間に登場、東京6:00発の「のぞみ301号」は新横浜停車の代わりに名古屋・京都を通過し、新大阪まで2時間30分を確保。京浜東北線には将来首都圏の通勤車を塗り替えるべく901系(のちの209系900・910・920番台)登場、215系が東海道線に登場し「湘南ライナー」「快速アクティ」で運転開始、キハ80系の引退と後継のキハ85系登場。

1992.7.1改正:山形新幹線福島~山形間が初のミニ新幹線方式で開業、400系登場。

1992.12.3改正:成田空港線に「空港第2ビル」駅開業。

・・・などが実施され、たしかバブル景気も(あとで思うとこの頃が末期になりますが)続いており、施策も盛りだくさんでした。

 

 1992年1月14日 10:42 2013M成田エクスプレス13号 クモハ252-20 

 クロ253-110 モハ253-21 クモハ252-21(以上Ne-21)+クロ253-101 モハ253-12 クモハ252-12(以上Ne-12)+クロ253-109 モハ253-20 クモハ252-20(以上Ne20)←東京方

 新宿発の6連(手前側の1~6号車)+横浜発の3連(空港側の7~9号車)です。

 

  13:27 2018M 成田エクスプレス18号 

 Ne-13+Ne-11→新宿方  

 こちらは6連です。前寄り4~6号車が新宿行き、後部7~9号車が横浜行き。大船行きはまだ全くありません。東京以西はどちら方向も3両の短編成がちょろっと走行していました。

 Tsc-102 M-13 Mc'-13(横浜行)+Tsc-11 M-11 Mc'-11(新宿行)→横浜・新宿方

 NEXの東京以東は 分割併合有りが11往復、無しが12往復の計23往復。原則は東京以東も6両(4~6号車+7~9号車)ですが、そのうちの5往復半は(ほぼ)新宿編成に1~3号車を増結した9両編成でした。

 

  10:33 1033Mあやめ3号 

 東京9:45→11:08佐原11:11→11:32鹿島神宮、佐原から普通列車5533M。 

 183系0番台、しかもトップナンバー編成です。 

 クハ183-1 モハ183-1 モハ182-1+モハ183-2 モハ182-2 クハ183-2 (マリ21+22)←東京方 

 この6両は なんとこの2か月後の1992年3月改正で松本へ移ることになります。

 

 10:46 

左:銚子発440M マリ67(デカ目の非冷房車)

右:成田行1437M クハ111-169 マリ61(シールドビーム改造&冷房改造車)  

 

 11:20 沼津発の9425M 

 165系8連です。クハ165-117(シスF1編成)

 沼津5:42発 9622M(御殿場経由)~8:37国府津8:38 9928M~9:43品川9:48 9425M~10:07新宿10:10 9425M~11:30成田

 国鉄分割当初はこのように JR東海から成田へ向かう団臨もありました。静岡運転所の、東海道線を走り慣れた165系使用です。JR東日本とJR東海の間のコミュニケーションや協力・協業が当初はうまくいっていた・・・のかも。 

 

 9425M後追い

 後部はクハ165-165(シスF5編成) です。Tc-117と違ってこちらはデカ目が存続。

 

 11:38頃 165系モントレー色9連の9427M伊勢崎発 

 伊勢崎6:28 9624M~高崎9734M~8:45大宮8:52~10:31新小岩10:43 9427M~11:47成田 

 先頭はクハ165-138(S9編成)。新前橋区の165系は 横軽間でふもと方にクモハ165がくるように、高崎在線時点で 上野方に組成されていて、奇数偶数の向き逆転が所定でした。新小岩スイッチバックで、総武成田線では上り方がクモハです。

 

 11:47頃 DD51 1801+コンテナ の下りがやってきました。

 佐倉車で、当時佐倉にはDD51が6両、DE10が3両在籍していました。 

 

 12:09 回9427M 新前橋の165系モントレー色9連 

 伊勢崎発往路の9427Mが佐倉へ回送されてゆきます。クハ165-138 

 

 12:19  165系シマ車9連の2本目です。9431Mで、設定スジとしては総武成田線内で9421Mから数えて6本目。クモハ165-94。 

 青梅10:02 9548M→11:07新宿11:18 9431M→12:28成田  

 Tc-150・・(旧S55?)+・・M'-69 Mc-105+Tc-96 M'-58 Mc-94(S2)→成田方

 先ほどの伊勢崎発9427Mと比べて、向きが反対で、クモハ165-94が下り方。大宮→(東北貨・山貨)→新宿→青梅→新宿→千葉→成田、なのでこうなります。

 

 9431M後追い

 車両数が逼迫しているのか、屋根がぼろぼろの165系3連を引っ張り出して増結です。

 後部はクハ165-150=(旧S55?)

 

 13:34 1036Mあやめ6号 

 唯一の新宿行です。鹿島神宮12:38→14:33新宿⑨、佐原まで5536M普通列車。

 Tc-1 M-1 M'-1+M-2 M'-2 Tc-2(マリ21+22)→新宿方 

 1033Mの折返しで、この6両は次の1992-3月改正で松本へ移ります。

 

 1992.1.14 13:44 9072M~4012M~8012Mウイングあずさ (後追い)

 酒々井駅の北側 一つ目の右カーブの次の左カーブです。この時間に来るのを忘れていてこうなってしまいました。

長野8:51→松本9:54→12:35新宿⑤12:38→13:22千葉13:23→14:08成田空港

 全停車駅は、篠ノ井 聖高原 明科 松本 塩尻 岡谷 下諏訪 上諏訪 茅野 甲府 八王子 新宿 秋葉原 錦糸町 船橋 千葉 佐倉 成田 成田空港

 1991年7月26~8月25日の毎日と以降の土休日運転

 クハ183-151 MM'-1055 サロ183-1103 MM'-1039 MM'-1051 クハ182-104(1号車)→成田空港方  モトM19編成

 

 我孫子支線の成田~下総松崎間へ移動してきました。

 14:56 9844レ 結城発成田臨の復路 EF81 96+12系9連(水戸車) 

 

 続いて 15:35、田町の167系アコモ車10連

 9846M 伊東発武蔵野線経由の復路です。我孫子支線内設定のスジとしては第3便です。この約30分後にも もう1本で、計4往復のスジが設定されていました。

クハ167-3 モハ166-2 モハ167-2 モハ166-3 モハ167-3 クハ167-6+クハ167-7 モハ166-4 モハ167-4 クハ167-8←成田方 

 

 9842レ 高崎発成田臨の復路です。この日 我孫子線で設定の3本目の最後。 

 EF65 1018(田)+12系9連 

 9842レ~我孫子から9424レ~北小金支線~武蔵野線~大宮から9743レ~高崎

 

 (以下、続きます)