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の続きです。
JR後2年目の昭和63年、3月13日ダイヤ改正で海峡線(青函トンネル)供用開始、「北斗星」登場、続いて4月10日には本四備讃線(瀬戸大橋)が開通。「レールが結ぶ一本列島」のキャッチフレーズとともに大規模なダイヤ改正が行われました。
それまでも徐々に厚くなりつつあった時刻表が一気に厚みを増し、いっそう重くなりました。これでは、大型は旅に持ち歩くには不向きなレベルに。
巻頭の特急ページで注目はココ↓
札幌行き寝台特急「北斗星」が初めて登場した部分です。
寝台特急は、「ゆうづる」・「はくつる」にしろ、「あけぼの」にしろ、「日本海」にしろ、全て青森までの小さな表にそれぞれ収まっていたのが、札幌までが1つの表でダイレクトにつながりました!感動しました!!
最初のころの「北斗星」は3往復(1~6号)中、6003レ、6004レを名のる3・4号が季節列車でした。でも よほどの閑散期でない限り毎日運行です。
担当は、1・2号がJR北海道(サウ)の車掌&車両、5・6号がJR東日本(オク)です。それぞれ編成の内容が異なり、特に食堂車(グランシャリオと後に命名)は 北海道車が朝食に似合うようなさわやかな若葉色、東日本車が晩餐に似合うようなワインレッド基調。ロビーカーは東日本車が全室式、北海道車は半室式で、北海道車の残る部分にはB寝台個室(ソロ)やシャワー室が配置されました。
残る3・4号はシンプルに2段式B寝台のみですが、いちおう両社での交互運行でした。一番最初は尾久の予備車使用が多かったように思います。
海峡線ブームに乗り この3・4号も需要が高かったようで、S63年7月21日(運行開始からまだ4か月くらい)には早くもA個室、B個室化され、両社で完全交互の運行に。
したがって、奇数日・偶数日で編成内容が異なり、A寝台ロイヤルDX一人個室・A寝台ツインDX2人個室・食堂車・2段B寝台が付くところは両社共通なのですが、そのほかの部分はB1個室(ソロ)が付く編成と、B2個室(デュエット)が付く編成がありました。時刻表にもその旨表示されました。
その後の改正で6003レ・6004レは定期列車(3レ 北斗星3号・4レ 北斗星4号)になりました。
1988(S63)年6月28日、2レ北斗星2号の札幌発車(17:18)前。札幌駅の地平時代は撮りやすくて良かったです。
17:00ちょうど、向うの5014D「北斗14号」が発車してゆきます。函館着は20:34で2レよりも 1時間6分早く着き こちらの方が俊足なのですが、「北斗星2号」も東室蘭まで立席特急券で、函館までもが指定席特急券で利用できました。6レにはこの扱いは無く、寝台券がある人オンリーです。
翌朝1988.6.29、6レで着いた上野駅13番線にて。
私は寝ていたのですが、青森でEF81 95が先頭に立った、と旅先(C62ニセコ号車内)で知り合った 沼田市の生〇クンが教えてくれました。彼も上野までの個室寝台特急券を購入してあったのですが、福島で新幹線に乗り換えて先行し、どこかで待ち受けて走行を撮る、とのこと。福島では 13分で「あおば202号」に乗換できます。すると例えば宇都宮には49分早く着くことができたのでした。対案としては 仙台でも13分乗換で7:00発のやまびこ102号に乗り継ぐと宇都宮8:13着で1時間40分ほども速く着けます。
私は というと、客車個室寝台をのんびり楽しみたくて、上野まで乗車してきました。
1レ北斗星1号で。
1988.6.27 6号車 スシ24 501(札幌車)。
ディナーコース1回目は17:30からです。これはその前に撮ったもので、テーブルはすでにセット済み。
6レ北斗星6号
1988.6.29 6号車スシ24 506(尾久車)。
5号・6号は発車時間が遅めなので、19:30~21:00の1回のみでした。しかし需要が多かったのでしょう、1年後くらいに1~6号とも予約枠が1回ずつ追加されました。
私は?というと、ディナーの予約はしてなかったので、2回目終了の20:30以後に 予約無しでも利用できるパブタイム(おつまみ&アルコール類)で利用しました。夕飯は車内で販売の特製弁当にしたと思います。
では、外房線・内房線のページ↓
赤のカギカッコが書き込まれていますが、これは この改正で増発や延長された部分を当時調べたもの。日中の運転間隔が開いていたところをうめるようにちょこちょこ増えています。
この2年前くらいにアルファ電車の表示が無くなり、7000番台の列車番号のまま 毎日運転、半定期化されましたが、それらを含んでさらに増発、延長された感じです。
外房線-1
「わかしお」の通年G車付き、通年モノクラス(6両か 6+3両)、期間限定のG車付きなどは変わっていません。
内房線-2
④とか⑥とかの文字が書き込まれていますが、これは普電の編成両数を調査していたものです。しかし途中で挫折してしまいました。
両国発木更津行の臨快「潮干狩り号」が見えます(5月3~5日運転)。
千葉発車後はずっと通過で巌根のみに停車。牛込・金田などの海岸には巌根駅が最寄りです。ただ歩いては行けそうもありません(木更津なら駅から歩いて行けるところに海岸があります)
このころの団体臨・臨時列車、他地区からの車両を使った列車がいろいろありましたが、183系使用の臨時として「マザーファーム号」を。↓
両国発上総湊行の団臨で、これは復路の送り込み回送が上総湊で折り返して上って行くところ。ゆえに、湊川橋梁は通りません。
マザー牧場へは佐貫町からバスだったと思います。
1988.3.27 15:16 マザーファーム号
表示は「臨時」の6連です。
クハ83-28 M'M-40(以上#38)+M'M-41 クハ183-27(以上#37)←上総湊方
上総湊~佐貫町
こちらは成田臨↓。
県内発の団体臨に183系3+6連が度々使用されていました。
1988.1.12 酒々井〜成田で。
モノクラス3+6連です。
クハ183-30 M'M-43(以上#40)+M'M-42 Tc-29(以上#39) +M'M-25 Tc-31(以上#41)→成田方
高崎のお座敷12系改「くつろぎ」が外房線の団臨で運転された日。
DD51 897(田)牽引でした。まもなくDD51からDE10牽引に変わる、とはこのときは知りませんでした。
乗客下車後、回送で千倉側線に収まりここで停泊。おりしも、クハ183-1500番台先頭のさざなみ20号9連と並びました。
1987.10.25 千倉15:41着の11M➡折り返し16:56発 16Mさざなみ20号
G車付きの9連、マリ10で クハ183-1504。
Tc-1503 MM'-16 MM'-17 MM'-18 Ts-6 Tc-1504→東京方
次号では、「あの列車」が初登場した この年S63年夏ダイヤをとりあげます。