1139) の続きです。
時系列順としては 1137) の続きとなります。
なお、今日3月12日は全国JR および一部私鉄の春のダイヤ改正日。
コロナ禍による本数削減、終電繰上げ、駅廃止等暗い話題ばかりで、S59年2月(貨物合理化)以来、いやもっと大規模な減量ダイヤ改定 となりました。
個人的には 夢が全く無いですが、名付けて「コロナ禍減便改定」 と ダイヤ図面にはタイトルを記載しました(県内JRダイヤ作成中)。
さて・・・、
上総中野でのキハ28+52と 小湊鐡道キハ40X2連 の並びを撮ったあと、104Dの発車(14:00)を待たずに総元方へ出発しました。早めに出たのは、たしか西畑付近だったと思いますが、道路工事のため片側交互通行になっており、時間がかかる可能性があるためでした。
西畑、かろうじて先行しているのがわかったので、余裕があるうちにここで撮ることにしました。マークが付く側で撮りたい、というのもありました。
西畑発車。
いつも バックに家屋や人工物がなるべく入らないように撮っていましたので、こうして家並みをバックに走る姿を撮るのは自分としてはレアです。
「いよ」のマークがこちら側に付いているので、接近してもまだ追います。
大多喜ヘは行かずに これにて撤収。
さて、急行「いよ」を時刻表でしのんでみましょう。
略歴です。調べてみました。
名称としての「いよ」の登場は S31(1956)年11月19日改正。客車準急でした。四国内の優等列車としては「せと」につづく第二の準急で、不定期の旧型客車でした。
1005レ 高松桟橋 5:55→12:40 宇和島
1006レ 宇和島 14:30→21:30 高松桟橋
この列車が翌年S32.3.20改正でさっそく定期化されました。宇高連絡船を介した本州側の連絡は、京都⇔宇野間の247レ・248レ(夜行の普通列車)でした。
千葉局もDC化が盛んでしたが、四国総局でも キハ26型等によるDC化が S33.11.1改正で始まりました。「やしま」(高松桟橋~松山)が先でしたが、宇和島発着の「いよ」も S35.2.15改正でDC化が始まり、徐々に増えてゆきます。S35.2改正時点では、客車1往復、DC増発1往復、DC「やしま」の「いよ」へ統合ぶん1往復の計3往復でした。
さらに S35.10改正で宇野線電化、準急「鷲羽」(わしゅう)増発で 接続の「いよ」も1往復増発、さらに客車だった1往復をDC化して、「いよ」は 全部DC車の4往復へと成長してゆきます。
増発にともなって、愛称名も乱立。急行「せと」、急行「四国」、準急「道後」、全指の準急「えひめ」、準急「いよ」、準急「うわじま」など。
さらに S41.3.5改正からは、100Km以上の準急はみな急行となりましたが、愛称の乱立はさらに進み、煩雑になりすぎたためか S43.10改正で整理されてゆきます。
このころは、千葉でも DC急行名が季節列車も含めて乱立し、のちに整理へと向かった歴史があります。
宇和島→松山間の区間列車を(高松へ行かないという)誤乗防止のため、「いよ」から分離(分家)された「うわじま」ですが、「いよ」の宇和島発着ぶん(高松~宇和島間の列車)も「うわじま」とされ、「いよ」をこえてゆく列車になってゆきました(S43.10改正で)。
このS43.10改正では、すっきりと高松〜松山間は「いよ」、高松〜宇和島間は「うわじま」の2本建てとなり、「うわじま」は9往復もの大所帯になり、予讃本線系統の代表列車になりました。「いよ」は「うわじま」の補完列車という、その後も続く位置付けがこのとき成立しました。
「いよ」のピークはいつか?統合で「うわじま」になったり、松山での分割で「うわじま」が「いよ」に戻ったりと、両者間でいりくりがあり何ともいえませんが、「いよ」単独の本数ではS57~S61の4年間がピークで、下り7本、上り5本。その後は「うわじま」「いよ」とも特急「しおかぜ」への格上げで減少してゆきます。
一例として、S53.10.2改正での予讃本線の時刻表を紹介します。
見開きの中央部が見にくくてすみませんが、下りで朝方からの夜間の順に3枚、上りでは朝方の1枚です。懐かしい夜行急行(うわじま1号・16号)、土讃本線の夜行普通列車(731D高松→中村、762D窪川→高松)もじっくりご覧ください。
↑周囲にシミが出ていて見苦しくスイマセン。どこかの 旅先で雨に濡れたに違いない😩
この時刻表では、「いよ」は下りが9号までの5本、上りは8号までの4本。「うわじま」は下りが15号までの8本、上りが14号までの7本あります。まさに気動車急行の王国ですねぇ!