1116)楢葉駅名改称と 誉田~鎌取~蘇我複線化工事の記録(②下り列車から S49年4月) | 千葉の鉄道、そして Now & Then

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 1115)の続きです。

 上り列車からの前面展望や右側車窓をそれまで 2回撮りましたが、ある問題に気づきました。

 それは、鎌取駅の西側のS字カーブの工事が撮れないまま、ということ。

 上りで鎌取を発車してすぐの左急カーブを走行している時は 土木工事現場は反対側(上りで 進行左側)だし、その先のS字後半になる右側車窓は、進行方向の関係で大きく振りかえらなくてはならず撮りにくい。

 

 そこで、改めて下り列車の前面展望を見てみよう、ということにしました。3回目の取材になります。

 前回撮影の約20日後に 蘇我から下り列車に乗りました。

 

 いえ、わざわざこれだけのために出かけたわけではなく、この1週間前の3月31日に内房線で駅名の改称(楢葉駅→袖ヶ浦駅)があったので、新駅名表示を見に行ったのです。

 

 S49(1974)年4月7日(日) 12:15  

 「楢葉」から改称された「袖ヶ浦」駅名票。 

 千葉から1145Mで到着しました。西側にはだだっ広い荒野が広がっています。

 

 S43年5月に五井~長浦間、続いて S44年3月にここ楢葉まで複線化が成りました。

 そのあと 姉ヶ崎~楢葉間のどこだったか忘れてしまいましたが 脱線事故がありました。なんと原因は、それまで単線で上下両方向にほぼ同数で線路を走っていた列車が、複線化により、片方の線路は片方向にしか走らなくなったため、レールがずれていったためだ、ということでした。TVニュースで聞いた覚えがあります。

 レールの締結ってそんなものか、と思いました。当初はそんなこともあったこの辺の複線化です。今では考えられませんが。 

 

 12:22 1154M 木更津発の72系千葉行 

 ツヌ220編成 クハ79他3M3T 

 

 このあたりから姉ヶ崎までの区間で どこだったかは特定できませんが、私が小さい子供の頃 父親が運転する車に乗っていて わきの国道16号線(旧道)を上り方へ走っていました。そのとき 蒸気機関車が火の粉をまき散らしながら走行しているのを 真っ暗な夜道で目撃し、子供心に「こわ~い」と印象付けられた記憶があります。稲村が燃えたという話も 明治生まれの祖父から聞きました。

 

 見慣れていた「楢葉(ならは)」が「袖ヶ浦」に変わって 新駅名票に感動しましたが、そのとき思ったのは 「しまった、「楢葉」の表示を撮っておけばよかった」でした。このポスター、新駅名にはあるふりがなが 旧駅名には書いてありません。

 今でも国道16号バイパス交差点や 小学校の名前に「奈良輪(ならわ)」が残っていますが、伝統的な地名だったのだな、と思います。

 

 では、外房線の複線化工事を見に行きます。取材は3回目となります。

 

 S49(1974)年4月7日(日) 13:09頃 蘇我~鎌取 

 蘇我13:08発の1237M 勝浦行に乗車中。クハ111での前面展望です。

 蘇我を出てすぐの左カーブが終わり 直線になるところです。

 地元の方や 外房線ユーザーさんはよくわかる地点かと思います。

 正面に見えるのは千葉南税務署らしい。

 

 このカーブ、向って右(南側)に新線が敷設されていますが、曲線緩和のため Rが大きくとられています。したがって左の現行線とは曲線の頂点では接近しますが、現行線もこれから曲線緩和しつつ左側に移設されます。よく見ると、右側の新線はカントがより大きくとってあるのがわかります。 

 

 このあたり、ずっと右側に線増。新上り線はPC枕木が真っ白でういういしい。

 右は千葉工高のようで、今ではそのすぐ手前に京葉道路の幅が広く 重々しい高架がかぶさります。

 よく見ると予定地の測量などはもう始まっているようで、線路の右側はそれなりの空き地が確保されているし、左側も土木工事が始まる気配が感じられます。

 さらに踏切をはさんで、右側に2本、左側に3本の謎の鉄柱が建設されはじめており、これも高架道路工事と関係がありそうです。

 

 当時、道路建設のことなど全く知らずに、何気なくこの地点でシャッターを切りましたが、今見ると、偶然京葉道路の予定地だったのでした。

 

 1枚前の写真の先の方に見えるカーブを曲がり、直線で生実町をゆくと前方に上り坂が見えてきます。このあたりから、右側に線増→左側に線増 へと変わります。左側の土地収用は終わっているようで、路盤工事が始まっています。

 線路は今後付け替えられ、新下り線は現行の線路からこれから建設される前方左側の路盤の方へ進んでゆきます。直進の現行線は新上り線となり、画面右下に新規に敷設された新上り線につながることになります。

 

 坂を上っておゆみ野(のちに命名)の丘の上へ向かいます。

 横にくい をわたしてある溝のあたりは、今後大きく路盤が切り下げられてゆくところですが、前後を含みこの時点ではまだあまり低くなっていません。

 

 坂を上って 丘の上へ出るあたり。

 一番右側は非電化時代の旧線で、カーブがきつく しかしカントがあまり無いのがわかります。

 「もうここを走ることは無いのだ」と言わんばかりに現行線の架線柱が接触するように建植されています。この現行線は複線化後には新上り線、左下に勾配を緩和した新下り線が敷設されます

 

 左カーブを終えるとすぐに千葉急行が掘割で建設されている地点です。掘割工事のために、外房線は仮設で移動してS字を描いています。このあたりはずっと左側に線増されるようです。

 

 この千葉急行(第三セクター)はのちにいろいろあってなかなか進まず、開業は1992年。しかしそれは大森台までで、この下を電車が走ることになるのは1995年の ちはら台開業と、この写真の21年も後となりました。

 

 しばらく直線を進むと、鎌取駅西側のS字カーブが近づいてきます。

 

 乗車中の電車は画面右方に直線で進んで左へ急カーブ、続いて右に急カーブとなりますが、新線はさきに左へゆるく針路を振り、次いで右に大きくゆるいカーブで進んで鎌取駅へ、となります。つまり旧線とはこの画面の中央に見えるところでクロスすることになります。白いポールが見える地点です。

 

 森を切り開いての土木工事は、複線分の新路盤を建設するものです。

 複線化は大歓迎なのですが、森を切り開く幅が結構大きくびっくりします。かつて撮影に来た 武蔵野を思わせるような森が無残に切りさかれるのを目撃し、複雑な気分になったおぼえがあります。

 

 新線予定地と旧線がクロスする地点の右側車窓です。

 くぼ地だったところはいつの間にか大量の土砂で埋め立てられていました。

 この大量の土砂はどこから?と思いますが、そうかっ、生実町からの上り坂での新下り線の勾配緩和で、切り下げつつあるぶんを運んできているに違いない、と思われます。

 

 以下、鎌取駅での着発のあとです。鎌取駅は相対式ホームでした。

 

 発車後、分岐器をこえた少し先の左カーブへ向かいます。

 複線をおさめる幅確保のためか、法面の改良工事が始まっています。

 

 

 左カーブの先、誉田に向かっての上り坂です。

 左側に沿っての線増ですが、このあたりは同じレベルで建設中。

 2行目:鎌取誉田間路盤その他工事

 3行目:千葉鉄道管理局

 4行目:東亜建設工業(株)旧留岡組

とあります。

 

 現行の本線の一部が白くなっているのは 工事の車両が横断するのかもしれません。奥側はわだちの跡からそう見えますが、踏切でもなく、監視員がつくのでしょうけど、電車特急も走るし(そうだとすれば)危険だなあ・・

 

 その先、ここでは新下り線の敷設が完成に近づいています。

 左の森は 東大演習林と思われます。1か所看板が設置されていました。

 

 この直線が終わったところに誉田駅があります。

 この撮影は S49.4.7ですが、鎌取~誉田間の複線化開業は この6か月後の S49.10.25。

 

  13:18 誉田駅進入 

 204Mなぎさ2号 新宿行(24分も延) が交換待ちで待っていました。 

 

 誉田駅は、房総東線時代から 北側の3番線が下り本線の扱いだったと思います。(もちろん南側の1番線が上り本線)

 

 複線化に備えて こちら側の線形、特に2番線への分岐のかたちが変わった気がしますが、以前の様子は撮ってはなかったので確たることはいえません。しかしこの写真を見ると、1番線のこちら側はまだY字ポイントになっています。安全側線もまだ健在。

 

 この時点では、こちら起点方は単線のままなので、2番線は1番線からのみの分岐となっていますが、複線化されると、下り3番線からも2番線へ進入できる中線の構造になります。

 実際、誉田の土気方は この9か月前の S48.7.1から複線になっていましたので、そちら側のみは もうそうなっていました。

 

  13:22  回6033M 183系9連 誉田~土気間で。

 上下線間隔が手前側は広がっているし、後ろ向きの上り場内信号が写っているので、誉田駅のすぐ東方の地点です。

 

 下り わかしお2号6033M(東京8:38→10:49安房鴨川着)が本来折り返すはずの 6036Mわかしお8号(安房鴨川18:51→21:10新宿)がこの日は設定がされてないので、いったん幕張へ回送され、さらに延々と館山へ回送。館山発の 6016Mさざなみ8号(館山18:48→20:55新宿)へと運用されます。

 土気~誉田間の複線開業したばかりの区間をゆっくりと進行中。すぐ先の誉田の駅に「なぎさ2号」がいますので。

 もう「さざなみ」を掲出しています。安房鴨川で幕は変えられていました(後日 安房天津で 撮れました)

 

 編成番号が読めるように拡大してみました。マリ8 クハ183-16他です。 

 マリ8のクハ183-16 のみが 屋根などがピッカピカでビックリ。

 

 誉田~土気間の複線化は S48.7.1開業で この約9ケ月前です。

 しかしダイヤ改正がまだなので、ダイヤが乱れないかぎり駅間ですれ違うことは無いはずなのですが、この臨回は複線化後の設定のようでした。

 

 利用客数の関係か、電化2年目からは 6036Mわかしお8号(安房鴨川18:51→21:10新宿)と 6013Mさざなみ2号(東京8:08→10:05館山)は設定日が極端に減ってしまい、外と内のアンバランス(外房線の夜間の上りが がらがら)が生じており、このような臨回がたびたび走りました。

 6036Mわかしお8号 の安房鴨川18:51発 というのが、夏季以外では遅すぎるのと、御宿19:25発から千葉20:22着までノンストップというのが 集客には無理だったのでしょう。

 

 複線化工事の進捗状況は、このあと4回(5月、6月、7月、10月)と取材しており、蘇我駅の様子なども含めて 次回以降に順次掲載してゆきます。