1103) 1100番特集-4 EF65 1100のこと at東京駅のブルトレアワー(S54年) | 千葉の鉄道、そして Now & Then

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 1102) の続きです。

 

 1100番台というわけではありませんが、いつも気になる機関車に EF65 1100 がありました。

 

 EF65 PF機が、それまでの EF65 500番台(P形)に替わって 東海道~九州のブルートレイン牽引に就役したのは昭和53年。7月28日から置き換えが開始され、S53年10月改正までには完全に置き換えられたそうです。配置区は名門-東京機関区。

 S52年度1次債 を使ったこのグループには EF65 1092~1118 の27両がありました(EF65-1000番台7次車)。

 それらは、1092~1095 の4両が下関運転所へ配置。下関~関西間のブルートレインにS53年からEF58 を置き換えつつ 翌年の8次車とともに使用されてゆきます。

 それに続くナンバーの1096~1116 の21両が東京機関区に配置され、ブルートレイン牽引に専用で当たったトップスターでした。そのあとの1117~1118の2両は新鶴見機関区に配置され首都圏付近のEF65 500 を置き替えました。

 

 こうして製造・増備されたゆえに、EF65には1100番台というものは存在せず、1100~は単に1099番の続番でしかありませんでした。それでも東海道~山陽本線沿線でたまたま1100号機を見かけると、キリがよいのでなぜか得をした気になりました。

 当時神戸に在住していて、年に5~6回かは帰省等で千葉とを往き来していましたし、のちに豊橋にいたころも何度も撮影に向かいましたが、いつもナンバーを目で追いかけたものです。1100号機来ないかな?と。

 

 しかし、そうそう1100号機には会うことは、私にはなぜか極端に少なかったです。たまたま夜間で、見かけても撮れないこともありましたし。

 

 そんな中、S54年の7月のある日、東京駅でブルトレアワーに出くわす機会がありました。実は、まもなく地下に入ってしまう横須賀線の113’系を記録しておこうとふらっと立ち寄ったときの偶然でした。 

 

 1979(S54)年7月31日 16:35 5レ「みずほ」のEF65 1100機回し開始。

 14系客車14連を12番線に据え付けたあと、いったん神田方へ引上げてゆくところを後撃ちです。 

 

 

 では時間軸にそって、このころのブルトレアワーの第一クール(15:50頃~17:00)を見てゆきましょう。

 なお、発車順に第2クールは、18:00発の7レ「富士」~19:25発の15レ「瀬戸」、

 第3クールは20:40発の2003レ「出雲3号(少し前までは いなば)+紀伊」 から22:45発101レ急行「銀河」、そして23:28発の347M(大垣行き165系)、23:59発8115レ「銀河53号」臨時、と続きました。(以上 S53.10.2改正ダイヤ)

 

 1979.7.31 東京12番線に15:53に入線したばかりの 1レ「さくら」 。

 横須賀線に関心がいっていて、到着のようすは撮り逃しました。

 手前10番線が15:54発1529S久里浜行 、久里浜17:17着。手前に付属編成4両をつけた15両編成です。

 トップランナーの「さくら」が入線したばかりで、待っていたと思われる少年たちが追っているのが感じられます。このころの夏休みは「文字幕」から「絵幕」に変わって、少年たちにブルトレブームが起こっていました。

 

 12番線にまわってみました。

 1レ 1号車 スハネフ14 2。

  長崎行は オロネ14(2号車)とオシ14(6号車)を各1両含む8連(1~8号車)、肥前山口で分割する4001レ佐世保行は 6連(9~14号車)でモノクラス。

 向こう14号車側に付いていたEF65 は神田方にいったん引き上げて折り返し、11番線(中線)を経由してまもなくこちら南口側にやってきます。

 

  10番線に戻ります

 「さくら」用のEF65は11番線を有楽町方へ進んで、機待ち線に入りました。私が12番線から10番線に移動しているあいだにちょうど行ってしまったようです。

 するとまもなく(16時過ぎごろ)、回3レ「はやぶさ」が品川客車区から11番線へ回着、EF65 1110牽引↑。

 

 「さくら」の15分後、16:45に東京を発車する3レは、「さくら」のホームの反対側にあたる13番線からの発車となり、16:25に13番ホームに据え付けられる予定です。しかし この時点では、13番線にはまだ16:20発の307M「東海7号」(静岡着19:09)の165系が入っていて、直接13番線には入線できません。「東海7号」の発車直後(16:23頃)に13番線へ直接回着、というテもあるのでしょうが、EF65 の機回しの時間が余裕がなくなるせいか、発車時間の40分くらい早めに11番中線に回着、となっていました。

 

 左11番=16:45発の3レ「はやぶさ」24系25形、西鹿児島14:42着。食堂車を含む付属編成(7~13号車)は熊本で分割。

 右12番=16:30発の1レ「さくら」14系(スハネフ14 2他)、長崎11:40着、佐世保11:31着(=附属の9~14号車)。

 その向こう13番線には、発車直前の307M「東海7号」の165系が見えます。

 

 

 再び12番線へ。

 まもなく牽引機EF65が すぐそばの機待ち線からやってきます。

 

 1レ(運用番号1)はEF65 1107でした。

 制約があって これ以上引きが取れなかったと思います。

 向こうの113’系は 16:16発の1635S久里浜行き と思われます。

 

 14系のナンバーをメモに控えながら12番線の神田方にやってきました。

 附属編成方の14号車は スハネフ14 8(南シナ)

 出張・所用等で九州へ向かうお父さんを見送るのか、家族が何組も見えます。

 

 むこう9番線に湘南電車が止まっているのが見えます。9・10番線はもっぱら横須賀線の発着ホームなのに?と思って調べてみると・・・

 東海道線普通(湘南電車)は おもに7・8番線発着、優等列車と一部の東海道普通が12・13番線でしたが、まれに横須賀線ホームの9番線に到着する湘南電車があり、これは9番線に16:17着の896M、小田原14:40発なのでした。回送されるようです。

 

 16:20に13番線から307M「東海7号」が発車して13番線が空きました。 

 16:23ごろ、神田方に2本あった折り返し線で機回しを終えた3レ「はやぶさ」が入線。EF65 1110牽引で、24系25形を牽いています。

 この数年前までは、東京~上野間にも東北本線(東北縦貫線)が通じていましたが、この頃には神田駅の脇あたり~秋葉原駅の脇あたりでは切られてしまっています。

 

 3レ「はやぶさ」の13号車オハネフ25 116 

 東京16:45→京都23:35→0:08大阪③ 0:12→三ノ宮0:36→7:54下関7:58→8:06門司8:11→9:10博多9:12→10:58熊本(附属編成分割)11:03発→14:42西鹿児島

 西鹿児島行は カニ24と 1号車にA寝台個室を含む6号車までの7連、熊本回転は8号車に食堂車を含む7~13号車の7連。 

 この次の「みずほ」までは、京都や大阪に、「はやぶさ」のみは 加えて三ノ宮にも停車していました。上りは4時台に みずほ・金星・さくらの順で京都に、一部は大阪にも停車。

 

 「さくら」が 16:30に12番線から発車すると、16:33には5レ「みずほ」が直接12番線に品川方から入線。EF65 1100でした!!

 9、10番線には横須賀線の113’系が2本並んでいます。16:33発の1609S横須賀行きと16:41発の1601S久里浜行き。

 ブルトレ少年が多いですね。例えば当時 小学3年生(9才)だったとすると、42年経過していますので現在51才くらいになるのでしょう。この少年たちのなかに今でも”鉄”してる人が多くいるのでしょうか。

 

 

 14系客車を12番線に残して、EF65 1100が神田方に去ってゆきます。1100号機やっと撮れました。

 長距離列車が発着し 乗り降りする部分は立派な12・13番ホームですが、神田方の末端部は驚くほど狭くてびっくりします。今なら立ち入り禁止なり サクを作られていることでしょう。

 退色が進んで これ以上色の再現ができません(かえって不自然になる)

 EF65 1100 は このあと、11番線を通って「みずほ」編成の先頭に立ちます。

 

 5レみずほ 14号車 スハネフ14 1。

 東京17:00発→京都23:52→0:25大阪③0:29→8:13下ノ関8:17→8:25門司8:30→9:58鳥栖10:02→11:23熊本(オロネ14・オシ14を含む基本編成)

 鳥栖10:09発 4005レ→12:11長崎(9~14号車のモノクラス付属編成、肥前山口は分割もなく通過です)

 Aネは2号車、食堂車は6号車

 

 これらの14系初期のグループ、後から登場した24系24形、同25形が給電が集中式だったことが災いして 2列車併結には使いにくいため先に離脱してゆき、東海道~九州間のブルトレの最後(はやぶさ+富士)まで改造を加えられたとはいえ生き残るとは、この時点では思いもしませんでした。

 

 ついでにEF65 500番台がブルトレ牽引に就いていたころ↓。

 

 1974(S49).7.26 16:30発 1ㇾ「さくら」 長崎・佐世保行

 EF65 541(東)+14系(南シナ) 8+6連 

 右奥の13番線は 16:20発 307M東海4号(下り=奇数ではない時代) 165・153系

 10番線に横須賀線が入っていないときは ここはすっきりと見通しが良く、好きな場所でした。スハネフ・カニが停車する位置の屋根はここだけ黒ずんでいました。

 

 このカット、撮影からもう48年もたちます。夕陽にあたる光景は今でもくっきり脳裏に焼き付いているのですが・・・。