ローカル私鉄訪問記(その2) 今回は1989(H元)年6月13日に訪ねた蒲原鉄道です。
ローカル私鉄訪問は、私的に記憶にあるところでは、S50年7月に訪問した西武山口線のコッペル(SL)を第1回目とすると、この蒲原鉄道訪問の回で十数回めのローカル私鉄訪問になります。
新潟へのアプローチとしては、新宿3番線 23:00発 3763M「ムーンライト」で出発。
当時は、のちの「ムーンライトながら」は名無しの375M大垣行きだったし、類似名の函館~札幌間の定期DC夜行「ミッドナイト」は まだありません。当時「ムーンライト号」といえば、この新宿~新潟~村上(新潟~村上間は下りのみ)をさしていました。
3763M「ムーンライト」全車指定席 新カヌ車
クハ165-200(1号車)+モハ164-858(2号車)+クモハ165-135(3号車)→新潟方
22:55に三鷹から入線してきた編成は、なんと元 千マリ車でした。「うち房」「みさき」「なぎさ」などでの活躍が思い出されました。
房総急行全廃後、新潟へ転属され、「ムーンライト」用に全車指定席にグレードアップ改造されていて、リクライニングシート。3号車最前部はレディースシート。この3連は赤色系の第3編成です。相変わらず軽快な走りで上越国境を越え、新潟入り。
さて、翌朝 5:12着の新潟で下車後、越後線~吉田~燕、と早朝に移動し、午前は新潟交通にどっぷりつきあったあと、新潟10:43発 228D~磐越西線~11:28五泉 へとやってきました。新潟交通については また後日掲載するとして、今回は蒲原鉄道を。。
五泉11:41、単行のモハ31がとうとつにカーブの向こうから姿をあらわします。クラシックな姿を予想していたら、なんとまあ!
聞けば、「さかなパーク五泉」の宣伝で、この4月にイラスト電車になったとのこと。
東電工業会社 S27年製 西武所沢工場S37年更新、とあります。検はS63.12で、次回H4年12月までは全検期間が残っていました。26.55t、換算3.0、空2.5
五泉11:48発に乗って、11:56には終点村松に着いてしまいました。たった2区間です。かつては山を超えて加茂まで通じていたそうですが、延命のため、S60.3.31限りで村松以南の不振区間を切り落として、21.9Kmが わずか4.2Kmに短縮されていました。
村松で下車したあと 付近を散策していたら、踏切が鳴り、折り返しの五泉行きが発車。
4.2Km 8分しかかからないので、朝は1時間に3本くらい、日中でも1時間に2本くらいが運転されていました。どの程度磐越西線に接続していたのかな?
村松には車庫が隣接していました。こちらが正統の蒲原色で、クハ10+モハ71(向こう側)
クハ10は塗色しなおして日が浅いようで、まだつやつやです。
クハ10の後位側
同じ編成の反対側モハ71 こちら側が南(加茂)向き。なぜか情けなさそうな、悲しそうな表情に見えてしかたありません。。。廃線となった加茂の方を向いていることもあるし。。。
休車中とみられるモハ12 乗務員出入りドアが恐ろしく狭い!太った人は出入り出来なそうです。いやいや、人間誰でも通れないや・・
左はワム1で、ミニ私鉄でよく見られた倉庫代用のようです。
ED1。 凸型電機は、上信や銚電にもありますが、こちらもなかなかカクシャクたるもの。銘板を拡大して撮りたかったのですが、どうも見当たりませんでした。
庫内を横切る道路と線路が渾然一体。どこまでが鉄道敷地なのか 判然としません。危険はないのだろうか、って思ってしまいますが、速度はきわめて低いし、非常識なことをする やからもまずいないようで、鉄道会社側ものんびりしていたのでしょう。











