111) まだまだ暑いですが、秋が近づくと、なんとなく旅にふらりと出かけたくなります。
新しいテーマとして 「懐かしのローカル線」をたちあげました。
これから各地の記録をぼちぼち掲載してみようか・・・と考えています。
まずは、千葉のローカル線「木原線」・・=現在の「いすみ鉄道」から・・・
昭和の時代の、なつかしの里山へふらりと出かけたくなりませんか?
s63.2.22 翌月に迫った木原線の「いすみ鉄道」への転換。いすみ鉄道の試運転が始まっている、と聞き、出かけてみました。
S63.2.22 8:03 758D キハ30 22+キハ35 523←上総中野方
S63.2.22 7:40頃の上総中野 758Dが発車待ち中。腕木式信号機とともに。
カーブしながらも、全部のレールは小湊鉄道とつながっています。
かつての、五井から安房小湊、日蓮宗誕生寺への参拝鉄道を目指した小湊鉄道の夢は、道半ばにして資金問題などから挫折。一方木更津から大原へぬける房総半島横断鉄道を目指していた木原線も、途中上総亀山~上総中野間の険しい区間が未成のまま、結局はここ上総中野でお互い違う相手と婚姻と相成りました。
想った相手と結ばれない人生のようであります。。。身につまされる思い(やば!!)
しかし夢は絶たれながらも、ずっと大原へはレールはつながっていましたが、いすみ鉄道転換でレールは切られてしまいます。
同日、8:10 758D 大多喜城をバックに。 この日は風もなく、水面は鏡のよう。
キハ35 523+キハ30 22→大原方
同日、8:18 753D キハ35+キハ30 503←大原方
同日、上総中野 8:40着 753D→折返しは 8:54発 760D
上総中野では、小湊鉄道(8:27着 折返し 8:46発五井行き)
両者はちゃんと接続。大原方面へは27分、五井方面へはわずか6分で乗り換えできました。
この時点で、上総中野での小湊鉄道は、上り・下りともに14本ずつありました。(今は、平日4往復、土休6往復のみ)
昭和40年代初頭には、上総中野発 五井併結の千葉行きDCも朝の上りなどにあったようで。古い時刻表で見た記憶があります。実際に国鉄のDCにぶら下がって走る小湊鉄道のキハ200形(=国鉄のキハ20とほぼ同じ)を見てみたかった。
9:14 760D 小谷松~大多喜 なつかしい里山風景が残っていました。
「いすみ106」 と大多喜駅 本屋前ホーム(下りホーム)で縦列停車。
手前は、大原発8:51→9:20 大多喜終着 の755D 千キサ の表記がわかります。
当時の木原線は、下り12本、上り13本で、この755Dと、大多喜10:23発の762Dのみが大原~大多喜 の区間運転、ほかはすべて大原~上総中野間の全区間運転でした。
外房線が非電化時代(房総東線時代)には、朝方に2本の上総中野発千葉行き(大原併結)もありました。
→上総中野5:37発 732D千葉8:23着、 上総中野6:15発 734D 千葉9:08着。
下りの直通は、最後には無かったようです。(S45.8の時刻表)
いすみ106 が1月25日~3月12日の計画で試運転を始めていました。
昼間は、上総中野10:11着~10:20発、12:12着~12:17発 の2往復があり、大多喜~上総中野間は1閉塞なので、定期列車の時変も伴っていました。
S63.2.22 9:50ごろ 試運転のいすみ106が大多喜城を横切ってゆきます。・・・・これからもう22年半も経ちました。