何日間ICUにいたのかもわからないまま
「一般病棟に戻りますね」
と言う看護師さんの声とともにストレッチャーに載せられて戻ってきた。
ただそこは入院した時の病室とは違い「回復室」という名の、ナースステーションから繋がった狭い部屋。
ベッドが3つ、ぎゅうぎゅうな感じで置かれている。
ベッドに固定された金具が、私のどこかの部分に繋がっているみたい。
「拘束」。。。
一度術後せん妄を起こした患者は、ずっと警戒されるのね。
常に看護師さん達の目が有ることで神経が休まらない。
食事は、1回目の手術の後から一切食べていなかったけど、肉類はお腹が痛くなるので禁止にしてもらったら、毎回賽の目に切ったお豆腐を薄いだし汁で煮たようなものが出てきた。
味がしないので食べられない。
気休め程度のサラダも、なんか馴染みの無い臭いがする。
あとはメイバランス。
甘すぎてちょっと
果物は入院中に2回だけ出た。
最初はバナナで、得意じゃないのでパス。
2度目はオレンジを半分に切ったもので、ちょっと期待したんだけど中までパサパサで嫌がらせのようなオレンジで食べられる代物ではなかった
トイレに行きたい時はナースコールして車いすで連れて行ってもらうんだけど、ストレス性頻尿になってしまって、なんか一言言われるのが地味に嫌だった。
体が痛くなるので寝返りをお願いしても「ちょっと待っててね~」と言いながら忘れられてたり
赤ちゃん言葉やため口の看護師さんって今時普通なのかな?
患者さん達の方が気を遣って敬語なのに。
痛みが酷くて、ずっと点滴で痛み止めを流してもらっていた。
背中の傷口に、コルセットや金具が当たるのも凄く痛い
「今日は術後4日目だから楽になってくるはずだから」
と看護師さんに言われたけど、確かにその日から痛みはどんどん薄らいで行った。
すぐにリハビリが始まる。
女性のリハビリ師さんだった。
「ちょっと座ってみましょうか」
うん。吐き気も眩暈も無い
ただ背中が重くて座る姿勢がしんどい。
「そのまま立てますか?」
歩行器に掴まり立ってみる。
不思議とこっちのほうが全然楽。
次の日からはゆっくりと歩行器を使っての歩行練習が始まった。
歩いている方が楽だった。
筋肉の疲れはあるけど。
ベッドで拘束金具を背中に繋がれて寝ているよりも遥かに楽。
ただね、私にはジストニアに依る痙性斜頸という病気があって、普段は飲み薬と注射で誤魔化しているんだけど(完治療法は無い)、1回目の手術の時から服薬を中止していたのと、そろそろ注射の効果も切れる時期と相まって、歩くと首が傾いてしまう。
これさえ無ければ、もっとバランスが取りやすく身軽に歩けるのに
リハビリ師さんも私の首の傾きに驚いてたっけ。
ある時、横向きに寝ていて前へ倒れる角度が少し深くなっていたら、看護師さんに
「深く前に倒さないでね!」
と怒られた
これ、同じ看護師さんに何度も怒られているので、機会があったので先生に聞いておいた。
「極端な話、上半身と下半身を別々な方向に捻じったりしない限り大丈夫」
とのお返事。
そのことを怒鳴ってきた看護師さんに言うと、プイッとどこかへ消えてしまった
面倒は起こしたく無いんだけど、あまりにもしつこいんだもの。
リハビリが始まってから、食事は車いすに座って食べるようになった。
でもやはり、食指を動かすような食事は出ないし、座っているのもとても苦痛だし、持って行ったふりかけだけを頼りにご飯だけを食べた。
やっぱり入院時にはふりかけがいい仕事をしてくれる。
リハビリが始まってから、その時間が楽しみになってきた。
短時間で驚く程、上半身も下半身も筋肉が無くなっていて疲れるんだけど、それでも歩行器で歩いている方が楽。
そのうち、病棟内、病院内を車いすで自由に動ける許可が出た。
やっと拘束の金具は取れたけど、それでも外れるとナースステーションの部屋番号を示したパネルにライトが点くという、監視用の紐がハジャマに止められていた。
いつまでたっても「術後せん妄」の前科者
ある朝、回診の先生が看護師さんに聞いていた。
「あの患者さん、ずっとここ(回復室)にいるけどなんで?」
その日のうちに私は大部屋に引っ越しになった。
もちろん、監視用の紐も取れて。
2回目の手術後の写真。
1回目に切ったところをもう一度開いているから場所は同じだけど、距離がグーンと伸びている。
苦手な人は引き返してね。
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