入院した病院には脊椎専門の診療科があった。
みんな似たり寄ったりの手術をするわけだから、当然術後は動きが儘ならない。
何をするにも看護師さんの手を借りることになる。
年配の患者さんが多いのもあるけど、みんな看護師さんの下手に出て、何をやってもらうのもお願いモード。
それはそれでいいんだけど、そのことでちょっと勘違いしている看護師さんがいるのも事実。
「あなたが偉いからお願いしている訳じゃない」
と、心の狭い私は思ってしまう。
私も、リハビリでは歩行器を使って歩けるようにはなっても、ベッドの上では寝返りが精一杯。
自分の荷物なんて退院の時まで触れなかった。
しゃがんだら立てないし。
だから他の同病者のブログを読んで、「術後○○日目」って書いてあると、よっぽど記憶力がいいのかと思ってた。
だって、バッグに入れて持って行ったノートも出せないし、椅子には3分座ってるだけで疲れちゃうし、うつ伏せ禁止だから寝ながら字を書くわけにもいかない。
食事はお肉食べると気持ち悪くなるから「肉禁」にしたら、嫌がらせかと思うようなものしか出て来ないし、「術後せん妄」なんか出たばっかりに、後々まで後を引くし。。。
「術後せん妄」なんてなりたくてなる訳じゃ無いのに
力が必要な病棟だからか、男性看護師さんの割合も多かった。
体も私の2倍くらいあって声も大きいというのに、不機嫌な態度だと委縮する。
お風呂だろうがトイレだろうが、男性・女性関係無い。
段々と、人間としての尊厳とか患者の権利とか、無関係な世界にいるんだと心を「無」にしている時間が増えた。
そうでもしなきゃやってらんない。
心の支えは、実態の無い息子の存在だけだった。
息子のいる家に帰りたい !
息子をお誕生日にひとりにしたくない !
リハビリも歩行器や杖を必要としなくなった頃、ダメ元で主治医に相談した。
「息子が亡くなってから初めてのお誕生日、一緒に家で迎えることはできませんか?」
主治医は、「レントゲンもCTも血液の結果も悪いところは無いけど、あとはリハビリの進み具合かな。なにしろ通常より1週間早くなるわけだから」と、答えの明言を避けた。
私はこれを都合よく解釈し、リハビリさえ順調ならば退院できると信じた。
病室からリハビリ室に行くにはとても長ーい廊下があって、途中の何ヵ所かに休憩用のベンチが置かれているのだけど、主治医への連絡票に「途中休憩あり」と書かれるかもしれないと思って、必死で休まず歩いた。
5階の病室から3階のリハビリ室までも階段で降りて行って、帰りもまた階段で登った。
筋肉が全く無い太腿とお尻は悲鳴をあげていた
それでも弱音を吐かずやり切って、とうとう息子のお誕生日前日に、主治医から無理はしないとの約束で退院の許可が出た。
ギリギリのタイミングでオーダーしていたコルセットも出来上がってきた。
やっと息子も元に帰れる
やっと解放される