ブログが書けない | 凪の時間 (滑膜肉腫と共に)

凪の時間 (滑膜肉腫と共に)

高校1年生の時に滑膜肉腫を発症した息子の記録です。
約6年の闘病生活。転移、所術は数知れず。
亡くなる瞬間まで生きることに全力を傾けた息子の生の姿です。
2023.11.19以降は、母の想いを綴る独り言日記に変わりそうです。

書かないのではなく書けない。

 

書くことによって、自分の中の知りたくない感情、認めたくない感情をはっきりと認識させられそうだから。

 

大泣きして心が壊れてしまうかもしれないから。

 

でも、私の気持ちの変化を記録としてとどめておくために、少しだけ書いておこうと思う。

 

息子が逝ってしまってから、悲しいことには変わりないのに、どこかでどうしても認めたく無くて、いつか「ただいまー」と帰ってくるような気がしていた。

 

信じたくない! 認めたくない!

 

現実がわかっていながらもその気持ちが強かった。

 

だけど最近、その気持ちに変化が起きている。

 

息子は死んだ。いくら待っても帰って来ない。

 

その事実がすーっと心に入り込んで来そうになる時が増えた。

 

事実を事実として認めること。

 

これはとても辛い。

 

打ち消そうとしても容赦なく入って来る。

 

感情の過渡期に来ているのだと思う。

 

この過渡期を乗り越えないと先へは進めないことはわかっている。

 

だけどそれは辛すぎるから、このまま息子の帰りを待つ自分でいたいとも思う。

 

息子が死んだ。

 

今更ながらその事実に愕然として涙が零れる。

 

時間薬なんて無かった。

 

時間が経てば経つ程に苦しくなる。

 

スマホの中の写真を探している時、不意に出て来る息子の写真。

 

棺の中で眠っている写真もある。

 

慌ててスマホを閉じる。

 

写真をロック付きのアルバムに移すことさえできない。

 

辛くて辛くて堪らない。

 

息子の死を完全に認めた後には、きっとより大きな悲しみがやってくるのだと想像できる。

 

怖くて、怖くて。認めることが。

 

やっと気持ちを少し吐き出せたけど、心臓がバクバクしている。

 

書きながら、涙を拭き鼻をかみ、大量のティシュのゴミの山ができた。

 

ずっと心が葛藤で沈んでいた。

 

そして心の不調は体にも表れる。

 

そのお話はまた今度。

 

辛い。