【再読】 谷崎潤一郎『人魚の嘆き・魔術師』 中公文庫
本日はこちらの作品を再読しました。短編二本立てです。
挿絵が多めに入っているのですが、その絵がとても素敵です。特に『人魚の嘆き』の人魚の裸の上半身は、非常に肉感的に描かれていて、思わず見入ってしまうほどの艶めかしさです。
それでは、内容についての感想を書いていきたいと思います。
以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。
『人魚の嘆き』
人魚に恋した貴公子のお話です。
舞台は支那の愛親覚羅王朝時代。中国史にはあまり詳しくないのですが、乾隆の帝という言葉から推測するに、清朝の中期頃でしょうか。十八世紀後期から十九世紀にかけての辺りだと思われます。きちんと調べていないので間違っているかもしれませんが。
主人公である若い貴公子は巨万の富と美貌と才智に恵まれた青年ですが、すでに贅沢と放蕩をし尽くしており、早くも世の中に退屈しています。
刺激が欲しい、と思うものの、もうほとんどの遊興は体験しているため、目新しい楽しみを見つけることができません。美しい七人の妾にも、古今東西の美酒にも、連日連夜の宴にも飽き飽きし、阿片に溺れる毎日を送っていたところ、ある日、怪しげな西洋人の商人が彼に人魚を売りつけに訪れます。商人の話を聞き、躊躇なくそれを買い取る貴公子。そしてその日から、彼は人魚に夢中になっていきます。
玻璃でできた水甕の中に囚われた人魚は、真っ白な肌と暗緑色の髪を持った物憂げな美女の姿をしています。貴公子から与えられた酒を飲み干す際、ちらりと見えた真紅の舌が艶めかしい。驚くほど澄み切った燐のように青く輝く瞳が、恐ろしくも美しく、見る者の心を惹きつけます。尾を揺らめかせ、しなやかに動く、水中の妖魔。まさに魔性の美です。
本人曰く、イタリアのナポリ生まれとのこと。
この人魚、性格はそれほど悪辣ではなく、控えめで奥ゆかしい、女性らしい感性の持ち主のようです。少なくとも作中では「背徳の悪性」を見せることはなく、西洋の人魚伝説にあるような、男を惑わせてばりばり食ってしまうような残酷さは見られませんでした。
まあこれは、囚われの身として本性を隠していただけなのかもしれません。海では普通に人を食っている可能性もあります。
人魚の持つ、この世のものとは思えぬ美貌にすっかり魅了されてしまった貴公子でしたが、最終的には、故郷に帰りたいという彼女の願いを聞き入れ、海に放してやりました。
そして、人魚や商人の故郷であり、彼にとっては未知の世界であるヨーロッパを目指して船を進めていきました。その後彼がどうなったのかは分かりません。
ストーリー自体は単純なものですが、文章がとにかく美しいのが特徴的です。特に人魚の美しさと妖しさを説明する下りは凄まじい力の入れようです。瞳の輝き、体の曲線、肌の光沢の一つ一つに対して、言葉を尽くしてその「美」の極まりっぷりが強調されています。
人魚の青い瞳は、
【どうにかすると、眼球全体が、水中に水の凝固した結晶体かと疑われるほど、淡藍色に澄み切っていながら、底の方には甘い涼しい潤いを含んで、深い深い魂の奥から、絶えず「永遠」を見詰めているような、崇厳な光を潜ませています。】
肌の白く照り輝く様は、
【何か、彼の女の骨の中に発光体が隠されていて、皎々たる月の光に似たものを、肉の裏から放射するのではあるまいかと、訝しまれる程の白さなのです。】
この辺りの描写には作者の執念を感じます。
女というよりも「美」に対する執念というか、この作品に限らず、谷崎は自分の「美」を表現する手段として女性を使っているような印象を受けます。
この人魚はあまりにも「美の極地」として描かれているため、金剛石七十個、紅玉石八十個、孔雀九十羽、象牙百本という値段が安く感じられるほどです。このレベルの美女なら国の一つや二つ簡単に落とせるでしょう。
支那の都の退廃的な雰囲気と人魚、オランダ人商人という組み合わせはどことなく『アラビアン・ナイト』を思わせます。貴公子の贅を尽くした放蕩の描写も実に美しく、彼が開く絢爛豪華な宴の様子は想像するだけでわくわくしました。
『アラビアン・ナイト』にも言えますが、女にしろ着物や邸宅にしろ、目も眩むほど派手で豪華な描写の方が読んでいて楽しいです。馬鹿みたいに宝石まみれで、一周回って下品なくらいが好きです。小さい時は『シンドバッドの冒険』の何回目かで出てくるダイヤモンドの谷が大好きでした。
この作品も何となくそういう雰囲気なので、谷崎の短編の中でもかなり気に入っています。
『魔術師』
どことなく異国の情緒を感じさせる、薄汚く、燈火と喧騒で満ちたいかがわしい夜の公園を、傍らに清く美しい恋人を伴って歩く主人公。
二人が向かう先は、魔術師が公演しているという見世物小屋です。
人々は魔術師の怪しい魔術ではなく、彼自身が放つ不思議な魅力の方に惹かれているようです。
傲慢な若い魔術師は、女のようにも見える、中性的な容姿の持ち主です。可憐な女奴隷の髪を踏み敷く、美貌の魔王。彼が仕掛ける甘美な誘惑に屈し、観客たちは自らこの美しい存在の前に身を投げ出しては、心身共に支配されることを望みます。主人公も結局は誘惑に負け、魔術師に「半羊神になってお前の玉座の前に躍り狂っていたい」と告げ、どうかお前の奴隷にしてくれと懇願します。半羊神とは卑しい半人半獣の怪物のことです。
捨てられた恋人の女は嘆きつつ、自分もあの人と同じ半羊神にしてくれと魔術師に頼み、主人公と永劫共に在ることを誓いました。
この「恋人」は人間の女というよりも、天使や、もしくは主人公の善性や理性の顕現といった存在のようにも見えます。
魔術師の小屋へ向かう途中で主人公が彼女に言った
【二人の体と魂とは、眼に見えぬ宿縁の鎖で、生れぬ前から一緒に縛られていたのだろう。】
というセリフが意味深です。
お祭り騒ぎの夜の公園から、静かで不気味な一画を通り過ぎ、明るい小屋の中に出る、この場面転換が非常に見事です。
魔術師の小屋では、大劇場を模して荘厳に作り上げられた内装の中、観客たちの興奮による熱気が静かに渦巻いているのをまざまざと感じ取ることができました。
個人的な意見としては、魔術師よりも魔女の方が嬉しいですね。この魔術師は女には美男子に、男には美女に見えるそうですが、中性的であるよりは完全に女であって欲しいです。怪しい技で人々を虜にする、美しく傲慢な魔女。素敵です。ちょっとディズニーの悪役っぽいですが。
以上。全二編です。
どちらも短く、ストーリーも単純なので非常に読みやすいです。物語として読むというよりも、独特の世界観に浸るために書かれた作品、という印象です。妖しく幻想的で、どこか官能的でもあります。たまに読み返したくなる作品です。
ポオやラヴクラフトの怪奇小説が好きな人にも向いているかもしれません。
それでは、今日はこの辺で。