本の虫凪子の徘徊記録

本の虫凪子の徘徊記録

新しく読んだ本、読み返した本の感想などを中心に、好きなものや好きなことについて気ままに書いていくブログです。

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【再読】  冨樫義博『HUNTER×HUNTER』33~37 ジャンプコミックス 集英社

 

本棚を眺めていたらふと目に留まったので再読してみました。

新章開始から最新刊まで。

私の中で富樫先生は「神」です。『幽☆遊☆白書』や『レベルE』も大好き。

ハンターハンターはどの章もそれぞれ違った面白さがあるので、これが一番!というのは中々決め辛いのですが、強いて言うなら最も読み返しているのはG.I編ですね。あんなに見てて楽しい修行パート、他にあります?

新章の緊張感ある独特な雰囲気もまた最高ですが。

 

それでは、以下、簡単な感想になります。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

始まりました、暗黒大陸編&王位継承編。

 

33巻前半でジンが5大厄災とリターンについて語っている場面、何度読んでもワクワクします。これぞH×H!!って感じ。万病に効く香草とか錬金植物とか、ゲームのアイテムみたいです。G.Iの中にも似たようなのはありそう。

BW号の中で始まったカキン王国の王位継承戦。

巻き込まれたクラピカ。
クラピカに呼ばれたカキン王子の警護組、イズナビ、ハンゾー、バショウ、センリツ、ビスケの五人は個人的に好きなメンバー勢揃いで嬉しかったです。タイソン王子についたイズナビ師匠、特に好きなキャラなので死なないで欲しい。音楽会に参加してましたけど、ロック好きなんでしょうか。元ネタのあの人リスペクト?
タイソン王子も善人っぽいし生き残るといいんですけど。

ハンター以外の護衛も良いキャラが揃ってます。
新規キャラに愛着湧きすぎて今後の展開が不安。
ビルやバビマイナ、ジュリアーノ、ビスケに惚れたっぽいウェルゲーさん。ベレレインテも良いですね。オネエ口調に悪い奴はいない。
テータちゃんは綱渡り状態すぎて見ててハラハラします。ツェリの守護霊獣怖すぎ。口の中にいるのはパイロ……?何かそういう説もありますよね。

旅団やマフィアの動きも気になりはするのですが、私は継承戦がどこに着地するのかを早く知りたいです。上位はともかく、タイソンとフウゲツ、ワブル王子にはどうにか生き残って欲しい。

カミーラも可愛くて好きですけど、彼女が王になる=他は全員死亡、でしょうし……。
カーちんのことは残念でした。本誌で見たときには滅茶苦茶驚いたし落ち込みましたよ。あんな良い子を…センリツとキーニもあんなに頑張ったのに……容赦ないですよね。しかも本誌(単行本未収録)のフーちんはちょっと様子がおかしいし。

せめて…せめてオイト王妃とワブル王子だけは……!と思ってます。クラピカ頑張れ。戦力は少ないですが王子以外の四人のチームワークは良いので希望はあるはず。

継承戦周りだけでも人物相関図すごいことになってますし、念能力も複雑化しているので未だに頭が混乱するときがあります。

文字数が多い……!今後重要になってきそうなツェリードニヒの能力とかも、ただの未来視よりずっと複雑ですし。キメラ=アント編や選挙編も当時は結構複雑に感じていましたが、これに比べたら全然可愛いものだったかもしれません(遠い目)。

何はともかく、富樫先生、続き待ってます!

文字多くても良いので!!
暗黒大陸も見たいですけど、取り敢えず継承戦を完結まで持っていって貰えれば……!
あと単行本未収録の旅団過去編とかも早く単行本で読みたい…!395話、ちっちゃいクロロの「やっぱりパクちゃん好きだー!!」の笑顔は特に旅団推しじゃない私にも刺さりました。パクノダは元から好きですけど。

余談ですけどヒンリギの能力はちょっとゴールド・Eっぽいですよね。ジョジョ5部も読み直したくなりました。

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【再読】  谷崎潤一郎『痴人の愛』 角川文庫

 

ナナ→ナオミという魔性の女リレー。

谷崎作品の中でも特に好きな一冊です。

ちなみに表紙は『文豪ストレイドッグス』の谷崎兄妹。文スト好きなんですよね。コラボ出た直後に書店まで買いに走った記憶があります。

それでは早速、感想の方を。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

淫蕩で奔放な魔性の美少女・ナオミと、そんな彼女の魅力に囚われた男の物語。

 

模範的サラリーマンだった主人公・河合譲治は、二十八歳のときに、とあるカフェエで女給をしていたナオミ(十五歳)と出会います。
今でこそありふれていますが、当時はナオミ、なんて名前はハイカラで珍しかったようです。そんな名前に加え、容姿までどこか西洋人くさかったものですから、主人公はナオミに興味を持ちます。そして彼女と付き合っていくうち、自分のもとに引き取って育て、ゆくゆくは妻にしようと画策するように。
このときは主人公も遊び半分というか、まあそういう一風変わったこともおもしろかろう、くらいの気持ちでいたようです。普段が真面目な反動でしょうか。
ちなみに、同棲前までのナオミはやや陰のある無口な少女です。まだ悪女感は薄め。振る舞いも年相応。

同棲するようになってからは赤い屋根の洒落た洋館(非実用的)に二人で暮らし、主人公が出勤している間、ナオミは英語や音楽を習いに行ったりして過ごします。
悠々自適な生活の中、だんだんとナオミの快活でわがままな本性が見えてくるようになりますが、この時点ではまだ可愛いものです。
初めて関係を持ったのはナオミが十六歳の頃。その後すぐに籍を入れ、二人は法律上の夫婦になりました。

ナオミを己の所有物、人形か何かのように扱っている主人公と、甘やかされてどんどん傲慢になっていくナオミ。二人の力関係は時と共にじわじわと変化していきます。
自惚れ屋で強情で愚かなナオミの気質に失望を覚えながらも、彼女の肉体には屈服するしかない主人公。そしてそんな主人公の内心を利用し、わがまま放題になっていくナオミ。
媚びとご機嫌取りが上手く、ときに上目遣いで甘えるように、ときには苛烈な態度で主人公を翻弄し、贅沢三昧に耽るようになります。
食べ物に衣類に、と金を湯水のごとく浪費し、家事もせず、家の中を散らかし放題のまま遊び回り、男友達とつるみ。主人公がずるずるとわがままを許してしまうせいで、彼女はますますつけ上がります。そしてある時、彼女が生来の淫蕩な気質から複数の男たちと関係を持っており、主人公を騙して彼らと密会していたことすら明らかに。
「立派なハイカラ婦人に育ててやりたい」という思いでナオミを引き取った主人公でしたが、結婚後数年で彼女はすっかり身持ちの悪い、不品行な女に成り下がってしまったのです。
主人公もそれを分かっていて、彼女を「不貞で汚れた女」とまで認識しているのに、それでも一度ナオミの肉体を知ってしまった以上、もうそれ無しで生きていくことはできないようになってしまっています。
終盤ではキレて追い出しもしましたが、結局それも「自分はナオミがいなくては生きていけない」ということを再確認しただけでした。

完全に、彼女という美の女神の前に跪く奴隷。自分が育て上げた芸術品であるナオミを絶対の存在として崇め、その肉体の虜になっています。本性がどれだけ醜悪で卑俗であろうと、彼はその美にだけは抗うことができないのです。
ナオミの身体的特徴をこと細かく描写し、どれだけ美しく魅力的かを主人公がひたすら説明してくるのですが、女性の「美」を表現することにかけてはさすが谷崎といったところ。足やら項やら変質的なまでに微細に、丹念に描き出しています。

最終的に主人公は夫婦関係を継続させるため、ナオミからの要求である、言うことは何でも聞く、お金も好きなだけ出す、一々干渉せず好きなようにさせる、という条件すら飲むことに。
【彼女の浮気と我が儘とは昔から分っていたことで、その欠点を取ってしまえば彼女の値打ちもなくなってしまう。浮気な奴だ、我が儘な奴だと思えば思うほど、一層可愛さが増して来て、彼女の罠に陥ってしまう。ですから私は、怒ればなおさら自分の負けになることを悟っているのです。】

ナオミがとにかく狡猾で駆け引き上手なんですよね。結局、主人公はいつも彼女の手のひらの上で踊らされています。でもまあ、本人が踊らされることにも喜びを覚える気質っぽいので、普通にハッピーエンドなのかな。

ナオミのような女性は実際に近くには居て欲しくありませんが、遠くから見ているぶんには魅力的だと思います。奔放で、下品で、妖美で、何とも言い難い毒々しい魅力の持ち主です。
前記事の『ナナ』のナナとこのナオミはよく似たヒロインではありますが、あちらが『ナナとその他の男たち』だったのに対し(ミュファ伯爵は河合譲治と似た立ち位置ではありましたが)、こちらの作品では『ナオミと「私」』という二人の関係性に焦点が絞られているので、また違った面白さがあります。あくまで主人公はナオミではなく、彼女に振り回され、偏執的な愛を捧げ続ける「私」こと河合譲治なんですよね。そういう意味では、主人公の「私」も十分に魅力的なキャラクターです。

ちなみに、場面として一番好きなのはエルドラドオにダンスに行ったあたりです。ちょっとしか出て来ないですが、春野綺羅子が好き。

本編後の作品解説も含めて読むと、更に面白い作品です。
まだ読んだことがないという方は、ぜひ。

本日も良い読書時間を過ごすことができました。
それでは今日はこの辺で。
 

 

 

 

 

 

【再読】  ゾラ『ナナ』川口篤/古賀照一訳 新潮文庫

 

定期的に読み返したくなる、大好きな一冊です。

エミール・ゾラの『ルーゴン・マッカール叢書』第9作目。

ゾラの作品の中でも特に好きです。

ナナの奔放さがたまらん!!

それでは早速、内容について書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

混沌としたパリの町を舞台に繰り広げられる、愛と欲に塗れながら生きる人々の物語。
ヒロインが娼婦ということもあり、とにかく男女の関係がこれでもかと描写されています。
愛憎で結ばれた複雑な人間関係、痴情のもつれのあれやこれ、女を食い物にする男たち。貞節を装いながら姦通する奥方もいれば、妻を男に斡旋して稼ぐ夫もいます。貴族から一市民に至るまで、抱く欲望には変わりがないのだと再認識させられます。
そして、そんな社会で生まれた少女の一人であるナナ(ヒロイン)は、娼婦から女優に、そして高級娼婦となり、やがて男たちの女王として君臨していくことになります。
魔性の女、ナナがとにかく魅力的な作品です。

第一章、パリの劇場に「ナナ」が登場します。
芝居の中心人物であるヴィナス役で、女優としてのデビューを飾ったナナ。
開演するまでの間にかなりの数の人物名が出てくるので、初見時は何度も読み返しました。
玄人女から貴族まで、様々な人間が集まる混沌とした劇場内。熱気とざわめきに満ちた下品な空気の描写にワクワクします。

現れたナナは大柄で豊満な身体を持った十八歳の少女。金髪に青い瞳の持ち主です。
歌も芝居もヘタクソ、にも関わらず、ナナはその素晴らしい肉体と愛嬌でもって、あっという間にお客たちの心を掴みます。
【太腿を叩きながら、まるで牝鶏のような声で歌っているこの大柄な娘ナナは、女の持つ一種の全能の力とでもいうべき、生命の匂をあたりに発散させ、それにお客は酔っていた。この第二幕以後、ナナの身ごなしの拙さも、歌の調子外れも、科白のとちりも、すべてが許された。ナナがちょっとお客の方をむいて笑いさえすれば、もう喝采が起るのだった。】

不敵な自信に満ちたナナ。
薄絹一枚を身に纏っただけの姿で舞台に上がり、その暴力的なまでの色香で男という男を悩殺する、美貌の少女。
パリに数多くいる娼婦の一人でありながら、他には無い強烈な魅力の持ち主です。

そんなヒロイン、ナナですが、性格の方はかなり乱暴で短気。自尊心が高く、自分に貢ぐお客の男たちを見下し、女王のように傲然と振る舞います。加えて我儘で贅沢好きな浪費家。
とはいえ、幼い我が子を愛する母性があったり、涙脆くて感動話に弱かったりと、可愛らしい一面も持っています。
感情の浮き沈みが激しく、悪戯好きで騒々しい。おまけに癇癪持ちで下品で口汚い(畜生!やら、おい、豚野郎!やら平気で言う)。それでも、えくぼを作って笑った顔は無邪気で愛くるしいのです。子供っぽいというか、あざといというか。
生命の輝きそのもののような苛烈さと奔放さでもって人々を魅了する、それがナナというヒロインです。

フォシュリーの「金蠅」の例えも結構好き。

次々と男を変えるナナは、可愛らしいジョルジュ少年と恋をしたり、堅物のミュファ伯爵を虜にしたり、醜い役者のフォンタン(DV彼氏)と同棲したり。
結婚初夜まで童貞を守っていたほど敬虔で、地位も分別もあるミュファ伯爵が肉欲の虜となって堕ちていく流れは、ほぼ作中の本筋ということもあって非常に読み応えがあります。淫蕩の悦びを覚えた彼が神の教えとの間で常に苦しんでいるのも芸術点高め。
悪趣味かもしれませんが、ミュファのナナ狂いは読んでいて本当に楽しいです。

【彼は、自分の敗北を自覚していた。彼女が愚かで、淫猥で、嘘つきであることを知っていた。それなのに、たとえ彼女が毒に犯されていようとも、彼は彼女を欲していた。】

これはミュファがナナを押し倒し、彼女からキレられた直後の地の文です。
ここまで思わせるんですから(それもミュファだけでなく複数の男に)、本当にナナは凄い女性ですよね。

基本的に気性の激しいナナですが、DV彼氏のフォンタンと暮らしている間は、理不尽な罵声と暴力に耐えながら、彼を養うために他の男と寝る健気さを見せます。DV男に弱い、のか……?

そんなところだけ母親に似なくてもいいのに……。

「一途で健気な自分」に酔っている節もありますが、恋人のために尽くすナナはいじらしく、まあこれはこれで魅力的です。

が、そのフォンタンに捨てられてからは、男たちに復讐するかのように、高級娼婦として様々な男たちの資産を容赦なく食い潰し、彼らを次々と破滅させていく魔性の女へと変貌を遂げます。
素朴な物を愛し、堅気に憧れる気持ちはあったのにどうしても上手くいかず、結局は自ら全てを台無しにして、淫蕩と浪費の生活に落ちていく。男たちに食い物にされ、自分も食い物にして目先の快楽の中で生き続ける、そういう生き方しか出来なかったのがナナです。
手始めに自分にぞっこんのミュファ伯爵を丸め込み、情夫として搾取しながら密かに他の男とも関係を結びます。

豪奢な屋敷で暮らし、退屈を恐れ、刺激を求めて遊び回るナナ。
破産しかけていたヴァンドゥーヴル伯爵は資産を吸い尽くされて自殺し、彼女のために金を盗んだフィリップは逮捕され、その弟のジョルジュはナナへの恋に狂って自殺を図りました(最終的には死亡)。
彼女の生活は完全に破綻していて、男たちから金を巻き上げて凄まじい蕩尽ぶりを見せているにも関わらず、常に借金だらけ。食卓のため月に五千フランかけているのに、百三十三フランのパン代すら払えない有様です。
次第に彼女の生活は腐敗と退廃に侵食されていきます。
肉体でもって男たちを屈服させ、臆面もなく金銭を要求し、すぐにヒステリックになっては周囲に当たり散らす、優しさというものをどこかに置き忘れてきてしまったかのような乱暴な振る舞い。淫蕩に耽り、はした金のためにそこらの男と寝たり、時には快楽のためだけに男を連れ込んだり、女同士で「愉しん」だり。「毒婦」という言葉がぴったり当てはまるような女になってしまいます。
享楽的かつ過激な行動の数々から推測される通り、この頃にはもうナナ自身もかなり情緒が不安定になっています。
フィリップから貰った贈り物(彼がお金を捻出して用意したもの)を壊してしまった場面なんて特に強烈でした。スイッチが入ったのかハイテンションで周囲の物を手当たり次第ぶっ壊していくナナ。メンタルがだいぶヤバいところまで来ているのがよく分かります。

安キャバレーの歌手に惚れて、捨てられ、鬱になって自殺を計ったことも。

【彼女は、自分が豚と呼ぶ男たちを軽蔑しながらも、それでも惚れずにはいられなかった。いつでも誰か情夫をスカートの下に隠し、わけの解らぬ色恋沙汰や、身体を磨り減らす自堕落な悪行の世界を転々とした。】

ミュファ伯爵に、フーカルモン、シュタイネル、ラ・ファロワーズ、フォシュリーといった愛人たち。彼らの財産を呑み込み、傲慢な態度と下品な言葉で尊厳を踏み躙り、それに悦びを感じているナナ。彼女のサディストっぷりもなかなかですが、踏み躙られて悦んでいる男たちの方も割と大概です。ミュファも子供や動物に成りきるプレイを楽しんでいましたし。
ナナの男たちの中で、個人的に破滅して可哀想だなと同情できたのはフィリップ、ジョルジュくらいです。

最終的にはミュファ伯爵もナナの元を去り、一人になった彼女は持ち物を売り払って姿を消してしまいます。ここからラストまでは一気に駆け足になります。
誰もナナの行方を知らず、聞こえてくるのはトルコの王を征服したのだとか、カイロの淫売窟にいるのだとか、ロシヤで大公の妾になったのだとかいう真偽不明の噂話ばかり。
そしてその後ナナはひっそりと帰って来て、天然痘で死んでしまうのです。
美しかったナナが、多くの男たちを支配し、パリに君臨したあのナナが、最後には膿と腐肉の塊になって息絶えます。見事な金髪だけはそのままというのが何ともグロテスク。
外からは普仏戦争の始まりを告げる群衆の叫び声、臨終に駆けつけた女達も去り、部屋にはナナの遺体だけが残る、という場面で物語は幕を下ろします。最後に女達が集まって話す場面があるのが良いんですよね。好きです。
一応、ナナは母親よりはマシな死に方ができたんじゃないでしょうか。看取ってもらえたわけですし。

この作品の魅力は、ナナという女性のヒロイン性は勿論のこと、彼女を偶像にまで押し上げた当時の社会の流れ、そこに生きる人々の熱気と期待がとにかく丁寧に描写されているところにあると思います。そのため、ナナ本人の目線ではなく、彼女を取り巻く群衆の一人になったような感覚で物語を追ってしまいます。

パリの劇場に現れた金髪のヴィナス。
あっという間に花柳界でのし上がり、名声を得た少女。
その美貌と目も眩むような贅沢三昧で人々の羨望を集め、浪費と不品行のために悪名を轟かせていた、ナナという名の女。
精神性には共感できませんが、女としては眩しすぎる存在です。
愛情深くて残忍。己の身一つを武器にして成り上がり、今まで搾取されてきた仕返しのように男たちを踏み躙り、宝石を石コロのように扱い。自由で奔放で悪辣で純粋で。苛烈に生きて、醜い姿で死んでいった彼女。

【滅亡と死をつくる彼女の事業は完成されたのだ。場末街の溝泥から飛び立った蠅は、社会を腐敗させる黴菌を運び、ただ男たちの肩に止まるだけで彼らを毒したのである。それは良いことであった。正しいことであった。彼女は自分が属する階級、赤貧洗うがごとき人々や、社会から見棄てられた人々のために復讐したのだ。そして、彼女の性が、殺戮の野を照らして昇る太陽のように、栄光に包まれて昇り、一面に横たわる犠牲者の上に光り輝くときも、彼女は自分のしていることも知らぬ美しい野獣のような無意識を持ち続け、いつも優しい娘であったのだ。】

終盤のこの文章が特に印象深いです。
何でしょうね。上手く表現できませんが、偉人の伝記を読んだ後のような気分になります。
それくらい強烈にナナの魅力を伝えてくれる作品です。

ちなみに、一番好きなキャラクターはもちろんナナですが、次に好きなのは彼女の古い友人兼愛人の淫売婦、サタンです。綺麗な顔に反して言葉遣いは荒く、滅茶苦茶嫉妬深い半狂人。ナナとの爛れた関係が個人的には大いにツボ。
ナナの乱行の余波で身を持ち崩したサビーヌ伯爵夫人(ミュファの妻)も好きですね。こっちの話ももう少し詳しく知りたいと読む度に思っています。

以上。
本日も良い読書時間を過ごすことができました。やっぱり『ナナ』は良い…。
ナナのモデルの一人とされる実在したクルチザンヌのコーラ・パール、彼女の人生も中々に波瀾万丈なので、興味のある方はぜひ調べてみてください。ウィキペディアにもかなり情報が載っていて読み応えがあります。
『居酒屋』も読み返したくなりました。そのうち。
それでは今日はこの辺で。
 

 

 

 

 

 

【再読】  ジミー〈幾米〉『君のいる場所』宝迫典子訳 小学館

 

前回に続き、ジミーさんです。

こちらも好きな作品。ジミーさんの著作の中でもかなり有名なものです。ちなみに原題は「向左走・向右走」。
内容は、同じアパートの隣り合う部屋に住んでいる男女のラブ・ストーリー。
都会の人混みの中、親しい者もなく、孤独な生活を送っている二人の男女が出会うお話です。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

【彼女は郊外の古いアパートメントに住んでいる。
どこに出かけるときも、玄関を左へまがる癖がある。

彼は郊外の古いアパートメントに住んでいる。
どこに出かけるときも、玄関を右へまがる癖がある。

彼が彼女に会うことはなかった。】

こんな文章で物語は始まります。

いつも右側を見ずに左の道を行く彼女。
左側を見ずに右の道を行く彼。

同じアパートの玄関から同時に出ても、向いている方向は真逆。
そのせいで隣人であるにも関わらず二人が正面から顔を合わせる機会はありませんでした。
お互いを認識していないため、彼がバイオリンを弾いているレストランの前を、彼女は気づかずに通り過ぎます。

【彼には右へ行く癖があり、彼女には左へ行く癖がある。
二人はめぐり合うはずもなかった。】

平凡で孤独な日常を送る二人。
憂鬱で重苦しい、冬の日。
しかしどういう運命のいたずらか、ある日、公園の噴水前で彼と彼女は出会います。

【冬は、もうそれほど憂鬱なものではなかった。

いっしょに過ごす胸おどる午後。】

ごく短い時間でしたが、しかし確かに楽しい思い出を共有した彼と彼女。
その後、電話番号を交換して別れた二人は、幸福な気持ちでアパートに帰ります。
が、紙切れに書かれた二つの電話番号はどちらも雨で滲んでしまい、読めないという事態に。
掛かってこない電話。繋がらない電話。
追い打ちをかけるように、二人が出会った公園も取り壊されてしまいます。

静かに過ぎていく日々の中、忘れられない彼/彼女のことをぼんやり考える二人。
【あいかわらず彼には右へ行く癖があり、
あいかわらず彼女には左へ行く癖がある。】

はじめから右しか見ないから、左にいる彼女に気づかない。

はじめから左しか見ないから、右にいる彼に気づかない。
隣の部屋で生活し、ニアミスを繰り返しながらも、決して二人が出会うことはありません。
同じ風景を見、同じ道を歩いているのに、彼らはそれに気づかないまま生活しています。

壁の向こうから聞こえるバイオリンの響きに、耳を傾ける彼女。
それを弾くのが彼であることは知りません。
彼女の誕生日は今日だと聞いたっけ、と思いを巡らせる彼。
その彼女が隣で寂しくケーキをつついていることなど知るはずもありません。

会えない苦悩と寂しさの中で一年が終わり、とうとう彼/彼女は淋しい街を出て旅に出ることを決めます。
そして大きな荷物を抱え、雪の降りしきる中、
【彼は右へ。
彼女は左へ。】
いつも通り、顔を合わせることなく。

しかしここでは終わりません。ラストで二つの道は、円を描くように交わります。
良かったー。
バスに乗る前、おそらくバスの停留所で、前方からやって来る彼女/彼の姿を目にする二人。
共に楽しい午後を過ごした、ずっと会いたかった人。

そうして物語は幕を下ろします。
二人がその後、どうしたのかは不明です。
ただ、巻末にはどこかの玄関に立て掛けられた二本の雨傘が描かれているので、まあ良い方に転がったんじゃないでしょうか。

初期作品とは思えないこの完成度の高さ。
二人がニアミスしている様子や、それぞれの部屋の描き分け方が本当に上手いです。
何よりハッピーエンドなのが良いですよね。
ビターエンドも好きですが、やっぱりこういった希望のある終わり方のほうがほっとします。

胸温まるラブ・ストーリーです。
興味のある方は、ぜひ。
それでは今日はこの辺で。
 

 

 

【再読】  ジミー〈幾米〉『地下鉄』宝迫典子訳 小学館

 

本日はこちらの作品を再読しました。台湾の絵本作家ジミーさんによる絵本です。落ち込んだときやリラックスしたいときによく読み返しています。

ジミーさんの作品はどれも、絵や文章から優しい雰囲気を感じられて大好きです。

それでは早速、感想の方を。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

主人公は、表紙にも描かれている盲目の少女。

「何か」を探し求めて旅に出た彼女が、タイトル通り、地下鉄に乗ってあてどなく彷徨うお話です。
彼女の旅は、電車に乗り、降りて、階段を登って地上に出、また次の入り口から地下に降りる、その繰り返し。
帽子を被り、リュックを背負って、白い杖を頼りに歩を進めます。

一枚一枚のページが絵画のように色鮮やかで、非現実的な構図とあわせて、夢の世界を覗いているような気分になります。
駅の出口は、様々な世界に繋がっています。
森の中に繋がっていたり、海の中や雲の上に繋がっていたり、本棚に囲まれた部屋の中や、墓地に繋がっていたり。
気持ち良く晴れた世界を抜け、地下鉄に乗り、降りた先では土砂降りの雨が待っていたり。
まさに、「人生」そのものを表しているような旅路です。
間違った電車に乗ることもあれば、降りた先が行き止まりだったことも。

【今日と昨日は どこがちがうの?

明日 私は どこにいるの?

これ以上 一歩も踏み出せない ときがある

どうどう巡りに さまようばかり

いくども まちがった電車にのり まちがった駅でおりる

どこに いるのか わからない

どこに 行きたいのか わからない

深い霧が 行く手をおおい ぬかるみに 足をとられた

誰か私を ここから連れ出してください】

この辺りは文と絵のシンクロ率が高すぎて痛いくらいに刺さります。
特に好きなのは「これ以上 一歩も〜」の場面。目の前にある美しい物にあと少しで届かない、という絶望的な距離感が、残酷なほどハッキリと描き出されていて辛くなってきます。

静かな彩り、激しい彩り。
盲目の彼女を取り巻く世界は、眺めている側からすると常に劇的で、異なる色彩と美しさで満たされています。人気のない灰色のホームですら、どこか明るさがあって。
実際に歩いている彼女には、どのように感じられているのでしょうか。
たくさんの人や動物たちが登場し、たくさんの出会いと別れがあります。
終点がどこかも分からず、ひたすら旅を続ける少女。
長い旅の中で、やがて彼女は生きることへの喜びを見出し、最後には「希望」を手にします。

遠回りをしたり、来た道を引き返したり、立ち止まってしまったことも一度ならずあるのでしょう。
しかし、終わり近くでは、壊れてこれ以上進めない状態の橋でも、天から下がっているクレーンフックみたいなヤツでぐいーんと渡ってしまうようになります。行き止まりを軽々飛び越えるその場面で描かれているのは、恐怖など感じていないかのように、笑顔で大きく一歩を踏み出す彼女の姿。溢れんばかりの輝きと祝福に満ちた空気に、見ているこちらの心まで温かくなります。
 

盲目の少女の旅は、私たちの人生そのもののようです。
見えないなりに世界を楽しみ、時に現実に打ちのめされながらも光を求めて歩き続ける姿を、どうしても自分と重ねてしまいます。それだけに、ラストが希望に溢れたものであることが本当に嬉しい。
この先、彼女がどんな旅をするのか、応援したい気持ちでいっぱいになります。

ずっと少女の近くをうろついている白い犬……犬?…が可愛らしいです。毛足が長くてモップみたい。

疲れたときに読むと沁みる一冊です。
最後のリルケの詩も良い。
いい感じに癒やされました。
興味のある方はぜひ。

それでは今日はこの辺で。