今日は、さよなら原発ぎふが主催する標記のデモ行進が岐阜市金公園をスタート地点として行われる、というより、先ほど済んでしまった。
3か月に1回、脱原発デモに参加しようと思っている小生である。
しかし、昨年、高齢者となり、ことのほかトイレが近くなった。こう寒くてはデモ行進の途中でもよおしてくる恐れが多分にある。週間予報を見、明日の天気を見、と今日が近づくにつれ、参加できそうもない情勢となり、今朝の状態を見て、とうとうあきらめざるを得なかった。
昨年の3月は何とかデモに参加できたのに、今年は残念なことである。
原発はもうたくさんだ。
客観的に見て、そもそも原発なしで電力は十分にまかなえる。
CO2地球温暖化を言い出したのは、原発業界が原発を維持・推進するために仕組んだものであることが判明している。加えて、寒冷化より温暖化の方が食糧生産にいいのだし、最近はどうやら温暖な気候はもう終わりを告げて寒冷化に突入しているようでもある。
エネルギー安保のために石油の代替として原発がいる、というのも間違っている。石油は、高品質部分を抽出して化学工業で使ったりガソリンなどの燃料にし、残りの何とも利用価値のない残渣…化学工業界にとっては“産業廃棄物”…を火力発電で燃やして使うのだから、中東の石油が断たれたとすると、電力以外の分野のダメージの方が圧倒的に大きいのである。
加えて、“トイレのない高級マンション”から出続ける“処理方法がない糞尿”を孫末代に押し付ける無責任さを全く感じないとは、どういう神経をしているのだろうか、今の日本人は。
そうしたことどもを思いつつ、自分一人の力では何ともならないものの、自己主張は根気良く続けていかねばならない。
あとは、こうした輪が広がるのを地道に待つしかない。
6月には、また岐阜あたりでデモがあろうから、参加しよう。
皆さん、黙っていては原発賛成と見なされるのですよ、今の世の中は。
反対意見をお持ちなら、それを何らかの形で表明してくださいね。
集会やデモがあると聞いたら、単に「烏合の衆」として参加するだけでいいのですから、簡単なことです。
自分一人の力というものは、最大限に発揮しようとしても「烏合の衆」の一人にすぎず、最低限であっても立派な「烏合の衆」の一員になれるのです。