「いいね」、「リブログ」、「ペタ」大歓迎です( `ー´)ノ
過去取り上げたビデオ一覧
バンコク在住のじゅーざです。
今回は
変化球です♪
まずは下のビデオをご覧ください。
今までも、そしてこれからも本ブログには
童謡
という言葉が出てきますが、実は
オレの使っている「童謡」は「狭義の意味の童謡」です。
例えばウィキペディアで上のビデオに出て来た歌「鳩」と「鳩ぽっぽ」を調べるとこう出てきます。
・鳩 (童謡)-『鳩』(はと)は童謡のひとつ。文部省唱歌。作詞、作曲ともに不詳。
・鳩ぽっぽ-『鳩ぽっぽ』(はとぽっぽ)は童謡のひとつ。作詞東くめ(1877年-1969年)、作曲は瀧廉太郎。
オレの現在の感覚では
・鳩(唱歌)
・鳩ぽっぽ(童謡)
と分けることになります。
何が違うのかというと、
・童謡というのは作家が子供のため、子供の事を考えて作った歌
しかし
・唱歌=文部省唱歌とは文部省のお役人が学校での児童教育のために作った歌
なんですな。
上で
『鳩』(はと)は童謡のひとつ。 作詞、作曲ともに不詳。
となっているのは
文部省の部局?内で文部省が選んだ識者が学校教育のために頭をひねって歌詞と曲を考えたからです。
多くの識者と文部省の役人が絡んで作った歌だから
作詞、作曲ともに不詳。
となった訳。
これは明治から大正時代にかけては当たり前に行われてきたことで、そういう日本の唱歌・童話の歴史を知っている人間にしてみれば、上のビデオをエピソードは
ごく当たり前の文部省唱歌の作成過程
だったにすぎません。
なお滝廉太郎がドイツに留学になったのは当時の音楽家としては
最高の処遇でしょうね。
同様に明治時代末期にドイツに留学した音楽家の山田耕作は立派にその成果を日本に持ち帰り、日本での洋楽の発展に寄与しました。滝廉太郎が結核にかからなかったら山田耕作よりも早く日本で西洋音楽の発展に多大な寄与をしたことでしょう。
こうした
文部省唱歌の作成過程を知っていれば「鳩ポッポ」の件は謎でも何でもありません(あっさり)
そして今のオレの中では
そうした「文部省唱歌」は「童謡」の範疇に含めていません。
オレの考える「童謡」は音楽家や児童が自らの意思、言葉で紡いだ歌の事です。
かつて文部省(現在は文部科学省)は
童謡を弾圧し、国策で作った唱歌しか認めようとしない、という時代もありました。(昭和の話だよ)
「雨情さん」こと童謡・民謡作家で詩人でもある野口雨情はこれに反発して
「文部省の童謡禁止とその無智」(『新資料 野口雨情≪童謡≫〉』に全文所収)
という文章まで書いているほどです。
雨情宗(笑)信者になりかけているオレとしては
文部省唱歌は「童謡」とは別物としてはっきり分けて考えている次第。
この部分は今後の李徳恵姫(徳恵翁主)について書く際に、前提として出てくる話なのでこの機会に書いておきました。
心に留め置いてください( `ー´)ノ
…
さて、
観たい動画のリクエスト
最近あまりにピンポイントで厳しいリクエストが続いているので苦労してますが…
いつでもネタ募集中でっす♪
ある映画、ドラマ、アニメの、たぶんこんなだったシーン
くらいでも探すぞ(゜Д゜)ごるあっ!!!(でも手加減してね♪)
皆さん競ってご応募ください♪
こんかい終わり
ブログランキング参加中♪クリックしてね☆
韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

