<どこよりも詳しい>(新)李徳恵姫(徳恵翁主)関連年表!!その2:1930年~現在まで | 流じゅーざの『日韓・朝韓』

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宗武志伯爵と結婚した時の徳恵姫

 

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バンコク在住のじゅーざです。

 

本年表は

 

  朝鮮王朝最後の王にして大韓帝国初代皇帝だった高宗の末娘である李徳恵(り・とくけい)姫(韓国での呼称は徳恵翁主)の生涯の年表です。

 

以前、アップした李徳恵姫(徳恵翁主)関連年表ですが、その後確認できた事実などを加えてアップデートしたものを掲載します。(最終更新日:2017年4月5日)

 

本文は長くなるので1930年を境に2つに分けて掲載します。

 

この年表については世界で一番詳しいものと自負しています。

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年表(2)

1930年

  03月03日  徳恵姫、李垠夫妻と紀尾井町の新邸宅に引っ越す

  年前半     徳恵姫、この頃から神経衰弱気味(『流れのままに』)

  秋頃             徳恵姫、登校拒否や不眠症を発症。「早発性痴呆症」の診断を受け、大磯で静養

  10月30日  徳恵姫の婚約について韓李王職長官が発表(京城)

  10月31日  徳恵姫と宗武志の結婚決定の報道(京城、東亜)

  11月初旬   徳恵姫、九条家公邸で宗武志とお見合い

  11月03日  京城日報で徳恵姫特集記事連載(~09日まで)

  12月11日  徳恵姫・宗武志の結婚への勅許が下りたと報道(京城)

1931年

  02月28日  篠田李王職次官が徳恵姫・宗武志の結婚の予定を公表

  03月27日  徳恵姫、女子学習院本科を卒業(京城)

  04月08日  徳恵姫、宗武志納采の儀(東亜)←誤報?

  04月14日  徳恵姫・宗武志の結婚への勅許が正式に下りる(京城)

  04月22日  徳恵姫、宗武志納采の儀(京城)

  05月08日  徳恵姫、宗武志、宗伯爵御用邸にて結婚の儀挙行、その後華族会館で披露宴(京城、朝日)

  07月10日  徳恵姫作曲の「蜂」「雨」を収めた『宮城道雄作曲集 第5集』(大日本音楽会)が発行される

  10月05日  宗武志・徳恵姫夫妻、李鍵の結婚式に列席

  10月20日  宗武志・徳恵姫夫妻、李垠の誕生祝いに列席

  10月26日  宗武志・徳恵姫夫妻、対馬訪問のため東京を出発

  10月30日  宗武志・徳恵姫夫妻、対馬到着

  11月01日  徳恵姫、対馬女学校で植樹式に参加

  11月03日  宗武志ら談話の席で徳恵姫が失笑の奇行

  11月06日  宗武志・徳恵姫夫妻が対馬を出発し帰路に付く

1932年

  08月14日  徳恵姫、長女を出産、「正恵」と命名。(朝日)

  11月      宗武志、正恵の肖像画を=描く

1934年

  04月           宗武志、『対馬民謡集』を発行

  08月02日  宗伯爵邸に泥棒が入る(朝日)

1935年

  05月03日  李ぐう(金ヘンに禺)・朴賛珠の結婚式

1938年

1938年秋         中村國枝が宗家に手伝いに入る(~1940年)

1939年

  04月         正恵、学習院初等科入学

1940年

  12月          宗武志、自宅研修に入る

1942年

  03月          平山為太郎夫妻が宗家を訪問

  夏                 宗武志、正恵を連れて甲府や日光で山歩きする

1944年

  04月          宗武志、内閣情報局事務嘱託勤務

  08月23日  正恵、西那須野塩原に疎開

1945年

  07月末         宗武志、招集。陸軍独立第37大隊から柏83部隊に所属

  08月15日  終戦

  11月19日  正恵、疎開から戻る

1946年

  正月頃          田中洋子(本馬恭子の姉)が母親らと宗家に年賀で訪問し、徳恵姫を目撃

  06月          宗武志、貴族院議員となる

  秋                 宗武志、下目黒に家に引っ越す(『徳恵姫姫』による)

  秋                 徳恵姫、松沢病院に入院か?(『徳恵姫姫』による)

  11月03日  日本国憲法公布(1947年05月03日施行)

1947年

  時期不明       宗武志・正恵が対馬を訪問

1950年

  01月          金乙漢、李垠邸を訪問、さらに徳恵姫を松沢病院に訪問する

1951年

  03月          宗武志、詩「山河」(『海郷所収』)を詠む

  05月          貞明皇太后崩御

  05月          李鍵夫妻離婚

1952年

  時期不明       宗武志、正恵が対馬を訪問

1955年

  06月          宗武志、徳恵姫と離婚。徳恵姫は「梁徳恵姫」となる

  秋頃            正恵、鈴木昇と結婚

  秋頃            宗武志、再婚する

  10月           宗武志が詩集『海郷』の編集を終える

1956年

  01月          李王家が徳恵姫と正恵の韓服などを文化女子大学服飾博物館に寄贈

  04月          宗武志の詩集『海郷』が出版

  06月02日  『海郷』出版祝賀会。宗武志夫妻、正恵出席

  08月26日  正恵、遺書を残して失踪(読売)

1961年

  05年16日  韓国で朴正煕がクーデターで実権を掌握

  07月末         韓国代表部より李方子に朴正煕議長(当時)から連絡

1962年

  01月16日  徳恵姫の引き取りのために朴賛珠、李淙が来日

  01月26日  徳恵姫が韓国に帰国。ソウル大学医学部付属病院に入院

1965年

  06月22日    日韓基本条約の締結に伴い国交回復

1968年

  秋                徳恵姫と李方子が昌徳宮楽善斎に入居

1985年

  04月22日  宗武志、死去

1987年

  05月25日  徳恵姫の幼稚園・小学校の同級生閔龍児が徳恵姫を見舞う

1988年

  12月29日  城田吉六が韓国の任東権博士より徳恵翁主が楽善斎で暮らしているとの報を受ける

1989年

  04月21日  徳恵姫、楽善斎壽康斎で死去

2007年

  04月      宗昇(本名:鈴木昇)が詩集『記憶のみなわ』所収の詩で正恵の遺体発見を綴る

 

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李徳恵姫関連の年譜では、

 

  新城道彦氏が韓国言語文化研究第14号に掲載した論文「王族および公族関連年表」(2007年)

 

を書いていますが、本年俵はそれよりも詳しく、また欠落部分を埋めています。

 

 

こんかい終わり

 

 

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